谷川浩司三冠(当時)「そうそう、ただのスケベじゃないんですよ」

近代将棋1991年4月号、林葉直子女流名人・王将の「直子の将棋エアロビクス」より。

 スッポン、スッポン、スッポン、ポン・・・

 といっても、下着も何もつけずにいる場合にいうそれとは違うので念のため。

 私のいうスッポンは、噛みついたら離れないというあのスッポンである。

 スッポンは、効きめのほどはさだかではないが、その料理や粉末にしたものが精力剤として重宝がられていると聞く。

 耳にはしていたものの、利用の必要性のない私は、かつてその料理を食べたりその薬を飲んだりしたことはない。

 ところが、今度の女流名人戦第4局の前日、スッポンを粉末にした漢方薬なるものと出会うことになったのである。

 福岡を出るとき、私のファンということでいつもよくしてくれるおじさんが、

「直ちゃん、これはゼーッタイ効くばい。これ飲んで元気出して、今度ですっきり名人返り咲きを決めちゃんない」

 小さなパックに入った薬をくれたのだ。

 それがスッポンの粉というわけだ。

 おじさんは「ゼーッタイ効くばい」と言ったが、いったい何に効くというのだろう・・・。

 私の耳学問では、スッポンは精力剤ということになっている。

 精力・・・。ふむ、精力ねェ・・・。

 根が下劣にできている私は、精力というとつい下半身のほうに目が行ってしまう。ほら、言うじゃない、精力絶倫・・・とか・・・。

 あ、いや、いや。そんないやらしいことを考えちゃ、おじさんに失礼だ。

(以下略)

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近代将棋1991年7月号、林葉直子女流名人・王将の「直子の将棋エアロビクス」より。

 ご覧いただいただろうか。テレビ東京系の”世界・美の顔”

 新聞の番組欄に”林葉直子”と出ていなかったので、お気付きにならない方のほうが多かったと思う。

 30分番組であるが、収録には1週間かかった。

 なにしろ、この番組、初めから終わりまで、私がずーっとひとりごとを言うような格好でしゃべりまくるのだ。

 もちろん、台本があって、台本のとおりにしゃべっているのだが、外国の話なのでカタカナ語が多くてしゃべりにくいことおびただしい。

 それでなくても舌のまわらない私にとっては、台本どおりのセリフをしゃべるなんて、ほとんど拷問を受けているようなものだった。

 私が担当した”美の世界”は、イタリアぼ大画家、ボッティチェリ。

 このボッティチェリという名が発音しにくいのだ。

「そうじゃないよ、直子ちゃん。ボッティチェリ・・・」

「ボッチテリ・・・」

「違う、違う、直子ちゃん英語習わなかったの英語」

「習った・・・」

「Tの発音、Tの」

「ああ・・・テイの発音・・・ね」

「テイじゃなくて、T・・・。わかるでしょ。歯の裏側に舌を軽く当てて、パッと離すの。そしたら、ティとなるでしょ。ハイ、ボッティチェリ、言ってごらんなさい」

「歯の裏に下を・・・。ン、これでいいわネ。エヘン、じゃ、いいますわよ、ボッキチェリ」

「ゲーッ!い、今、何と言った?!」

「??・・・」

「ボッ・・・」

「待った!そ、それ以上言わないでいい。ホンーにもう直子ちゃんは噂どおりなんだから」

 わかんない・・・。

 今この原稿を書いている今現在も、なんでプロデューサーからあんなこと言われたのかも、わかーんなーい(ああ、カマトト、カマトト、大カマトト、林葉直子はカマトト娘でゴザイマース)。

(中略)

 ともあれ、ボッティチェリの名をようやく発音できるようになったら、今度出て来た名前が、なんと私が口にするのにふさわしい名。ボッティチェリが憧れていた女性の名である。

 シモネッタ・・・。

 どうです。発音からすると、日本語の”下ネタ”にそっくりでしょう?

 で、私、すっかり嬉しくなっちゃって、「これなら習わなくても発音できるわよ」とばかりに

「シモネッタ、シモネッタ・・・」

と、リハーサルのとき発音してみせると、すぐにOKのサインが出て本番に。

 ところが、緊張すると、人間ってその人の持っているジが出てしまうものだ。

「本番いいですかー。ハイ、ヨーイ、スタート・・・」

 カメラが回り始め、プロデューサーが腕を振り降ろす。

 私はイタリア、フィレンツェの町をゆったり歩きながら、ひとりごちる。

「あらゆる男性がひと目見るだけで虜になってしまうような女性、シモネタは・・・」

「カーット、カット!」

 プロデューサーが大声で手を振る。

「ン??」

「下ネタじゃないでしょ、下ネタじゃ・・・」

「あ、はぁ・・・。そんなふうに聞こえました?」

「聞こえましたも何も、下ネタ以外の何ものでもありませんよ、今の発音はっ」

「・・・スミマセン・・・」

「シモネとタの間に小さなッを入れて発音するんです」

(わかってるわ、そんなことぐらい・・・)

「言えますわ」

「はい・・・。シモネッタ・・・」

「そう。そのとおりです。じゃ、イキますよ、本番ー、ヨーイ、スタート」

 私はふたたび、フィレンツェの街を吹き抜ける風に髪をなびかせながら、さも感銘したかのような口調で語りはじめた。

「シモネタの話を聞いて、すっかりボッキチェリは・・・」

(以下略)

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近代将棋1991年9月号、林葉直子女流名人・王将の「直子の将棋エアロビクス」より。

