まさしく荒法師。とても面白くて貴重なインタビュー。
将棋世界1972年11月号、連載対談「われに霊感あり」より。
ゲストは灘蓮照八段(当時)、聞き手は石垣純二さん(医事評論家)
石垣「先日はどうも・・・。まさか奨励会の子どもたちと、わいわいいいながら将棋を指している人が灘八段と知らぬもんですから、大阪の六、七段の先生かと思ったら、ポンポン歩を突き捨てて、じゅうりんされちゃいました。いやープロ棋士の強さをいやっというほど知らされました。本当に恐ろしい人ですね。ところで、お生まれは四国の日和佐(徳島県)ですって」
灘「ハイ、徳島の南で太平洋に臨んだ町です」
(中略)
石垣「そこで海草問屋をやられていたそうですが・・・」
灘「祖父の代まで船が二艘ありましてね。いまも船の名前の明徳を家号にして母が一人でお酒の小売りなどをしています」
(中略)
石垣「四段になられたのは昭和22年でしたね」
灘「エエ、第1期順位戦がはじまったとき三段でした。みんな四段に昇格させて順位戦に参加させようという話もあったんですが、木見先生の反対でダメになっちゃったんです。そのとき師匠に死なれると損だナと思いましたねー。しかし、あくる年、奨励会幹事だった加藤博二さん(現八段)の呼びかけで五十嵐、平野、清野、二見とボクの5人が集まり、4勝1敗でボクが四段になり、五十嵐、平野、清野が3勝2敗の同率決戦で五十嵐・平野が勝ちあがってきたのです」
石垣「八段になられたのが昭和28年、もう20年になりますね」
灘「その間、B1に2回ほど落ち、2年ほど休場しています。本人は、ちっとも変わっていないつもりですが、20年になるんですナー」(笑)
***
石垣「ところでお坊さんの方は、いまも沙弥(シャミ)ですか・・・」
灘「そうです。死ぬまで沙弥です」
石垣「二等兵であがらん・・・檀家がないのだから仕方ないですね」(笑)
灘「いや、そんなことはない。上がるのが面倒だからですよ」
石垣「きくところによると、ずい分と修行をされたそうですね。荒行もされたとか・・・」
灘「しましたね。だからボクは仏を信じますし、霊というのも信じます。自分が体験しているので・・・。私が僧籍に入ったのが昭和26年10月13日ですが、将棋をやっていて下っぱで過ごすのではかなわんから、なにかつかませてくれ、つかませてくれないなら死んでもよいと、四条畷の星田妙見の北向きの滝に行きました。修行者の中でも北向きの滝には魔が住むと皆が恐がりますが、こっちは死ぬ気だ”これからお経をあげるから、戦争で死んだだれでもよいから出てこい”と滝に入ったら御殿女中風のものが4人ほど出てきた、フシギに男の霊というものは出てこないもんですね」
石垣「お化けですか。度胸がよいですナ」
灘「一瞬淋しさの限りになりますね。こわくなって逃げたくなるんですが身体がいうことをきかない。右にも左にも、背中にもおぶさってくる。首吊りした女の顔とヒモが夜中なのに見えるんですね。ボクはいったいどこにいるのかナ、空間にいるみたいな気持ちになってくるんですよ。キンタマがちぢまっているかとつかむと、ちゃんとさがっている(笑)しかし、下腹に力が入らないクソーと思っても腰がヘタヘタなんですね。ドギモを抜かれるというのはああいうものなのでしょうな」
石垣「日蓮宗の魅力はなんですか、いろいろな宗派がありますが」
灘「自力本願ということですね。ボクなんか沙弥ですが、変な修行をしていると”目あいて祈ったらあかんぞー”と叱りつけますよ」(笑)
石垣「沙弥(日蓮宗の僧籍で一番低い位)にしては強いですね(笑)。ところで、あなたは宗教から将棋に霊感を得て、勝負を左右されるようなことがあったそうですね」
灘「持ち時間3時間という早指し王位戦の大山戦でね」
石垣「その棋戦はどこの社でしたか」
灘「いまの棋聖戦の前身でサンケイが主催していたんです。その挑戦三番勝負の第1局に負けて、大阪へ帰るプラットホームで、負けたのを忘れよう、次が最初の一局と思えとサトリ、帰ってからお経ばかりとなえていたら、今日東京へ行くという朝、夢の中で、スーッと真ん中へ飛車を振る局面が浮かんできましてね」
石垣「ヘエー、夢にまで将棋をみますか」
