「将棋界のマッチ」

近代将棋1986年4月号、池崎和記さんの第9回若獅子戦〔阿部隆四段-浦野真彦四段〕観戦記「大型新人、阿部四段登場」より。

 関東の羽生善治四段(15歳)と並んで、将来の名人候補の呼び声の高い阿部隆四段(18歳)の登場だ。昨年6月に四段になったので今期順位戦には参加できなかったが、この4月からスタートする第45期順位戦(C2組)では期待通りの活躍を見せてくれると思う。

 関西が生んだ久々の大型新人。もちろん本誌初登場である。関西棋界では”強気のアベ”と喧伝されている。こと将棋に関しては一歩も譲らないと聞いたことがある。

「阿部クンは、言っただけのことはちゃんとやってるからエライよ」

 と、ある先輩棋士。”強気”は(こう言われるのを本人は気にしているようだが)自信の表れなのだから、もっと胸を張った方がいい。第一、阿部はそれを支える人一倍のものを持っている。その名は「努力」。何てったってまだ若いのだ。花が開くのはこれからだ。

 対戦するのは”将棋界のマッチ”こと浦野真彦四段(21歳)。写真でもおわかりのように、棋士ではめずらしいハンサム・ボーイ。

 この人は”詰将棋の名手”としても有名で、最近『杖将棋パラダイス』(2月号)に115手の煙り詰(作品名「雪姫」)を発表した。

 浦野が詰将棋の世界に入ったのは4年前、奨励会二段の時である。将棋が全然勝てず、そこから逃れるようにして古今の名作詰将棋を解き出したのがきっかけだったという。煙り詰(盤上39枚の駒が手順を追うごとに消えていき、最後には玉と攻め方の駒2枚だけになる)といえば、伊藤看寿の図巧九十八番が有名だが、現代作家の中にも傑作は多い。

「駒場和夫さんの『父帰る』を見て感動しまして…。これがケムリを作り始めた動機です。実は『雪姫』の他にももうひとつ完成作品があるのですが、まだ発表していません。『雪姫』は2作目。完成に3年かかりました」

 と浦野。『雪姫』の評価が出るのはこれからだが、夢の中で余詰の研究をしたことがあるというから驚く。作品名の由来は?と聞くと「雪が少しずつとけていくイメージから」という返事。詰将棋にもいろんなジャンルがあるが、浦野が取り組んでいるのは長編である。詰棋界では”構想モノ”と呼ばれている。

「生涯で、たった一作でいいんです。歴史に残るようなケムリを作りたい」

 『雪姫』は、その夢を実現するための大いなる第一歩といえるかもしれない。

(中略)

 いま、関西若手棋士の間で静かなるブームとなっているのが、トランプとマージャンと囲碁。トランプは奨励会員を中心に大流行。マージャンは浦野、森五段など。囲碁は最近はやり出し、脇六段や児玉六段が筆頭株主。

 ギャンブルといってもたわいないもの(レートはきわめて低い)で、むしろゲームそのものを楽しむ方に重きをおいている。たとえばマージャンだが、リーチ一発もなければ、カンウラもヨコもない健全ルール。ギャンブル性を極力排除しているのが特長で、この新ルールを確立したのが浦野と森である(この2人は同じ詰キストとあって仲がいい)。読みと読みの勝負になるから、こうなると棋士は強い。旧ルールで威勢のよかった某連盟職員氏などは惨敗の連続で「もう棋士の先生方とはマージャンはしません!」と引退宣言をした、と最近聞いた。

 プロになって間もない阿部は、奨励会員相手のトランプ組だ。大貧民ゲームが好きと聞いているが「ページワンとかナポレオンはルールが複雑で覚えきれないから、できない」という説がある。しかし、これで良し。面白すぎるゲームは、本業(将棋)の妨げになるから深入りしてはいけない。

(中略)

