高橋道雄九段の秘策と羽生善治竜王(当時)の絶妙なしのぎ

将棋世界1993年7月号、鈴木輝彦七段(当時)の「対局室25時 東京」より。

 特別対局室では羽生-高橋戦(棋聖戦の準決勝)で6図。当然長机が付いていた。最近の高橋九段は好調で、各棋戦で勝ちまくっている。

 今日も相手が相手だけに深く期するものがあったようだ。

(中略)

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 ところで6図は見た事がない力戦型である。特に高橋九段の棋風からは考えられない将棋になっていた。

 答えは棋譜を見る事によって判った。そして、研究に裏付けされた高橋九段の秘策であることも。

 7図がその序盤。

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 ここまでは前例がたくさんある。問題はその後だ。

7図以下の指し手

▲3三同角成△同桂▲2四歩△同歩▲同飛△2二銀▲2八飛△2五歩 (8図)

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 △3三同桂が変わっている。今までは△同金がほとんどだからだ。

 ▲2四歩の交換も今しかないかもしれない。△2二銀と備えられてからではチャンスを逃しそうだ。ではあるが、8図は後手の言い分も通っている気がする。

 そして、9図がハイライトシーン。

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 △2二飛までが研究手順だったと思う。これで▲2七歩と受けさせて、以下玉を囲えば後手も充分だから。

 しかし、研究というものは意外な所に陥穽がある。実戦なら、とことん疑う手順も、当然の様に決めつけてしまったりする。

 この場合も次の△2六歩が厳しいので▲2七歩の一手と思い込んでしまったのではないだろうか。

いや、高橋九段を責める事はできない。誰が見ても9図は▲2七歩の一手に見えるのだから。

 羽生竜王は難なくこの危機を回避してしまう。

 ここで本局の勝負がついたといっても過言ではないだろう。

9図以下の指し手▲3六歩△同歩▲同銀△3五歩▲2三歩 (10図)

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 ▲3六歩が後手の△2六歩を間接的に受けている。もし、△2六歩なら▲3五歩△同銀▲2三歩がある。▲3二角があるので▲2三歩は飛車で取れないようになっている。

 何だかマジックのタネを明かしてもらっているような気分である。

 10図から長考で△8二飛としたが、作戦の失敗を認めたようなもので、さぞかし辛かったと思う。

(中略)

 しばらくして控え室に上がると、11図がテレビに映っていた。

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 「どうでしょうか」と本局の観戦記でテレビでもお馴染みの永井英明さんに訊かれたので「後手がダメでしょう」と率直にお答えした。

 「次の一手で投げるかもしれませんよ」と付け加えたが、そこまでは当たらなかった。

 腰の重い高橋君がこうもフラついてしまうのだから全く強いものだ。羽生時代が近づいているのかもしれない。

 大広間の鈴木-三浦戦は「新森下システム」で森下君が快勝して盤もかたづけられていた。

 櫛田-佐藤(秀)戦は終了したばかりで、櫛田君が「終盤がない」とボヤいていた。いい将棋を寄せそこなったようだ。

 特別室の方も気になっていたので、担当記者の人に「終わりましたか」と訊くと「少し前に」の返事に慌てて部屋にいくと、異常な光景が残っていた。

 まだ終わったばかりだというのに羽生竜王の姿はなく、高橋君は中腰になって新宿の高層ビル群をじっと見ていた。

 不出来な将棋に感想戦も短くなったのだろう。

 どれだけ準備しても、負ける時はこんなものだ。久々のタイトル挑戦が近かっただけに無念さも一入だと思う。

 記録もいないたった一人の対局室の後ろ姿に辛さがにじんでくる。

 下戸の高橋九段だけれど、こんな日くらいは飲める身体にしてあげたいと思ったりしたが、やはり、よけいな事なのだろう。

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非常に珍しい、高橋道雄九段の力戦向かい飛車。

9図を見ると、コテコテの振り飛車党が大好きな形になっているが、そこに至るまでの手順は居飛車党ならではのもの。

9図で誰もが▲2七歩と考えるところを羽生善治竜王(当時)の▲3六歩。

あまりにもすごい構想力だ。

大型爆撃機がこちらへ向かってきて、普通なら防空壕へ入るところなのに、単身戦闘機に乗り込み、爆撃機が爆弾を落とす前に撃退してしまうような感覚。

10図で△2三同飛なら▲3五銀と切り込んで△同銀なら▲3二角。

力戦向かい飛車の戦いで出てきそうな局面だけに、非常に参考になる手筋だ。

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11図からは▲4二金△5一香▲5二金△同香▲4二と△2二桂▲4三馬△5四銀▲3三馬△3七馬▲3一飛△4七馬▲同金△2八飛成▲5八桂まで。

高橋九段の投げるに投げられぬ、自分を責めているような思いが伝わる。

中腰になって新宿の高層ビル群をじっと見ている高橋九段の後ろ姿、非常に印象的だ。