灘「それで中飛車を用いたら勝った(笑)そして3局目のときは、どこからともなく7五歩と符号できたんですね。ですから先手番なら、7六歩、3四歩に6六歩と突いて7五歩と突いてやろうと思ったら、後手番になっちゃって、やっぱり仏さんも守ってくれないのだナーと思っていたら、局面がだんだん7筋の方へ移っていくんですね。だからといって△7五歩が読み切れない。しかし仏さんが言ったんだからやってやれと突いたら急に大山さんがおかしくなって勝っちゃったんです(笑)局後、大山さんも、この手△7五歩はなんやなーとバカにしたけどエエ手でしたねーと言っていました」
石垣「今度、私もあなたと将棋を指すときは祈りましょう」(笑)
灘「ボクがはじめて霊感を得たのは、大野八段とのA級入りを争った一戦のときです。確か昭和26年の10月頃です。大野さんも6勝1敗、ボクが勝てば7勝1敗でA級入りが決定するという対局ですから、きっと大野八段は得意の振飛車でくると思いました。それは勝負を争う者の常として、自分の得意型で負ければ納得するからですね。そこで10日前ほどからおかあちゃんを退けて(笑)、うなぎとか、ホルモンをとって、変な気になったらお経をあげて精力をたくわえた」
石垣「恐ろしきエネルギーですな」(笑)
灘「お経をあげていたとき突然、ある局面が頭に浮かんできたんですね。それが左美濃囲いから▲7五歩、▲7六銀と玉頭に盛り上がる将棋なんです。振飛車というものに正面から向かうといけないのだと―。相手が右からくるのなら、こっちは左からいくぞという作戦をいろいろと工夫したのです。こちらが先手でしたから、▲7六歩△3四歩▲2六歩と進んだとき、大野さんが△4四歩と突いてくれないことには10日間の苦心が水泡に帰してしまうわけです。目をつぶってパチンと音を聞くまでの長かったこと―。そおっと開けたら△4四歩でした。このときほど嬉しかったことはありませんね」
石垣「それで作戦どおりいったのですか」
灘「いきました。勝ったのです。ですからいまでも振飛車にくると、ありがたいような気分になります」
石垣「それまで玉頭位取り作戦というのはなかったんですか」
灘「ハイ、なかったと思います。私が本を書くとしたら、この将棋の指し方を書いてみたい。もっとも私は原稿書きではないのでうまく書けないし、本屋から注文もこないと思うが、あの将棋だけは自分でも残してよいものだと思っています」
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石垣「あなたは、ひと頃16人もの彼女がいたそうですが・・・」
灘「いくら話は大きいほうがいいといっても、そんな―(笑)8人くらいですよ」
石垣「アハハハハ・・・話半分ですか。それにしたって大変ですよね。八段になってからですか」
灘「いや、もっと前からですよ」
石垣「若くてよくそんな収入がありましたね」
灘「遊びたければ働くもんですよ。5人前食べ、5人前働き、5人前遊ばなきゃー男ではないですよ」
石垣「5人前ではないですよ。あなたは8人前ですよ(笑)。ところで、あなたは蔭馬蔵(いんめぞう)という普通の人にないような名器をお持ちだそうで・・・。これはお釈迦様の相で普段はペニスが中にひっこんでいて、いざというと突出してくるんだそうです。お釈迦様がそうだったそうですが、そういう体質の人がいるというのは、ボクもずい分勉強をしたが、はじめて聞きました。名器は一夜にどのくらい使えるもんですか」(笑)
灘 「12回」
石垣「フェー(笑)本当ですか」
灘「本人がいうのだから間違いありませんよ」(笑)
石垣「信じられませんね。異状ですよ、それは・・・。女性8人に攻められてはどうです。そういうときは対局にひびきませんか」
灘「半年ぐらい負けたですね」(笑)
石垣「負けましたか(笑)それにしても驚きですね」
灘「いまはだめですよ」
石垣「いまはダメだから名人に挑戦したとき、ポッキリ折れたのかな―」(笑)
灘「あれは3局目の良い将棋を負けたのでいやになっちゃったんです。こんな将棋を負けるようでは、あと拾い勝ちしても名人になりたくない、あとはハッキリいって指したくなくなっちゃった」
石垣「ずい分とあきらめがいいですね。カムバックして、いま一度と思いませんか」
