谷川浩司名人(当時)「お宅の近くまで来ているんですよ」

将棋世界1985年2月号、神吉宏充四段(当時)の「関西若手はどないじゃい 谷川浩司名人の巻」より。

謹賀新年

 読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。早いもので私の若手棋士レポートも半年になります。そこで新年ということもあり、将棋会のVIP谷川浩司名人に年頭を飾ってもらいましょう。

 谷川浩司名人、昭和37年生まれの22歳。血液型O型。とにかく楽しい男で、今回はそのひょうきんぶりをお見せしましょう。

誰が呼んだかカクジンと

 最初に名人のニックネームを紹介しよう。彼は若手棋士仲間では「カクジン」と呼ばれている。

 なぜ?そう呼ばれているのか、それは「名人(メイジン)」と「各人(カクジン)」がよく似た漢字なので、関西の男前、将棋界のスリム・ボーイのK四段(ワイのこっちゃがな)が命名した。何や角砂糖みたいやなァ。

不思議に電話が…

 リーン、リーン。対局の前日、家で休んでいると昼過ぎに電話が鳴った。

「はい、もしもし神吉ですが」と電話に出ると「あわわ、私です私」 カクジンだ。電話の内容は「今から遊びませんか」のような事である。私が「明日、対局なので今日はちょっと」と断わると「お宅の近くまで来ているんですよ」と強引。仕方なく家に呼ぶと、「明日対局ですか、悪いですねえー」とか何とか言いながら、うちに置いてあるパソコンで、ゴルフや野球ゲームを晩までさんざん遊んでゆくのであった。

 そこでハッと気がついたのだが名人の遊びに来る日はいつもなぜか私の対局の前の日。

 それを彼に尋ねると「偶然ですよ、偶然」と言いながらゲームのボードをにらみながら答えてくれる。しかし不思議じゃありませんか、電話がかかってくるのは対局の前の日がほとんど。ほんまに知らんのかいなあ?

スナックでの一日

 名人のカラオケ好きは有名で、スナックへ飲みに行くと、必ずと言っていいほどマイクを手にする。歌のうまさは定評があり、レパートリーの方も「氷雨」から「涙のリクエスト」まで何でもこいである。

 彼はいい歌だなーと思うとすぐにレコードを買ってきてカラオケの勉強をしてしまう。

 そうとは知らずに「浩司君、この店新しい歌が入ったでー」とサザンオールスターズの「ミス・ブランニュー・デイ」の歌詞カードを見せると「いやーこんな歌むずかしいてわかりません」と言いながらステージに立ち、歌ってしまうのであった。ま、負けた。

チョメチョメに飛翔

「谷川先生、色紙にサインしてください」。彼と飲みに行くとよくスナックの女の子がサインをねだる。そんな時、彼はいやな顔ひとつせず快くサインに応じている。これはなかなか出来そうで出来ない事である。この辺にも彼の人柄がにじみ出ている。ここまで書いていて名人の親友の西川五段からおもしろい事を聞いた。それは先日二人で飲みに行った時、色紙の他にもついでに伝票まで「飛翔」と書いていた、というのだ。そしてその店はタダになったらしい。

ボウリングの一日

 名人はボウリングが大好きで我々若手棋士とか奨励会員が集まると「ボウリングへ行きませんか」と誘う。それでこちらが返事を渋っていると「行きたいのになーブツブツ」と文句を言っている。そこで「じゃあちょっとだけ行きましょか」となだめると、ニコッとして機嫌がよくなり「3ゲームだけやりましょう」。ボウリング場に着くと名人は、そそくさと急いで靴を借りてくれ、「ゲーム、ゲーム」。

 さすがに彼は好きなだけあってボウリングの腕もかなりのものでアベレージ170ぐらい。しかし、この日は調子が悪かったらしくスコアも140ぐらいと、伸びない。その上、ストライクかガーターか、と言われている私にまでスコアを抜かれては名人も怒った。

 当初3ゲームだけと言っていた事も忘れ、指のマメをつぶしても「熱い、熱い」と言って投げ続ける名人。

 結局その日、ボウリング場の閉まるまでやらされたのであった。おそそ……。

不思議な取り引き

 我々若手棋士は谷川名人によくご馳走になる。「ここは私が払います」と言っても、「いやいや私が払いますよ」と名人、気前よくおごってくれる。あんまり悪いのでたまにはご馳走しようと思っても、出させてくれるのは安い店だけ。

