棋士の手と指

近代将棋1991年1月号、林葉直子女流王将(当時)の「直子の将棋エアロビクス」より。

 「やめろ!」 「やれ!」

というより、

 「やめてン」 「やって!」

というほうが、響きがいいし色気がある。

 そうしたことを意識した結果かどうか知らないが、「ら」行で終わる命令調は専ら男性が使い、「・・・てぇン」と鼻にかかったお色気調で終わる言葉は女性の専売特許である。つまり、女性にとって、「て」という語尾は男性攻略のかけがえのない武器なのである。

 「あれ買って・・・」「これ買って」「ああして」「こうして」etc・・・

と、まあ、このように言葉の語尾に「て」をつけ、鼻にかかって甘く発声すると、たいていの男は、「おおそうか、よしよし・・・」と陥落してしまうものだ。

 言葉における「て」もさることながら、肉体における「て(手)」も、女性にとっては大きな武器である。

 よく小説なんぞで”彼女の白魚のような手は彼をひしっと両手で握りしめた”などという表現をみるが、手は、女性にとって、男性を惹きつける目立たないチャームポイントなのである。

 たとえばこんな場面を想像してほしい。

「ジョージ、ね、こっちを向いて・・・」

 彼女が彼の頬を両手ではさみ、こちらを向かせる・・・。

 この場面のとき、彼女の手がうす汚れていて節くれだち、爪の先に黒い垢なんぞためているとしたらどうだろう。いっぺんに興ざめしてしまうに違いない。

 女性の手は、あくまでしっとりとしていてしなやかでなければならないのだ。

 では、かくいう私の手はどうか・・・。

 私の口から自分の手のことをとやかく言っても客観性に乏しいので、某女流棋士の言葉を借りることにする。

 数年前、NHKのTV番組”女流棋士お好み対局”の録画を私と彼女で見ていたときのことだ。

 テレビは私と中井広恵女流王位を写し出している。

 二人の指先がアップになる。

 中井女流王位の手は、色が白く指がスラリと細くて長い。小説の中に出てくる女性の手は、おそらくこんな手だろう。

 かたや、私の手は・・・。

「ぶっ!」

 某女流棋士は口を押さえて笑った。

「なによ!」

と、頬をふくらませて私。

「直ちゃんの指って、ふとーい」

 彼女が画面を指さす。

「あのネ。テレビってね、実際よりも太く写るものなのよっ」

 私は必死で弁解する。

 しかし、彼女はいっこうに私の説明なんか聞いているふうはない。

「イヤだ。指だけ見たら、加藤一二三先生と間違えられるんじゃない?あはははは」

 彼女は喉の奥まで見せて笑い転げた。

 な、なんということを!

 そりゃ、私の手は、ずんぐりぷっくらしていて丸っこいわよ。

で、でも、加藤先生のように毛は生えてない!(ゴメンナサイ・・・加藤先生・・・)

 ナイーブな私は、彼女の一言によって、心に深い傷を負った。

 そのときからだ。私の目がすぐに他の女流棋士の手と自分の手を比較して見るようになったのは―。

 その結果、私は全女流棋士の中でも最も形が悪く品のない手であると自覚するに至った。しかし、それはそれでしょうがないと思った。

 全女流棋士といったって、日本中の女性の数から比べれば、ノミのウンコ(たとえからして下品!)ほどもない。その中で一番ヘンな手をしているからといっても、全女性の中で比較すればそれほど悲観するほどでもないかもしれない・・・。

 ましてや、私は女性である。

 女性の手は、やはりなんといっても男性とは違う。

 無骨なゴツゴツした手に比べれば、ほっそりしっとり柔らかそうであることは間違いない。

 男性の目から見れば、私の手だってやはり女らしい手に映るに違いない。

 あきらめのいい私は、自分自身をそうなっとくさせて、心の深傷から立ち直った。

 ところが―

 手を比較して見ることに慣れてしまった私の目は、見てはならないものを見てしまったからだ。それは名人戦の衛星放送だった。今までの私は、将棋の番組といえば、画面に映し出される局面だけにしか目がいかなかった。

「ああ、中原先生が優勢だな」「さすが、谷川先生、すごい手を指すな!」といったぐあい・・・。だが、習慣とは恐ろしいもので、いつしか私は局面を見るより先に、お二人の手許のほうを見ていた。

 画面に将棋盤が大きく映し出される。

 画面の上からおもむろに手が出て、スーッと駒を押し進める。

 まあ!私は思わず絶句する。

 ほんのしばらくして、画面の下から手が出て、やはり重々しく駒を押し進める。

 まあ!私は再び絶句する。

 こ、これが、だ、男性の手!?

 画面に映し出された中原、谷川両先生の手のきれいなこと!女流棋士の中にもこんなにきれいな手の持ち主はいなかった。

 数日後、私はテレビ画面だけでは信用できず、お二人と個々にお会いし、さりげなく、その手を観察させていただいた。

 ああ、なんということだ!

 実物の手は、テレビよりももっとしなやかで美しかった・・・。

 それ以後、私は男性棋士の手にも注意するようになったが、どの先生方もおしなべてみんなきれいな手をしているではないか・・・。

 さあ、どおする、直子。「て」は女の武器というお前の持論はどうなるんだ、ン?

「ま、待って・・・。そ、そんな恐い目で見るのはやめて!どうせ、私の持論なんかいい加減なものよ。笑って・・・、さあ、て、てっていてきに笑って!」

 せめて、言葉の「て」だけは女性のものとさせといてーっ!

 と願う、林葉直子でした。

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棋士の手や指や腕があまりにも美しい、という感想をよく聞く。

特に女性は、男性の腕や手や指に対する感応度が高いという統計(マイナビニュース)もあり、林葉直子女流王将(当時)がこのように感じたのも、当然の成り行きだったと言えるだろう。

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私も高校1年の夏休み前までは、非常に美しい指だった。

美しい指だったのだが、当時、私は高校の天文研究会に入っていた。

望遠鏡などの光学機器に興味を持っていたので、モノクロの天体写真も自分で現像した。

まずは、フィルムの現像(現像液→停止液→定着液)、そして印画紙の現像(フィルムと同様の流れ)。

現像液は強烈なアルカリ性、停止液は氷酢酸なので酸性、停止液もインパクトのある化学物質、手には直接触れないようにはしていても、そこは幼い技術、ずいぶんと手に付着していたようだ。

夏の終わり頃には、手はぶよぶよにふやけ、10本の指の指紋が消えていた。

しばらくすると指紋は復活したのだが、高校2年の時も懲りずに同じ事の繰り返し。

そのようなことを経て、今から考えると美しかった指や手は、普通の状態となっていた。

私が高校1年の一学期にマイナビのニュースを見ていたら、もっともっと慎重になっていただろう・・・

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私の手は、親指よりも薬指のほうが明らかに長い。

ネットで調べてみると、人差し指よりも薬指のほうが長い男性は”肉食系”だという。

その逆は”草食系”。

あまりよくはわからない。

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足の指も調べてみた。

私の足の指は、親指よりも人差し指のほうが長い。

日本人では25%だという説もあるらしい。

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大学時代、統計学の権威と言われた教授の授業(必修)を履修した。

単位を取るのに2年かかったが、その中で覚えているのは、「全ての内臓の大きさが標準的な人はほとんどいない」ということだった。

なるほど、そういうことなのか。そう思った。

全ての分野で真ん中を取り続けるというのも非常に難しい。

みんなデコボコがあるのが自然な姿ということだ。