羽生善治竜王(当時)「うち下の子がもう2歳なんですよ。こんな赤ちゃんのときがあったのかなぁ。忘れちゃってるからなつかしいですよ」

月刊宝石2002年の何月号か、湯川恵子さんの「将棋・ワンダーランド」より。

 羽生さんの肩書きが「五冠」だったのは名人と竜王以外の五つを保持していたからです。

 棋聖位を失ってしばらくは四冠だった。暮れに竜王を奪還して五冠に戻ったが、名人と竜王はビッグゆえ単純な算数はできない。他に4つも持っていても”羽生竜王”が正式だそうだ。

 これで通算50期めのタイトル獲得。偉大なる大山康晴十五世名人が80期めのタイトルを獲ったのは58才の年だった。羽生さんは31才で50期。

 凄いですねぇ。こんな人を強い強いと書いても芸がないか。

 昨年12月16日の日曜日、NHKテレビで見た終盤。羽生さんは自陣の穴熊玉をさんざん手抜きして王手王手と攻めていた。

 図は豪勢に△3七金と打ち込んで▲同歩と取らせた局面だ。てっきり即詰みと思った。解説役の棋士も「羽生さんなら詰ます、というか詰まさないとおかしいですね流れからして」。 実戦は、△3六歩。

nhk2011

「詰みがありましたかねぇ、読みきれなかったんですが」

 と羽生さんが局後もらした。 一手30秒だったし詰ます必要もない形勢だが、詰まない玉まで詰ます”羽生マジック”の人にしては意外でしょう。

 その日、テレビを見終わって私は近くの公民館へ。朝霞チェスサークルの仲間たちのクリスマス大会だ。シーンとした会場を覗いたら羽生さんも居た。

 そういえば以前も何度かタイトル戦が終えた時期に来たことがある。七番勝負の竜王戦が4勝1敗で決着しスケジュールに余裕ができたのだろう。

 私は廊下で友達の赤ちゃんを抱いていた。ママは選手で指している。自分の子供の赤ん坊時代のことはほとんど忘れてしまっていることに気付き、ボケたかと内心愕然としたものだ。

 リーグ戦の合間にニコニコと羽生さんが赤ちゃんを眺めた。「うち下の子がもう2歳なんですよ。こんな赤ちゃんのときがあったのかなぁ。忘れちゃってるからなつかしいですよ」

 じゃ私が忘れるのも無理ないわよね~。

 日本チャンピオン級が大勢参加した大会で、優勝は羽生さんだった。2次会の居酒屋で楽しそうに歓談しているところへ、「きょうのNHKのあの……」と言いかけただけで即座に答えてくれた。

「あ、あの局面ですね、収録が終わっちゃった後で残念ですが検討で出ました、ええ、詰みです、即詰みがありましたねぇ」

 羽生さんが30秒では読みきれなかった詰め将棋、皆さん挑戦してみて下さい。

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ニコニコと赤ちゃんを眺め、「うち下の子がもう2歳なんですよ。こんな赤ちゃんのときがあったのかなぁ。忘れちゃってるからなつかしいですよ」と話す羽生善治竜王(当時)。

なんと、ほのぼのとする光景なのだろう。

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このクリスマス大会が行われたのが2001年12月16日(日)。

朝霞チェスクラブのホームページを見ると、

1997年と1998年のクリスマス大会に森内俊之八段(当時)が参加。

1999年8月の朝霞チェスサークル設立9周年記念大会では羽生善治四冠(当時)と森内俊之八段が共に参加。森内八段が1位で羽生四冠が3位タイ。森内-羽生戦は森内八段が勝っている。

2000年8月の朝霞チェスサークル設立10周年記念大会と2001年8月の朝霞チェスサークル設立11周年記念大会には森内八段が参加。

湯川恵子さんの記事となった2001年12月のクリスマス大会には羽生竜王が参加。

2002年3月の春のチェス大会にも羽生竜王が参加。

2002年8月の朝霞チェスサークル設立12周年記念大会には森内名人が参加。

2003年12月のクリスマス大会には羽生名人(当時)が参加。

(2004年以降は準備中になっている)

1999年8月の大会以外は、まるで二人で打ち合わせをしているかのように、森内名人と羽生三冠が互い違いに参加している形で面白い。