博多の谷川浩司名人(当時)

将棋世界1990年1月号、青島たつひこさん(鈴木宏彦さん)の「駒ゴマスクランブル」より。

 林葉女流王将。福岡では知らない人がいないといわれる林葉さんは、8日に東京で対局があるため、前夜祭だけに登場。うーん、残念。多分8日に現れた谷川名人も同じ心境だっただろう。前夜祭では林葉さんマークのおじさんがしっかり5、6人。さすが有名人。

 谷川名人。敵情視察のため(本当はモノポリー要員となるため、といううわさもあるが)、わざわざ自費で竜王戦めぐりをしている谷川名人は2日目の昼過ぎに、ブランデーケーキを手土産に登場。島竜王の最後の鮮やかな詰ましっぷりには、「(強いんだか弱いんだか)ようわからんやっちゃなあ」と関西弁で感動。その夜は当然、モノポリー大会に参加の予定だったのだが、モノポリーのゲーム盤が行方不明になるという前代未聞の怪事件に巻き込まれ、なにもすることがないという悲惨な状況に遭遇。

(つづく)

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この第2期竜王戦では打ち上げ後のモノポリーが定番だった。

この時期のモノポリー人気の様子を、青島たつひこさんが同じ稿で伝えている。

 将棋の雑誌にモノポリーの話ばかり書くのもどうかと思うが、とにかくはやっちゃっているのだから、仕方がない。13日には羽生六段に負けた(棋王戦)小林八段が「あつい!このままじゃ大阪に帰れない」といって羽生を放さず、17日には、土佐六段に負けた田中寅彦八段が「あつい!このままじゃベンツに乗って鷺沼に帰れない」ということで場が立った。そういうときにすかさず場が立つのは、森九段や櫛田四段といったモノポリー要員がなぜか必ずその場に居合わせているからである。

 その昔、関西本部の主といわれた角田三男八段と北村秀治郎八段は、仲間(特に弱い後輩)の対局が終わるのを待ち構えていてはもう一つの対局(がらがら、ぽん、ちーのほう)に誘い込んでいたものだが、この両棋士はそれを、モノポリーでやっているわけである。

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谷川浩司名人(当時)による「ようわからんやっちゃなあ」。

絶対に一度聞いてみたい言葉だ。

100%バトルロイヤル風間さんの4コマ漫画の世界だ。

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昨日の記事のごとく、酒を飲む人にとっては打ち上げ後の中洲は天国だが、飲まない場合は、中洲という地の利が生きない。

モノポリーがなければ、手持ち無沙汰そのものの世界になってしまう。

その具体的な模様は、明日の記事で。

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昨日の記事に元・近代将棋編集長の中野隆義さんから貴重なコメントをいただいている。

.>EさんもOさんも「飲む・打つ・買う」の中では圧倒的に「飲む」のタイプなので、キャバクラに誘われたと見るのが正しいのかもしれない。

これはまず、間違いなしでありましょう。

広津流から、こんな話を聞いたことがありました。
「立会人で行った、あれは福岡だったかな、あるクラブに立ち寄って小一時間ばかり飲んだんだけど、勘定がえらく高かったんだ。早い話、ぼられちゃった訳だが、そのあと、ボクがどうしたと思う」
「えっ、そ、それは・・。俺を誰だと思ってるんだっ、と凄んだとか・・」
「ははは、そんなことはしないよ。ボクは次の晩にまた同じお店に行ったんだ。そうして、昨日と同じものを注文して同じだけ飲んで、勘定を払った。昨日と同じだけね」
「・・・」
「三日目も同じ店に行って同じもの頼んだら、向こうが、『先生、勘弁してください』と言ってきたよ。『今日の勘定は結構ですから、どうかもっとゆっくりしていってください』とも言っていたけど、ボクは初日、昨日と同じだけ飲んで同じ額を払ってきたよ。ボクがでは帰るよと言って席を立ったら出口までお店の者たちが総出でずらりと並んで見送ってくれたよ。あれは面白かったな」
お金のやりとりから見れば三日連続ぼられた広津流は、しかし、明らかな勝利者です。
将棋指し恐るべしと、私はこのとき、思ったのでした。

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故・広津久雄九段のようにできる人は日本中に5人もいないと思うが、唸らせられる。

これも勝負師気質の現われと言えるだろう。

ボラれるといえば、故・松浦卓造八段の歌舞伎町での武勇伝も、勝負師気質のもうひとつの現われ方だ。

3年半前の記事より→豪傑列伝(1)