灘「ないですね。いま、なまけていますもの。全然いけません。今年は落ちんようにガンバリたいと思うだけのものです」
石垣「なんでそんな無欲になったんですか」
灘「いま生活態度がわるい、なんとか直したいと自分で思ってはいるが直らない」
石垣「お経をあげてもダメですか」(笑)
灘「お経をあげる気持ちにならんからいけません。お経をあげる気になったら恐ろしいですぞー(笑)」
石垣「いまA級順位戦で2勝1敗ですね。しかし、一般棋戦での灘八段の活躍が見られないのは淋しいと思うんですが」
灘「ボクは下手に弱いんです。一生懸命やってくるのを見ると気の毒になってね」
石垣「なんで、そんなもののあわれを感じるのですか」
灘「下があまりにもめぐまれていませんのでね。ボクの相手はA級だけでよい、ですから、NHKで近く二上八段と指しますが、ガンバリますから見ていてくださいよ」(笑)
石垣「そんな人が、なんで私との二枚落ちはきびしく指されたんですかねエ」(笑)
灘「ボクは、おせいじ負けは嫌いなんだ。弱い奴は弱い、二枚落ちでダメなら金銀で勝負するというような将棋が好きだからです。ですからボクの稽古は金二枚というのからやるんだ。そして双方一緒に汗水たらして勝負していますよ」(笑)
石垣「やわらかいと思えば堅い、まったくどこから攻めてくるやら恐ろしい人ですね。あなたは・・・(笑)」
灘「ボクが東京に住んでいれば、先生をもっともんでやるけど・・・(笑)」
石垣「本で覚えた将棋はいけませんか」
灘「アカーン。本の将棋は、刀を振り上げる、頭をもってくる、刀をおろす、そこで切れる―(笑)、それはそれでいいんだけど実戦の役には立たないですよ」
(以下略)
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故・灘蓮照九段(1927-1984)は神田辰之助九段門下、A級17期、名人挑戦1回(1970年)、NHK杯戦優勝2回、早指し王位決定戦優勝1回、日本一杯争奪戦優勝1回、最強者決定戦優勝1回、王座戦優勝1回(1963年度)の実績を持つ。
弟子は故・神田鎮雄七段(神田辰之助九段の次男)と神崎健二七段。
対振り飛車の玉頭位取り戦法の創始者であり、現代の矢倉の主流となっている4六銀・3七桂戦法を50年以上前から用いて灘流矢倉と呼ばれていた。
そして、駒落ち将棋と早指しの達人。
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灘蓮照九段は”荒法師”の異名を持つ。
日本の近世史上、荒法師と呼ばれたのは、レーシングドライバーのナイジェル・マンセル、プロレスラーのジン・キニスキー、土光敏夫(財界荒法師)などがいるが、本物の法師なのは灘九段だけ。
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灘九段が修行をした星田妙見の北向きの滝。
調べてみると星田妙見宮に「登龍の滝」があって、ここのことなのかもしれない。
それにしても御殿女中風の4体の幽霊、怖い話だ。
幽霊は水場に現れることが多いという古来からの言い伝えもある。
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蔭馬蔵についても調べてみた。
蔭馬蔵は仏典に書かれている言葉。
やはり、仏や菩薩の多くが蔭馬蔵であり、普段は陰部が腹部に隠れているが、いざという時に出てくるというものらしい。(馬が同じような身体的構造なので蔭馬蔵と呼ばれている。)
奈良の新薬師寺の地蔵菩薩立像裸形像「おたま地蔵尊」などは陰部が表現されていない裸像で、まさに蔭馬蔵であるという。
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私が中学時代に読んだ将棋世界に載っていたこのインタビュー、数十年経っても忘れることができないほどインパクトがあるものだった。
灘蓮照八段(当時)の強烈な個性が嬉しい。
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