名人を取られたのが好調の原因

近代将棋2004年2月号、鈴木宏彦さんの「妙手ポカ、いま昔」より。

 羽生竜王名人に森内九段が挑戦していた竜王戦七番勝負が終わった。なんと、挑戦者・森内九段の4連勝。ストレート勝ちだ。

 それにしても、ちょっと意外な結果である。過去のデータを思い出してみよう。羽生は七番勝負で4連敗したことが一度もない。両者の過去の対戦成績は羽生の28勝17敗。二人の番勝負は過去5回あるが、いずれも羽生が勝っている。この春の名人戦でも、羽生が森内に4連勝した。

 もちろん、そうしたデータはみんな知っている。だから、東京で行われた第1局に森内が勝ったときは、これで七番勝負が面白くなったと言われたものだ。それがなぜ、こんな結果になったのか。

 実は、上に上げたデータとは別に、羽生不安説を示すデータもあった。その一つが先月号でも述べた、羽生のタイトル戦勝率である。初めてタイトルを取ってから10年以上、羽生のタイトル戦の通算勝率はずっと7割3分を超えていた。当然ながら、タイトル戦の対戦相手は普段の対戦相手より平均すればかなり強いはずだ。そこで7割以上勝っていたのだから、これはもうけた違いの強さである。

 その羽生のタイトル戦の勝率がこのところ大分落ちている。この2年間のタイトル戦の勝率は今回の竜王戦も含めて33勝28敗、勝率5割4分1厘。タイトル戦で苦しむ羽生の姿が、その28敗という数字から浮かんでくる。

 もう一つは相手の森内の調子だ。これまで安定した実力を認められながらも、なぜかタイトルに縁のなかった森内が初めてタイトル(名人)を取ったのが昨年の5月。その虎の子のタイトルを羽生に取られたのが今年の5月。やっと取ったタイトルを小学生時代からのライバルに取られてしまう。やっぱり、羽生は森内の天敵だと誰もが思った。

 ところが、その名人を取られてから森内の調子が急に上がったのだ。名人を取られてから、今回竜王を取るまでの成績が26勝7敗。竜王戦ばかりでなく、A級順位戦でも現在5戦全勝で挑戦者争いの首位を走っている。過去、タイトルを取られてがたがたになった棋士はたくさんいるが、タイトルを失った途端に勝ち始めた例など聞いたことがない。森内自身は、「名人を取られて肩の荷が下りたのがよかったかもしれない」と言っているが、彼のように謙虚な人柄の棋士にはそんなことがあるのかもしれない。

(以下略)

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森内俊之九段(当時)が竜王位を獲得した時の記事。

森内竜王はこの後、王将戦で羽生善治王将に4勝2敗、名人戦で羽生名人に4勝2敗と、怒涛の勢いでタイトルを奪取している。

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それまでは無冠の帝王と呼ばれ、31歳での初タイトルとなった森内竜王名人にとっての名人位。

「名人を取られて肩の荷が下りた」というのは、鈴木宏彦さんも書かれている通り、森内竜王名人の謙虚な人柄に起因するものだと思う。

そして、その名人1期目のモヤモヤ感を結果的に解消できたことが、それから続く長期的な飛躍への第一歩となったのだろう。

森内竜王名人ならではのエピソードだ。