 浦野と阿部は、私の師匠(駒落ち将棋)である。両センセイに正式に”弟子”と認めてもらったわけじゃないけれど、私は勝手に決め込んでいる。

 以前、阿部に関西将棋会館の道場で飛車落ちを教えてもらったことがあり、その時、阿部の教え上手に感服した。指導将棋では異例の、1時間ぐらいの感想戦だった。「ここはこう」「こう指せば上手が困りますね」とか一手一手の解説が実にていねい。”強気の阿部”とはほど遠いやさしい指導だった。プロには厳しく、アマにはやさしく―これが阿部の信条なのだと思った。この時から私は、阿部のファンになった。

 浦野センセイは、まったく正反対。個人的に親しいせいもあるが、センセイは実にキビシイ。「二枚落ちでも相当キツイんじゃないですか?」などと脅しをかけてくるから、こちらは戦々恐々。二枚落ちの戦績は…これは私(アマ三段格)名誉のために書かないことにしよう(センセイはいま「次は四枚落ちに追い込んでやる!」と息まいています)。

(中略)

 観戦記者は、あんまり盤側にヘバリついてはいけないというのが、対局室での暗黙のルールである。横でウロウロしていたら対局者が読みに集中できないからだ。

 観戦記は一種のルポルタージュ。ならば、棋士の一挙手一投足を最後まで観察するのが本筋、という人がいるが、私はそうは思わない。プロゴルフの、グリーン上のギャラリーのマナーと同じで、傍観者の何気ない動きが棋士の読みを狂わすことがあってはいけないのである。

 もうひとつ。これは他でも書いたのだが「観戦記を女性が担当すれば棋譜がゆがんでくるだろう」というのが私の考えである。ゆがむ、というのは決して悪く、という意味ではもちろんない。たとえばの話。本局を菊池桃子チャンが観戦すれば、阿部クンは「平常心」で駒を動かすことができるだろうか。ちなみに阿部クンはモモコの大ファンで、彼の定期入れには彼女のブロマイドが2枚(!)入っている。

(中略)

 関西に、その名も「関西新聞」という日刊紙がある。将棋連盟関西本部所属の奨励会員たちの熱戦譜が、自戦記スタイルで毎日掲載されているのだが、これが抜群に面白い。彼らの本音が生き生きと書かれているからだ。

 その中で、最近とくに目を引いたのが藤原直哉君(三段)の自戦記。自戦記を銘打ってあるものの、棋譜の解説はほとんどなく、プロ棋士になるために、もがき、苦しみ、戦っている奨励会員たちの日常が、さりげなく、しかも抑制の効いた乾いた文体で見事に活写されている。さりげなく、というのはあくまで藤原君のレトリックによるもので、したたかに計算された文章であることがわかる。私は藤原君を知らないけれど、とてもナイーブな感性をもった青年なのだろう。読後、サリンジャーの一連の作品を思い出したほどである。ここに紹介できないのが残念だが、奨励会にこれほど文才のある人がいるとは思いもしなかった。藤原君よ観戦記者にならないか。

 おーっと。また脱線してしまった。

(以下略)

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近藤真彦さんが飛ぶ鳥を落とす勢いの頃だったので、真彦といえばマッチ。

写真を見ると、観戦記に書かれているとおり、浦野真彦四段(当時)がジャニーズ事務所に所属していても不思議ではない雰囲気を放っている。

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煙り詰「雪姫」は、浦野四段が村山聖三段(当時)に検討(余詰めがないかなど)を頼んでいる。

村山聖四段(当時)「いまはちょっとまずいです。反対側から行きましょう」

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「観戦記者は、あんまり盤側にヘバリついてはいけないというのが、対局室での暗黙のルールである。横でウロウロしていたら対局者が読みに集中できないからだ」

盤側にずっといたら、手の良し悪しなどが感想戦までわからないということになるし、控え室での検討も聞くことができないし、ずっと座っているのも大変だし、更には池崎さんが書いているとおり「何気ない動きが棋士の読みを狂わすことがあってはいけない」ということも気をつけなければならない。

観戦記者が盤側に張り付きっぱなしではない理由はこのようにいろいろとある。

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藤原直哉七段の書く文章は自戦記も随筆も非常に面白く、奨励会時代からその才能が発揮されていたことがわかる。

藤原七段の自戦記→五つ星の自戦記

藤原七段の随筆→藤原直哉五段(当時)「奥さん、一緒にラーメンの汁をすすりませんか」