大山康晴十五世名人最後の自戦記(後編)

大山康晴十五世名人が亡くなる半年ほど前に書かれた、大山康晴十五世名人にとっての最後の自戦記。

将棋世界1992年4月号、大山康晴十五世名人のA級順位戦〔大山康晴十五世名人-高橋道雄九段〕自戦記「勝負師の心得」より。

シャレた手

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〔5図以下の指し手〕

▲7六飛△8五飛▲9一角成△6七歩成▲同歩△4五桂▲8九香△8八歩▲同香△7七角成▲同飛△8八飛成 (6図)

 角に当ててひとつ浮く▲7六飛がちょっとシャレた面白い一手。

 ここ▲7四飛と走るのが普通の感覚だが、△8五飛に、▲7二飛成、▲9一角成いずれも△7三歩と焦点で利き道を止められて、つまらない。

 香を入手しての田楽刺しが、私の狙っていた順。ただし、▲8九香では、▲8七香と上から打った方が、結果から言えばよかったかもしれない。▲8七香には、△5七桂成▲同金△6四角▲同馬△8七飛成が予想される進展だが、▲8六飛とぶつけて、後の捌きが楽だったか。

 本譜は、△8八歩▲同香としてから△7七角成と、高橋さんも勝負手を放ってきた。

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5図からはどうしたって▲7四飛と走りたくなる。

あるいは辛抱して▲8七飛かと考えるところだが、寸止めの▲7六飛。

香車入手後の田楽刺しをできる形に誘導するとは、まさに名人の読みだ、

受け一方ではなく、常に反撃を内包しているのが大山流の受け。

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怖かった瞬間

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〔6図以下の指し手〕

▲6六銀△6五歩▲8九歩△6八竜▲4六馬△5七歩▲7九角 (7図)

 銀を逃げつつ飛車にヒモをつける。▲6六銀はこの一手だが、こう上がる瞬間は、本当のことを言えば、少し怖かった。

 △6五歩は当然の一手。飛車か銀、どちらか一方は取られてしまいそうに見えるが・・・。

 ▲8九歩は受けの手筋。竜の位置を変えて(飛車に当たらない場所へ)▲6五銀を可能にし、両方とも救出しようという狙い。続く▲4六馬引から▲7九角の自陣角も、すべて同じ意図。

 ともかく受けるべき時には、徹底的に受け切らねばならない。「これぐらいでいいだろう」という安易な妥協は、禁物である。

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私ならば6図から▲7八歩と受けて△7五香とされて目の前が真っ暗になるか、▲7四飛△7三歩▲6四飛△5七桂成▲同金△4八銀という展開になって一気に奈落の底に落とされるかというところ。

6図の飛車銀取りの状態から大山十五世名人の▲6六銀~▲8九歩~▲4六馬~▲7九角の感動的な受け。

雷雨と烈風の中、地上100mの高さの綱渡りを平然とやっている図という感じだ。

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盤石の態勢へ

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〔7図以下の指し手〕

△6九竜▲5七銀△同桂成▲同角△8九竜▲4五歩△5八歩▲7九飛△8八竜▲7四飛 (8図)

 △6九竜と高橋さんは逃げたが、これは私にとって有難い一手だった。

 やはり実戦心理としては、この手で△7九同竜▲同飛△6六歩の方が嫌だったからである。次に△6七歩成が結構速い攻めなので、▲4五馬△4四香▲3五桂△2二玉▲4三桂成△同銀と、私の方も攻める展開が予想される。以下▲4四馬と切って指せるとは思うけれど。

 △6九竜に▲5七銀以下清算して、私の優勢がはっきりした。自陣の大駒への負担がなくなり、現実に駒得となったからである。

 ただし、▲5七同角のところ▲5七同馬は、△7五香▲7六歩△8六銀でハマリ形なので注意が必要なところ。まだまだ気を緩める訳にはいかない。

 ▲4五歩は堅実な一手。後手からの△4五歩▲同馬△4四香の反撃を未然に消しつつ、▲4四桂の攻め手を作ったもので、これで大山陣は盤石の態勢となったようだ。

 勝利を意識したのも、このあたりの局面だった。

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▲5七銀から清算をして、自陣の不安要素がなくなった。それだけ6図以下の受けが神業ということになる。

後手の攻めを受けているうちに、先手は攻められる以前の陣形よりも数倍堅くなっているのだから凄い。

▲7九飛と嫌がらせをしてから▲7四飛と走るのも、いかにも大山流。

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大きな一番

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〔8図以下の指し手〕

△7三香▲8四飛△同竜▲同角△6九飛▲4八角(以下略)

 飛車成を防いで△7三香。歩で間に合うところに香を使わなければならない(歩切れだから)ようでは、高橋さんとしても辛い限りだったろう。

 ここでははっきり私の勝勢。問題はどういった手段で仕上げるか、だ。

 成香と、と金で迫られて、少々うるさそうにも映るが、△4九とに▲同金とあっさり払ってしまうのが、分かり易い勝ち方だ。△同成香に▲5八銀と打った投了図では、後手は△9九飛成と逃げるよりなかろうが、▲4九銀左と払ってしまえば、大山陣は手付かず。高橋さんとしても指しようがないだろう。

 8図からはいろいろな勝ち方があるだろうが、一気に敵玉を目指す寄せよりも、この様に徹底的に受け潰す方が、早いのである。

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 本局の勝利で、二つの可能性の内の一つが完全に消え、来期で名人・A級は区切りよく45年目を迎えることとなった。

 しかし、本局を戦って一番大きかったことは、対局できる体力が、着実に回復しつつある、ということを実感できたことにある。これが非常に嬉しい。

 続く2月12日のA級順位戦、米長邦雄九段との対局でも、深夜0時過ぎまで戦い続けることができ、勝負の結果も幸いすることができた。

 もうひとつの可能性の方は、依然として消えてはいない。

 3月2日の最終戦も、全力を尽くすつもりである。

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肝臓ガン手術後復帰2戦目の戦い。

大山ファンなら「大山名人万歳!!」と歓喜したくなるような勝ち方.

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将棋世界の同じ号の「大山復帰驚きの声」より、羽生善治棋王(当時)の談話。

 いや、もう言葉がないと言うか、”すごい”とかいう言葉だと陳腐な感じで。

 高橋九段戦は隣で見ていたのですが、入院前と全く変わりなく内容も完勝なので、本当に肝臓ガンだったのかと・・・。

 70歳A級は、今後誰も塗り替えられない不滅の大記録で、色々な記録の中で一番価値があると思う。

 今後もお元気で、75歳、80歳現役を目指して、ずっと強い将棋でいて欲しい。数年後にA級で対戦できればいいですね。

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大山-高橋戦の隣で羽生善治棋王(当時)が対局をしていた。

この翌期の1992年度A級順位戦の途中で大山十五世名人が亡くなった。

1993年度から、大山十五世名人と入れ替わるように、羽生竜王(当時)がA級入りをしている。