羽生善治棋王(当時)が副立会人の名人戦の夜

昨日の記事に、元・近代将棋編集長の中野隆義さんからコメントをいただいた。

負けちゃった棋士は皆、燃やし損ねた闘志を持っているんですね。素人考えでは、次の対局に回せばいいのにと思うのですが、どうもそうはいかないもののようです。おそらく、燻った闘志のエネルギーがあまりにも高いので、とても何日も持ち続けられないのでしょう。そこで、何らかの解消法を探すわけです。
負けた棋士とのマージャンに、初めてお付き合いしましたとき、うまく慰めて上げられたらいいななどと思って卓についたのですが、これがとんでもない思い違いでして、座ってすぐに、うっかり素で向かい合うと瞬時にジュッと融かされてしまうほどのエネルギーを感じたものです。
慰めて上げるなんてとんでもない、うっかりしてるとこっちが丸焦げにされちまうと気づき、座り直して腹に力を込めました。
マージャンがお開きになるのは、持ってきた闘志がきれいに燃え尽きたときです。

なるほど、そういう世界なのかと、非常に納得ができる。

今日は、名人戦の日の夜の話。

近代将棋1991年7月号、故・池崎和記さんの「福島村日記」より。

某月某日

 名人戦第3局取材のため、福岡の二日市温泉へ。

初日の夜は森九段、羽生棋王、先崎五段とマージャン。レートが恐ろしく高い(通常の二倍。途中から四倍になった)のでビクついたが、中原名人が横で観戦しているので、つとめて上品に打つ。二日目の夜もマージャンになり、今度は羽生さん抜きの三人マージャン。

 私は、本当は酒を飲みながらバカ話をするのが好きなのだが(美人と二人きりなら、なお良い)、将棋界ではタイトル戦が終わるとマージャンかモノポリーと相場が決まっていて、私が望んでいる至福の時間はまずやってこない。誘いを断れない軟弱な性格は直さなければ・・・と、いつも思いつつ今日に至っている。

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この時の名人戦は、中原誠名人-米長邦雄九段戦で、第3局は中原名人が勝っている。(この期は中原名人が4勝1敗で防衛)

森けい二九段は立会人、羽生善治棋王(当時)は副立会人、池崎さんは将棋マガジンでの取材。羽生棋王は池崎さんの記事の解説役もしている。

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たしかに、一日目、夕食会→地元の温泉の居酒屋あるいはスナック→締めにラーメン、

二日目、打ち上げ→地元温泉のスナック→ハシゴして別のスナック→締めのラーメン

というのが、飲ん兵衛の人にとっては自然な流れだ。

ちなみに、二日市温泉にある主なスナックは次の通り。

「おおぎ」、「スナックピエロ」、「すなっくわかば」、「スナック信」、「リンゴの木」、「スナック華華」、「瑞峯」。

私は温泉街のスナックには一度も行ったことはないのだが、旅情豊かな雰囲気がして、かなり気になる存在だ。

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羽生棋王は、この時のことを次のように書いている。

将棋マガジン1991年8月号、「羽生善治の懸賞次の一手」より。

 福岡で行われた名人戦第3局の副立ち会いをしました。

 初めての経験で、しかもこんなに早くやることになるとは。ただ、こういう機会でないと、名人戦を間近に見ることができないので、楽しみでした。

 対局者と違って、割合のんびりした感じ。開始や休憩の時に立ち会う位で、大盤解説をするのが私にとっては主な仕事でした。

 中原、米長両先生は、場慣れしているというか、どういう動作をしても板についています。さすがだなと感じました。

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羽生善治三冠が副立ち会いを務めたことがこの対局以外にあるのかどうかは分からないが、羽生棋王はこの直後からタイトル戦常連となりはじめるので、もしかすると、羽生副立会人というのは、この一局だけという可能性も高い。

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それにしても、中原誠名人が、羽生棋王や以前に名人戦で死闘を繰り広げた森九段の麻雀を見ているという光景は、想像しただけでも超豪華、凄いと思う。