 これは致命的だ。

「林葉さんは、年とともにだんだん知性が光って来ますね」とでも言われるのならいい。

 その知性が邪魔して、おヨメに行くのが少し遅れるというのなら、まだ我慢もできる。

 ところが、たくさんの人がいる前で、27、8歳のいい男に、

「林葉さんて、☓☓☓ですね」と言われ、周りの失笑を買うようではもうおしまいだ。さて、「☓☓☓」の中には何という言葉が入るでしょう。

 7月7日、三重県四日市市での将棋祭のときである。いろんな催しの一つとして、サイン会があった。

 長い机の前に、右から谷川竜王、私、中井女流王位、清水女流三段、山田女流二段の順に並んだ。その席でのことである。

 その男性が私の前に来たのは、6、7番目だったと思う。私は、差し出された色紙を受け取るとき、チラリとその男性の顔を見上げた。いい男である。

 彼は私と視線が会うと、気恥ずかしそうに目をそらし、何か言いたそうに口ごもった。

(うふふふ。「林葉さんて、実物はとってもいい女なんですね」とか、「林葉さん、ぼく林葉さんのこと大好きなんです♡」とか言おうとしているんだわ。カワイイ・・・)

  色紙に筆を走らせながら、私は彼の言葉を待った。

 すると、どうだろう。おとなしそうな顔をした彼の口から吐かれた言葉は、「林葉さんて、☓☓☓ですね」だったのである。

 それも小さな声ならまだしも、周囲に聞こえるような大声で言ったのである。

 まわりのファンの皆さんから失笑が洩れた。笑われるのは遺憾だが、これは仕方ない。ファンの皆さんは私の真の姿を知らないからだ。

 許せないのは、私と並んでサインをしていた私の仲間たちである。

 みんな一様に下を向いたまま、クックックッと、笑いをかみ殺し肩を揺すっていたのだ。

 左隣りの広恵(中井女流王位)なんぞ、

「いやぁん、笑わせないで。字がかけなーい」

と言って、ついに吹き出してしまった。

 こんな場合、同じ身内なのだから、

「とんでもない。直子ちゃんは、本当はとっても純情でウブなのよ。よく知りもしないで、そんなこと言うなんて失礼だわっ」

ぐらい言ってくれてもよさそうなものだ。

 それなのに、ああ、それなのに・・・。

 私はなんと冷たい仲間たちを持ったのだろう。

 さて、☓☓☓に該当する言葉、おわかりになりましたか。

 そうです。スケベ、です。

 そんな恥ずかしい言葉を、このうら若き女性に向かって言う方も言う方なら、まわりで一緒になって笑っている仲間も仲間だーッ!許せなーい!

 ああ、そうだ。

 その日の帰りの列車の中でのことだ。

 広恵と久美ちゃんが首をつき合わせて、何やらヒソヒソと話している。

 どうやら私のことが話題らしい。

「そうよ、直子ちゃんに読ませたら、ぜったいそう読むわよ」

とかなんとか言っているのが聞こえた。

「ね、何?なに言ってんの?」

 私が首を突っ込んだ。

 広恵と久美ちゃんは顔を見合わせてニタリ。

 広恵が私に、お土産にもらった焼き物の急須を取り出して見せた。

 広恵は急須の底に押されている烙印を指した。

”萬古堂”、と書いてある。

 オヨヨッ?!

「萬」の字は、たしか「万」の旧字体・・・。

 とすると、読み方は「マン」・・・。

 そして「古」はいわずと知れた・・・。つまり、その・・・古文とか古典とかの「古」・・・。

 とすると・・・・・・。やっぱり・・・・・・いや、ま、まさか・・・。

「ねぇ、なんて読むと思う?読めないの?」広恵のヤツ、急がせる。

「こ、この字からすると、当然、そう読むわけよ、ね」

 私、少し戸惑い気味に言った。

「あははは、やっぱりね。直子ちゃん、やっぱり、そう読んだんだ。あはははは」

 広恵と久美ちゃん、二人で大きな口を開けて笑い転げた。

「なによ。この字にそれ以外の読み方があると言うの」私は口をとんがらせた。

「あるのよ。それが」

 久美ちゃんが、えらそうに言った。

「この字はね」と、萬の字を指さし、

「バンと読むのよ、バンと。わかりましたかスケベ直子ちゃん、あははは・・・」

 二人は、またまた笑った。

 なによ、自分たちだって、最初はきっと、私が思ったのと同じように読んだはずなのに。

(中略)

 ああ、私がこんな高尚な国家的規模の問題点を論じても、他人は私をスケベと呼ぶ。

 もうだめだ。

 私は永遠におヨメには行けないかもしれない、トホホホ・・・。

 名前の横に「スケベ」と振り仮名をつけられそうな林葉直子でした。

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近代将棋1991年10月号、故・池崎和記さんの「福島村日記」より。

某月某日

 谷川三冠王、西川六段、本間四段と飲みに行く。近将の林葉エッセイが話題になる。「彼女、神戸新聞にもエッセイを書いてるんですよ。この間は損失補填のことを書いていた。すごいよね」と西川さん。すると別の一人が、「そうそう、ただのスケベじゃないんですよ」。さて、この発言者はだれでしょう。私じゃありませんよ、直子さん。

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池崎さんが書いている”別の一人”。

四日市の将棋まつりに谷川浩司三冠(当時)が行っていたわけなので、「そうそう、ただのスケベじゃないんですよ」と言ったのは、谷川三冠と見て間違いないだろう。

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ボッティチェッリは、有名な『ヴィーナスの誕生』などを描いた画家。

このヴィーナスのモデルとされているのが、シモネッタだ。

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ヴィーナスは愛と美の女神。

キリシア神話だとアフロディーテ。

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それにしても林葉さんのサービス精神溢れる文章、当時としては画期的なものだったのだろう。

今でも十分に画期的だけれども。