近代将棋1994年5月号、「棋士インタビュー 窪田義行新四段の巻 個性発揮でレッツゴー」より。
昇級おめでとう。最後まで頑張ったようですね。
「ぼくは三段リーグでも一、二を争う悪粘り(笑い)なんです」
窪田さんは最終日を迎えて、四番手にいた。上記が崩れればチャンスがころがりこんでくる立場だ。そういうふうに自分をもっていきましたか?
「いっさい星勘定をしないと、決めてました(先輩棋士からアドバイスがあったらしい)。(一番手の)S君は一局目競争相手が負けたとき、より、と大声で言ったらしいですが、相手の星を気にするのは良し悪しなんです。相手が負けても勝っても、へんに意識が入ってよくないと思います。ぼくは自分のことだけ考えるようにしていました」
ということは、2連勝しようと・・・。
「ハイッ。2連勝して結果を待つというつもりでした」
彼のハイはとても大きくはっきりしている。対局場で先輩棋士に答えるときの返事そのままである。やや日常会話には大げさかなという気がしないでもない。奨励会時代に受けた教育が身に染みているのだろう。三段リーグは5期目だ。2期目にもチャンスがあったのだが、終盤戦の錯覚でフイにしている。
「あれは相手に詰みがあったのに、詰まないと錯覚したんです。(相手の)持ち駒に銀があると思い込んで・・・。それで受けに回ったんですが、すでに受けが利かない状態だった・・・」
あまりしゃべりたくないようだったが当時の記事を見ると5手詰のトン死だったようだ。これで昇段が消えた。その後の成績を調べて見ると。
8-10、9-9
この数字で彼のショックが察せられよう。今回は最上位のS君が2連敗したが彼はこんな表現で応えた。
「実力は伯仲ですが(ぼくとは)ここの違いがあったようです」
と胸のあたりをたたいた。心臓の強さか、心の在り方の違いか・・・。たぶん、後者のような意味であろう。冒頭の競争相手が負けたときのS君の表現の仕方に懐疑的な気持ちがあったからか。
「これはある人にも、気にするなと言われたことなんですが、ABCの3人が競争相手で争っているときのこと。AがBに言ったんです。ちょっと取引を思わせる話を聞いて許せないと思ったことがあるんです」
あまり美しくはないけれど、勝負の世界だからあってもおかしくないでしょうね。許せない、というほど重大ではないような気がするけど・・・。あなたが関わっていないのなら、気にしないほうがいいと思いますよ。
「そうですか。ぼくは気になりますね。汚いことにはどうも腹が立ちます。それから挑発してくる奴には私怨を持っているんですが、それはどうでしょうか」
挑発、私怨ということばが穏やかでないので事情を聞いてみると・・・。疲れていた彼が控え室で寝転がっていたら、そのとき某若手四段が、こいつファミコンばかり10時間もやっているものだからと、からかい半分に言って来たそうだ。ほかにも例を聞いたが、彼はバカにされたような言動には敏感に感受するようだ。ことばによってひどく傷つきやすい面もあるが、逆に自分が鋭いことも発言するから、知らずに相手を傷つけることもあるんじゃない。
「そう、ですね。あるでしょう、ね」
これまたあっさりと肯定する。激しやすいが案外冷めやすいのかもしれない。
四間飛車一辺倒
尊敬する棋士に、大山十五世名人、森安九段をあげていますが・・・。
「ぼくは四間飛車党ですので。あ、小林八段も、です。玉を固めてあとは豪快に戦えるところがいいですね」
プロ棋界は矢倉が主流みたいなところがあるが、やったことはないですか。
「アマチュアのころ、奨励会に入ったころはやっていました」
(中略)
居飛車と相振りは似ているのかな。
「とにかく居飛車をやっていたが、四間に急戦で行ってもなかなか潰れない。そうかといって矢倉をやると△6九銀と掛けられるともう堪えられないような。そこへ行くと振り飛車は駒がぶつかってから一手の価値が大きくなるでしょ。安定感があってその上、振り回しが利くのが魅力です。
大山、森安、小林の違いは?
