近代将棋1991年6月号、甲斐栄次さんの第14回若獅子戦1回戦第5局〔森内俊之五段-郷田真隆四段〕観戦記「皮一枚で首をつなぐ、森内の玉」より。
甲斐栄次さんは、甲斐智美女流四段のお父さん。
前にも触れたけれど、若獅子戦の試合開始時刻は午後1時である。森内俊之五段と郷田真隆四段が盤を挟んで正座したのは、5分ほど前だった。
「おめでとう」
顔を合わせるなり、いや郷田がぼそっと祝いの言葉を掛けることによってはじめて顔と顔が向き合ったというのが実のところだ。
「ありがとうございます」
と、即座に森内が軽く会釈する。
二日前、C級2組の順位戦最終局がいっせいに戦われたが、森内は首尾よく勝って通算9勝1敗の好成績をあげ、C級1組への昇級を決めたのである。
「何時頃終わったの?」
と口を挟んできたのは向こうで対局中の有森浩三五段である。
「2時半・・・」
森内は軽く微笑む。
もちろん午前の2時半のこと。気力と体力を振り絞って闘ったことが推察される遅さである。
「誰かいた?」
たまたま居合わせた大野八一雄五段が加わってきた。
「いえ、だれも・・・」
また森内は静かに微笑む。
対戦相手と二人だけの感想戦を終え、誰に祝福されることもなく家路についたわけだ。
「それが正解なんだよな」
と有森。
「一人淋しく・・・」
大野が調子を合わせる。
(中略)
定刻、午後1時。「時間になりました」と記録係勝又清和二段の声が掛かり、森内の微笑が、ふっ、とやんだ。
しきりと口元を引き締め、凛呼たる駒音を鳴らし、いざ、▲7六歩。
(中略)
郷田は本棋戦初登場である。
昭和46年3月17日、東京都生まれ。3日後にちょうど20歳の誕生日を迎えるフレッシュ・マンだ。
172センチ、57キロ。血液型はO型。座右銘は「天真爛漫」。好きな色「空色」。今一番欲しいもの「募集中です」。健康法は「よく寝ること」―以上は将棋年鑑のアンケート調査から。
平成2年度、つまり棋士になって最初の一年の対局はまだ全部消化したわけではないが、目が醒めるほどの活躍ぶりである。今日の対局を迎える時点で39勝11敗。勝率7割8分は実に全棋士中トップだ。
とりわけ衆目を集めたのが棋聖戦。トーナメントの決勝にまで昇りつめ、あわや屋敷伸之棋聖との10代同士のタイトル戦出現かと気をもませた。(森下卓六段に敗退。森下、棋聖位奪取ならずは周知の通り)
アイドル歌手と見まがいそうなきりりとした目鼻だち。そういえば、いつぞや女流の清水市代三段が、将棋雑誌に載った彼のグラビア写真に見入りながら、さかんに「可愛いな」を連発していたっけ。
もっとも新人王戦で二人が対戦する少し前のことだったから、この少年をどうやって(盤上で)攻略してやろうかとのポーカー・フェイス的表現だったといえなくもないが―
森内との対戦は、奨励会時代を除けば三段の時に新人王戦で一度だけ。四段に昇ってからは初顔合わせである。
(以下略)
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これから後に数多く戦われることになる森内-郷田戦の第1局目は、「おめでとう」から始まった。
「おめでとう」とぼそっと言うところが郷田真隆四段(当時)らしいところ。
当時の二人の関係なら「ありがとう」と言いそうなところ、「ありがとうございます」と丁寧に返すのも森内俊之五段(当時)らしさ。
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森内俊之五段(当時)がC級2組順位戦最終局で昇級を決めたときの対戦相手は丸山忠久四段(当時)。千日手指し直しの末の勝利。
この期、順位戦一期目の郷田四段と丸山四段、畠山鎮四段(当時)、畠山成幸四段(当時)とも6勝4敗の戦績だった。