若手棋士が遊びに行った家

昨日の記事で、麻雀の最中の「弱いのは見てればいいんだぞ」という言葉が、森内俊之六段(当時)の得意のセリフなのか、郷田真隆王位(当時)の得意のセリフなのか、それとも二人とも得意なセリフなのか興味深いところ、と書いたが、元・近代将棋編集長の中野隆義さんから貴重なコメントをいただいた。

「弱いのは見てればいいんだぞ」という言い方の元祖は、植山流だったと思います。まだ森内流や郷田流らがマージャンを打つようになる前の頃に、植さん・K泉さん・私めの三人で戦っていたときに、良い手が来たので上がり切ろうと突っ張り、逆にえらく高い手に打ち込んでしまった私めに向かって、植さんが「まっちゃく、もう。よえーのは黙って見てればいいんだから」と言ったことがありました。この物言いが大いに受けて、K泉さんと私めもことあるごとに「よえーのは黙って見てればいいんだよ」と真似をしまして、それらが棋界に蔓延していったものと思われます。
あ、それと、康光流が壮絶に負けた話ばかり表に出るというのは、勝った話を出してもちっとも面白くないからでしょう。

本家本元は植山悦行七段。

当時の日本将棋連盟内の流行り言葉だったということだ。

「よわいのは・・・」ではなく「よえーのは・・・」と発音すると、たしかにネイティブ感が溢れてくる。

K泉さんは、この当時、将棋世界の編集長を務めていた小泉さん。

—–

近代将棋1995年6月号、武者野勝巳六段(当時)の「プロ棋界最前線」より。

近代将棋同じ号より。

今回は植山悦行六段、中井広恵女流五段ご夫妻を埼玉県蕨市のご自宅へおたずねした。ここは情報のメッカ。何がとび出すやら。

武者野 どうも、今日は突然お邪魔しまして。

植山・中井 ようこそ。

武者野 ぼくは2回目なんだけど、ここへは若手棋士が多く集まるということなので、彼らの噂ばなしでも聞かせて頂こうと思いましてね。

植山 なにを話してもいいの。

武者野 まあ、明るく楽しいコーナーですから。(笑声) 植山君は三重県の伊勢市、広恵ちゃんは日本最北の稚内から、二人とも風呂敷包み一つで出てきてね。

植山 まあ、田舎者ですね。二人とも。

武者野 しかし、これだけの4階建てのビルを建てちゃったんですから。

植山・中井 (笑声)

武者野 うちの弟子の横山女流初段がこの前、初めてここへ来ましてびっくりしてましたよ。2億円ぐらいしたんじゃないかって。(笑声)。バブルのときじゃないから、そんなにしないかもしれないけれど、とにかく大変だよ。

植山 借金が大変。(笑声)

(中略)

武者野 うえ植ちゃんと中井さん夫妻のところはプロ棋士が遊びに来た人数が仲間内でダントツでしょう。

植山 まーぁ、そうでもないでしょうけど。

武者野 ここへ越してくる前の戸田のマンションから勘定すれば。

中井 女流棋士も入れると、やはり多いかもしれませんね。

武者野 昔、泉六段が代々木に部屋を借りていた頃は、雀荘の代わりだったものね。

植山 いやーぁ、あそこは。(笑声)

武者野 連盟が近いから、みんな遊びに来てさ。(笑声) ポンだのチーだの、ラーメン作ったり。それでも10人から30人が精一杯。たぶん、この植山家はプロ棋士が女流を含めると50人ぐらいはね。

植山 いやいや。

中井 そうねえ。(笑声)

植山 この間も大阪から久保君(新五段)が泊まっていったことがあります。やはり大阪の平藤君(四段)もありますし、阿部君(六段)は三日泊まってましたね。(笑声)

武者野 ここの前の仮住まいのときにパソコン運び込んだら、コタツの中で寝てる奴がいて、それが森内君だったり、押入れの中で阿部君が寝ていたり。

植山 まあ、やっと広くなったんで。

武者野 今度は本格的に。(笑声) 仮住まい当時にいろんなのが遊びに来ていたんだから、それだけにほのぼのとした人気がお二人にはあるんだよ。

(中略)

武者野 例のコタツ組の森内とか、押入れ組の阿部なんかは泊まった翌朝はコーヒー飲んでパン食べて、そろそろ将棋盤を持ち出してきて「この間の将棋はよー」とい話になるんでしょ。(笑声)

植山 いや、女房によく教えてくれますよ。

中井 とっても嬉しいですね。

植山 10秒将棋とか、時計使ったり。

中井 泊めてもらったから、お礼に。(笑声)

武者野 有難いことだよ、ね。昔、木見先生のところにいろんな人が遊びに来て、一宿一飯の恩義で、旅烏の棋士が内弟子の大山少年等に将棋を教えていったんだね。そういう感じに似ているね。そういう中で内弟子は育っていったと思うんだよ。

植山 有難いんですよ。私も教わってますし。(笑声)

(以下略)

—–

コタツの中で寝るのは気持ちがいい。

コタツの中に寝ている森内俊之六段(当時)というのも、ピッタリな光景のような感じがする。

—–

泉正樹七段が若かった頃の代々木の部屋での模様→雀荘マサキ