「おとうさん勝たないと学校でかっこわるくてかなわん」

将棋マガジン1984年4月号、清水孝晏さんの「思い出の棋士たち」より。

関根茂八段

 棋界に入って500勝した棋士は12人いるという。我が同門の関根茂八段があと少しだと聞いたのは昨年末のことであったが、このほど念願を達成、2月5日にファン150名の参集を得て、その祝賀会が開催された。

 多忙の中をお祝いに駆けつけてくれた推理作家の斎藤栄氏が、「私も公務員(横浜市役所)のかたわら推理小説を書いて、仲間うちから二足のワラジといわれる辛い思いをしたように関根さんも中年からの転向だけに、表面はどうであれ、内心は”サラリーマン棋士に負けてたまるか”というしごきはあったと思う。そんな中で500勝は大変な努力ですよ」と語っていたのが印象にのこった。

 それについて師の山川次彦八段も「初段になったとき勤め(農林技官)を辞めるといってきた。が、四段になったって安い手当ての頃だったから考え直せといったんだけど、”退職金で1年は大丈夫だから”とその言葉どおり1年で四段になったのにはおどろいた」という。

「若かったからでしょうね。それに私は楽天的なんですよ」と笑い飛ばす関根八段。唯一の趣味は釣り。それもヘラ鮒ひと筋という凝りようである。

(中略)

 想い出の一戦というと故・本間七段(当時)と連続して棋聖位挑戦を争った将棋をあげるが、第4期棋聖戦で大山康晴棋聖に挑み、2勝1敗とリードして、あと1勝と迫ったときは沸いた。残念ながらそのあと2連敗となって、うたかたの夢となってしまったが、その頃でもご当人は「そんなもんですよ」とケロッとしていた。

 いま困ることは長女の千恵ちゃん(中一)に「おとうさん勝たないと学校でかっこわるくてかなわん」といわれることという。そして「将棋の本が売れてファンが増えるのも、大きな声ではいえないが善し悪しだね」と。

 昭和4年11月生まれ。いくら気が若いといっても、大事にしなくてはならない歳である。

 ゴウイング・マイウエイで600勝を目指してほしい。

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関根茂九段はこのとき54歳。

順位戦はB級2組で活躍は続いているのだが、年齢的に以前に比べて勝ち数が減るのは仕方のないこと。

関根九段は長女の千恵さんのことをとても可愛がっていた。

可愛いお嬢さんからこのように言われてしまうと、さすがに楽天的な関根九段でも困ったことだろう。

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「棋士の妻」という切り口での将棋雑誌での記事は過去にあったが、「棋士の子供」の切り口での記事は無いと思う。

企業の営業部に勤務する父の、売上予算達成率、売上前年比、新規案件獲得件数、プレゼン勝率、などが世の中に公表されていたとしたら、そのお父さんの息子さんなりお嬢さんは、とてもたまらないだろう。

しかし、棋士の場合は、それらが公表されているのと同じ。

棋士の子供として生まれて嬉しいこと、困ること、いろいろとあるのかもしれない。

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関根茂九段は昨年の2月22日に87歳で亡くなられたが、千恵さんからご丁寧なコメントをいただいている。

関根茂九段逝去

関根茂九段「生まれ変わっても一緒になろう」(関根九段のご令嬢・千恵さんからコメントをいただきました)