「小林先生は研究されて洗練された感じです。森安先生は豪腕、筋力の力で弾き返す。大山先生は盤上盤外でなんとなく強さを醸し出すような・・・。剣豪なんかの試合に例えると、小林流は剣か槍の正統派、森安流は筋金入りの六尺棒を振り回す、大山流は陽の光を背にし樹木を楯に天然自然を全部使うような試合をする」
振り飛車の研究はどういうふうになるのかな。
「まず四間飛車と名の付く本は大抵研究しました。四間飛車をやる以上、妙な手で負けてそれは知らなかったとは言いたくないですからね。とくに小林先生のスーパー四間飛車や所司先生の徹底シリーズは調べました。でもぼくが一番感動したのは森安先生の実戦で、△4三金と上がる手」
それは大山名人がやったんじゃない・
「ええ、でも大山先生のは早めに備える意味で、森安先生のは強くはね返すんです。渋い手も非常に感動したのがずいぶんあります。
先人のをなぞるだけでは大成しない。自分のオリジナルを表現しないとね。窪田さんは大いに個性的であるから、その点は期待できそう(笑い)。
「その個性的というの、いいですねー。(笑い)そう言われるの、とても嬉しいです。ぼくらの世界ではよく言うでしょう、ふつうの手と。ここは、ふつうはこう指す、とか。ぼくはあれは違うと思います。プロにふつうの手なんてない。実生活ではふつうの手が当たり前ですけど・・・。将棋ではふつうではない手を指したい」
それがプロでしょうね。文章の世界でも、いかにふつうじゃない表現にするかが勝負ですからね。公式戦の棋譜は全部調べますか。
「四間飛車で綺麗所(上位と若手強豪)はほとんど並べます。ヴェテランの方の棋譜も目を通しています」
たくさん稼ぎたい
仲のいい人は?
「ぼくはあまり酒も飲まないし麻雀もやらないし競馬もしないせいか、グループみたいなのはありません。でも、三浦君(四段)なんか夜中でも電話して話したりします。それから将棋は10年くらい前から岡崎さん(四段)に指してもらっています」
どんなことをしゃべるの。
「先日は大山名人の将棋観についてお互いの感じ方をしゃべったり、。勝負するときのこころ構えとか・・・」
案外真面目なことをしゃべっているんだねえ(笑い)。ナポレオンの、勝負は最後の5分にありが好きなことばとか。
「ぼくはナポレオンを私淑してまして、この間も八王子の大ナポレオン展に行ってきました。彼の帽子がありました」
あなたの棋風をナポレオンふうに言えばどういう表現になるのかな。
「皇帝を守るべき近衛兵を前線へ派遣するような・・・。左金を前へ出すのが好きなんです」
銀は歩越しでもバックしやすいけど、金は難しいでしょ、戻るのが。それに相手の銀と交換になったら損だし。
「ええ、ですから、金で相手の駒を押さえこむような戦いにしたいんです」
なるほど。大山、森安、小林とも違う窪田流の振り飛車が見られそうだね。ところでプロではどのへんまで活躍したいですか。
「なにしろ、たくさん稼ぎたい。高校も私立へ行かせてもらって親に辛い目にあわせたので、早く稼ぎたいです」
お父さんの仕事は。
「水道局に務めています」
奨励会にいたときはさぞ、気持ちが焦ったでしょうね。
「ええ。このままあと5年10年やるなんて事になるなどと思って、一瞬息が凍って止まりそうになったこともありました。才能あってもチャンスを生かせず奨励会にいる先輩を見ると、ああなると大変だろうなと思いましたが、こればかりは確証がないですから・・・」
新四段に聞いて、たくさん稼ぎたいと答えた人は初めて(笑い)だけど。具体的には対局数をたくさん指すとか。
「もちろんそうですけど。同門の深浦さんみたいに、全日本プロ(賞金が高い)で優勝したり、研究会で御世話になっている櫛田さんみたいにNHKで優勝したりタイトルを目指して行きたいです」
稼ぎたいということと、人生勉強を兼ねたお稽古をやる気はないの。