 しかしそんな名人のやさしさを若手棋士一同ありがたく思っている。こんな名人がもし、サイフを忘れたらどうなるか、恐ろしい事だが、実はあったのである。

 先日、対局で関西将棋会館に来ていた名人、どうも顔色が悪い。

 どうしたのかと尋ねると「サイフを忘れた、小銭しか持っていない」。それでも彼の言う小銭とは7、8千円あるのだから我々とはちょっと違う。

「それでは舞人、今日は飲みに行けませんねー」と言うと名人、「いえいえ、飲みに行きましょう」。

 ツケででもいくんかなーと、思っていると「お金貸してくれたらおごります」とのこと。

 ここに世にも奇っ怪な取り引きが成立し、我々若手棋士がお金をかき集めたのは言うまでもない。

関西最強の研究会

 関西には研究会が数箇所あるのだが、そのなかでも谷川浩司名人の主催する研究会は、関西最強と言われている。

 皆はこれを「谷川研究会」略して「谷研」と呼ぶ。この谷研には、谷川名人はもとより南六段、脇六段、西川五段、井上四段、浦野四段そして私と若手棋士がずらりと並び、あと奨励会員数人からなる大所帯である。谷川研究会は、将棋を指すだけではなく忘年会や新年会それに研究会が終わった後のスナックまわりなど、将棋だけの付き合いだけではなく人間的な、親睦を深めることもやっている。

 普通名人ともなると忙しくて研究会などを主催するような事はやらないのであるが、彼は率先して若手棋士のために、一生懸命やってくれる。これはなかなかできることではない。彼の人柄が計り知れよう。それでは、お待たせしました。名人の将棋を御覧いただきましょう。

負ける時も奇麗

 内藤国雄九段が、谷川名人の将棋を評して「勝つ時も負ける時も奇麗」と言った事があるが、1図を見ていただきたい。これは先日行われた名将戦の一局で、先月も登場した「地蔵攻撃」で知られるお地蔵さま、南芳一六段との一戦。

谷川南1

 まあ、お世辞にも奇麗な形とは言えない名人の陣形だ。上部の銀3枚がアホみたいだし、ひとめ見て名人の必敗形にみえる。ここで名人の指した手は▲2三歩成。△同金寄に何をするのかと見ていたら▲2四歩とまた打った。何の事はない、一歩損である。これを棋士室で見ていた脇六段は、「何ちゅう往生際の悪い」と言ったものだ。しかし次に名人に開き直られて、おやっといった事になった。手順は△3三金寄▲4三歩成△8六歩▲3二と△8七歩成▲同玉(2図)

谷川南2

 読者の皆さん2図の名人の王様はすぐ詰みそうに見えますか?実はこれが恐ろしい局面なのである。この王様は詰むことは詰むのだが実に超難解、とても1分将棋では詰ます事ができない厄介な代物なのだ。それも、この局面で先ほどの一歩損がなければこの王様は詰まなかったというのだからもう恐ろしいなんてものではない。さすがの地蔵攻撃の南六段も詰ましそこねて投了。考えてみたら名人、奇麗に勝ち負け両方の手順を作っていたのだ。

 かわいそうなのは南君でこの将棋が終わって一言「ムチャクチャヤアー」と言って西中島へ帰って行くのであった。ここはひとつ皆さん、詰め手順を考えてみてください。

 解答は末尾に。

誰からも愛される名人

 どこで誰に名人評を聞いても悪口を言う者なんていやしない。とにかくいいヤツなのだ。将棋のほうはもちろん天下一品、人間も一級品と50年に一度出るかどうかの逸材である。私は彼にこれ以上強くなってもらいたくない。目標がどんどん遠ざかるから…。

 

〔解答〕

△7八角▲同玉△6七金▲8八玉△8七歩▲同玉△7七金▲同桂△8六歩▲同玉△8五歩▲同桂△7五銀▲8七玉△7六銀▲9六玉△8六金▲同玉△7七馬▲9六玉△9五香まで

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今の谷川浩司九段からは考えられないようなこと、あるいは現在もずっと持ち続けていること、両方が入り混じったエピソードが満載だ。

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1図からの▲2三歩成~▲2四歩は、平家物語でいえば、屋島の戦いで源義経の軍勢に対して沖の小舟に乗った平家の美しい女性が「この扇を射よ」と手招きをしたシーンにあたるのだろう。

しかし、秒読みだったので弓の名手・那須与一は現れなかった。

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谷川浩司九段のボウリングのスコアは、1990年の10月に2ゲーム(対羽生戦)で298、1991年1月に3ゲーム(関西棋士新春ボウリング大会)で473だったことが観測されている。

棋士たちのボウリング大会