将棋世界1993年1月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 大阪」より。
飛行機に乗るのはどうも苦手で、理由は堕ちるのがコワイから。やっぱりアナタ、重たい私が宙に浮いていたら、ニュートンの法則では落ちるのが当たり前。でも現在の優秀な飛行機なら、まずそんな心配はないと思う。が、何万分の1の確率を心配する昨今、やはり世の中に大事な人間とか、運のいいヤツが同乗していれば完璧にその杞憂は吹き飛ぶ。そう、将棋界でいえば谷川竜王、羽生王座、それに最近では郷田先生なんかおいしいところ。
11月14日は”将棋の日”の仕事で青森まで飛行機を使う事になっていたが、その3人の先生も一緒と聞いて喜んで羽田へ行く。しかし、いざ動きだすとどうも苦手意識が顔を出す。
「ゴォ~」とおしりの下で何かが鳴っている。気持ち悪そうにしていると、隣の郷田君が「車輪が上がる音ですよ」と教えてくれる。いやいや、教えてくれた事より、いてくれる事が嬉しい。いっぱい将棋勝って、もっと運強なってや!
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神吉宏充五段(当時)の気持ち悪そうな様子を案じて、不気味な音が車輪が上がる音であることを伝えるところが、郷田真隆王位(当時)らしい思いやり。
それにしても、運の強い人が一緒に乗っていればその飛行機は落ちない、という感覚は、理解できるような理解できないような、とても微妙なところだ。
棋士特有の大局観なのかもしれない。
その21年前に、同じようなことを感じた棋士がいた。
将棋世界1971年11月号、故・能智映さんの第12期王位戦七番勝負(大山康晴王位-中原誠棋聖)「予想通りの白熱戦」より。
続く第2局は、8月9、10の両日、福岡県二日市温泉の「大丸別荘」で行われたが、その対局の前にちょっとした事件が起こってしまった。―全国の旅行者と、その家族をりつ然とさせた、あの連続航空機事故の波紋である。
以前、この王位戦は、北海道、名古屋、九州・・・と全国を転戦するのが特徴の一つであったが、第8期以降、事情でそれを中止していた。しかし、大の旅行好きの大山王位が「せっかく地方新聞社(北海道・中日・西日本新聞)が主催するのなら、地元でやらなくては―」との要望を出し、実に5年ぶりに九州で対局することが決まったとたんに、北海道で東亜国内航空機の墜落事故が起こってしまった。そのことは第1局の昼食休憩の時などに話題となったのだが、「まあ、二度とは起こらんでしょう」と話し合い、飛行機の切符を買ったところが今度は岩手での全日空機と自衛隊機の衝突事故が発生してしまった。
さあ、大変、今秋結婚式を挙げる中原十段は本誌9月号の石垣純二氏との対談で「中原さんは飛行機事故には気をつけた方がいい」と暗示をかけられたこともあって「まだ死にたくないですね」と拒絶反応。そればかりか、飛行機に乗りなれているはずの王位までもが「二度あることは三度ある。いつかの時もそうだったですよね」と逃げ腰になってしまった。
ただ立会人の広津八段だけは「これだけ運の強い人が二人も乗るのだから」と大船に乗った恰好だったが、もし落ちたら、ことは大変である。しかし、八方手をつくしたにもかかわらず、とうとう汽車の切符は取れず”決死の博多行き”となった。
機中でも王位は「もし落ちたら、それみろと笑われるよ」と、一行をおどかす。それに答えて広津八段は「落ちたら、みんな喜ぶよ。だってタイトルがみんな空き屋になるもの」と穏やかでない冗談をいう。―主催者側として、このわずかな時間がなんと長く感じられたことか。
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能智映さんは三社連合の名物将棋担当記者だった。
広津久雄八段(当時)も「これだけ運の強い人が二人も乗るのだから」という大局観。
当事者(運が強いと言われている二人)は、そのようなことは微塵も考えていないのが面白いところ。
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21年を経ているが、二つの文章で話題となっているのが、郷田真隆王位、大山康晴王位、という王位つながりであることも、偶然とはいえ、不思議な感じがする。