「今は茨城・常南支部にときどき行っています。四段のお祝いの会も開いて下さるそうです」
それはよかったですね。大事にして下さい。将棋と平行して社会人とのお付き合いを増やしていくといいですよ。
「ハイッ。ところで座禅をやってみたいと思っているんですが、今度会に連れていって下さい。あれは将棋のためにもいいと思います。自分の家で独りでやっているんですが、どうも・・・」
冬は寒いのでさぼっていたけど、今度誘いましょう。でも将棋にいいといってやる人もあまりいないかも(笑い)。スポーツもやっているの。
「ウエートトレーニングは毎日欠かさずやっています。頭と体と両方使ったほうがいいと思って」
いいと思ったことを実行できるのは、プロの素質十分です。ちょっと心配なのはあまり私怨とか怖いことは言わないで(笑い)人の言うことは気にしない練習をしたほうが、ツキ貯まりますよ。人を恨んでもなにもいいことはないですから。
「ハイッ、分かりました」
インタビューだかお説教だかわかんなくなったとろこで終了(笑い)。
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まさしく若獅子と形容できそうな、勝負師らしい21歳の窪田義行四段(当時)。
抜き身の日本刀のような鋭利さと若者らしい素直さが同居していて微笑ましい。
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「皇帝を守るべき近衛兵を前線へ派遣するような・・・。左金を前へ出すのが好きなんです」
非常にわかりやすい例えだ。
振り飛車の左金は、普通なら5八(5二)、高美濃や銀冠なら4七(6三)に位置し、玉の囲いの一部となっている。
そういう意味で、振り飛車の左金は、第1師団や第3機甲師団などではなく、宮殿を守る近衛師団に所属しているのが一般的だ。
この近衛師団所属の中隊(左金)を最前線で活躍させるのが窪田流四間飛車。
師匠の故・花村元司九段を彷彿させるような、窪田流四間飛車の左金の妖しい動きや働き。
窪田義行六段ならではの四間飛車、四段になったばかりの頃の上記インタビューで語っていた”オリジナリティのある四間飛車”は、「窪田流」であったり「窪田ワールド」として進化し続けている。
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師匠の花村元司九段が奨励会の頃の窪田少年をどのように見ていたか。
以前のブログ記事でも紹介している内容だが、あらためて。
中野隆義さんの「一代の勝負師」(近代将棋1985年8月号)より。
ある奨励会員がいた。花村門の一人なのだが、序盤がからきし下手で、定跡に詳しい敵に当たっては常に大苦戦を強いられていた。
見るに見かねた兄弟子の一人が進言に及ぶ。
「先生。やつの序盤はちょっとヒド過ぎるので、私が一つ教えてやろうと思うのですが」
弟弟子を思う言に、師匠・花村はこう応えた。
「君の気持ちはありがたいが、あいつは中・終盤に見所がある。どんどん勝っていくのに越したことはないが、序盤を教えちゃあイカン。あいつは序盤が下手だから、苦しい将棋をなんとかしようとして頑張っている。中・終盤に強くなるためには絶好じゃあないか。序盤は何番か失敗すれば自然と覚えていくものだ」
発想の転換の妙に、恐れ入ったという。
この奨励会員が窪田義行少年。兄弟子は武者野勝巳五段(当時)だった。
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三浦弘行四段(当時)と夜中に電話で「大山名人の将棋観」や「勝負する時の心構え」などについて語り合った窪田六段の三段~四段時代。
二人の姿を想像しただけで笑みが漏れてしまう。
それにしても、深浦康市四段(当時)のインタビューでも語られていたように、三浦弘行三段(当時)と親しい奨励会員が多かったことが分かる。