名人戦、盤上を覆う虫たち

近代将棋1995年6月号、中井広恵女流五段(当時)の「棋士たちのトレンディドラマ」より。

 4月8日、名人戦60周年を記念して、名人戦フェスティバルが全国各地で行われた。

 棋士、女流棋士、将棋連盟の職員が総出で数人ずつに分かれてお手伝いさせていただいた。

 毎日新聞社をはじめ、富士通、NTTにもスポンサーとして協力いただくことができた。

 私は仙台へ行かせていただいた。主人は池袋の会場だったので、後で聞いてみると池袋会場だけで千人以上の人が足を運んで下さったのだという。

 やはり、将棋ファンあっての将棋指し、いくら良い将棋を指しても、見てくれる人がいなければ何もならない。

 それにしても、全国で述べ1万人以上もの人達が将棋を見に来てくれるなんてこれこそ棋士冥利につきるというものではないだろうか。

 衛星回線を使って、同時に指し手を解説し、指した手にファンの方々がため息をついたり感動したり―。

 本当にうらやましく思う。

 仙台へは中原永世十段、原田泰夫九段、地元の大友昇八段、中川大輔六段、佐藤秀司五段が一緒だった。

 多面指しの指導対局、そしてメインの大盤解説へ。

 中原永世十段はA級順位戦で挑戦者決定戦までいき、あと一歩のところで森下八段に敗れて挑戦権を逃しており、その対局に勝っていれば京都の対局場の方で羽生名人と戦っていたわけで、もちろん仙台のファンの人達もそれを望んでいたことだろう。

 そのへんのことも大盤解説の中の会話でふれられ、苦笑されていた。

 仙台の会場は9時半迄しか使用できなかったため、終局までお伝えすることができなかったが、局面は森下八段が殆ど勝利を手中に収めていたので、多分森下勝ちと明日の毎日新聞の朝刊に載ってることでしょうと締めくくって解説会を終えた。

 ところが、打ち上げの席で結果を聞くと羽生名人の勝ちだという。

 これには解説会にいらしていた方、テレビで衛星放送をご覧になっていた方も驚かれたことだろう。

 私もよくいい将棋を終盤間違えて逆転負けをするが、森下八段ほど強い人でもああいう見落としをするんだなぁと、ビックリしてしまった。

 聞けば、夕方から将棋盤のところに小さな虫がいっぱい集まって、対局中それを振り払うシーンがかなり見られたという。 将棋に集中していれば気にならないものでは・・・と思われる方もいらっしゃるだろうが、目かくし将棋と違って、視野を遮られることが一番集中力をかく原因ともなる。

 これが大逆転につながる要因となったかどうかはわからないが、また一つのドラマが生まれた。

 こういう大きなタイトル戦での出来事は、観戦記やその場にいた人達の話などで必ず後世へ残される。

 その昔から数々の名局、迷局?が語りつがれている。

 先日、升田九段の番組がテレビで放映されたが、その時にあの有名な「陣屋事件」のシーンも再現された。

 私も王将戦が昔指し込み制で、升田先生が名人を指し込んだという話は聞いたことがあったが「陣屋事件」そのもののいきさつは知らなかったので、テレビに見入ってしまった。

 升田先生には二度ほどお目にかかったことがあったが、一度は兄弟子の米長九段のお宅にお邪魔した時で、

「最近は女性も将棋が強くなりましたよ」

という兄弟子の言葉に、

「女は抱きごこちが良ければいいんだ」

と怖そうなお顔で一言おっしゃったのが印象に残っている。

 ああ、あの先生が棋史に残る数々の逸話を作った凄い方だ・・・と感動すると同時に、映画にもなりそうなその番組に、あらためてやはり将棋というのは絵になるんだなあ・・・と嬉しくなってしまった。

 棋士は棋譜を残して後輩達に将棋を伝えるが、それだけではなく観戦記者の方がその場の状況をちゃんと筆に記してくれるから、臨場感のあるその場の雰囲気をいつの時代でも知ることが出来る。

 升田先生のあの有名な「錯覚いけないよく見るよろし」

の名言も、そばにいらした方がちゃんと記憶していてくれたからこそ、棋譜をみて、ああこの手が升田先生が見落とされていた手か・・・というのがわかるのだ。

(中略)

 この名人戦第1局もこれまで同様何年、何十年と語りつがれるだろう。

 ただ、昔と少し違うのは、ファンの方の中に女性がいらっしゃるということ。それから時間を待たずに、その将棋を知ることが出来るようになったということだ。

 次の日、仙台から戻り、主人と東京ドームへ野球を見に行った。いただいたチケットを見ると、一枚五千数百円と書いてある。

 野球観戦がこんなに高いとは思わなかった。

 これなら、名人戦は一万円でも高くないなと感じた。

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たしかに、虫が将棋盤に集まって来なければ、森下卓八段(当時)は△8三桂と手順前後することなく、勝てていたということも十分に考えられる。

何事もなく対局が進行したケースに比べて、虫たちが何らかのメンタル面での悪影響を及ぼした可能性は否定できないだろう。

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あれは1979年の夏だったか、封切られたばかりの「エイリアン」を渋谷の映画館で観た。

人間の腹部を食い破って外に飛び出すエイリアンが衝撃的だった。

映画の後は食事。

私はハンバーグを頼んだ。目の前には一緒に映画を観た女子大生もいる。

このような好条件であったにもかかわらず、ハンバーグを見るとエイリアンのシーンを思い出してしまい、食欲がどんどん減衰していった。

エイリアンを観た後にハンバーグを頼むこと自体がそもそも大悪手なのだが、エイリアンが私のメンタル面に及ぼした影響はそれなりにあった。

エイリアンは映像の世界だからまだしも、あれが本物だったら・・・

将棋盤に数えきれないくらい集まってきた本物の虫たち、その状況は非日常の世界であり、リアルで見たインパクトは結構あったのではないかと思う。

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ちなみに私は、羽のある虫もやや苦手だったが、何と言っても子供の頃からミミズが大の苦手だった。

あのニョロニョロした感じがたまらなくダメだった。

もちろん毛虫も大の苦手だ。

ナメクジやカタツムリも同様。

虫ではないがカエルもダメ。

触ることができた虫は、蟻とコオロギとトンボくらい。

私が小学校低学年の頃までいつも一緒に遊んでくれていた隣家の5歳上のお兄さんがいた。

私が将棋を覚えたのも、この人からである。

が、幼稚園の頃など、たまに、私を怖がらせようとして、ミミズを持って私を追いかけまわすようなこともあった。

泣きそうになりながら逃げたが、きちんと手加減をしてくれていて、私にミミズを触らせるようなことは一度もなかった。

このことが教訓となり、私は小学校に入った時、自分がミミズや毛虫やカエル等が苦手であることは絶対に誰にも話さないようにしよう、と心に誓った。

おかげで、小学校、中学、高校時代と、ミミズでいじめられるようなことは皆無だった。

私が安心してミミズが苦手と公言できるようになったのは大学に入ってからだ。

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私が子供の頃、兄のように慕っていた隣家のお兄さんは、将棋のみならず、五目並べ、囲碁も教えてくれた。

その中で唯一、負け続けていても面白いと感じたのが将棋だった。

駒それぞれに特徴があるのが魅力だったのかもしれない。