郷田真隆王位(当時)「一生懸命戦った十番勝負」(前編)

将棋世界1992年11月号、郷田真隆王位(当時)の自戦記「一生懸命戦った十番勝負」より。

 9月9日。午後5時44分。

 谷川先生が投了を告げられた。

 6月16日の棋聖戦第1局から始まった谷川先生との12番勝負が終わった。

 初対局からこれまでの10番、またその間のいろいろな事、感じた事などを振り返ってみたい。

棋聖戦第1局

 記念すべき第1局は「大野屋迎賓館」にて。

 とにかく初めてのことばかりである。

 東京駅では産経の福本さん、奥田さんと集合して大阪へ。新大阪から車で大野屋迎賓館へ。大野屋に突いて部屋に入ると、仲居さんに「よろしくお願いします」と頭を下げられる。

 しばらくすると産経の保坂さん、永松さんが部屋にみえて、対局室を見て欲しいが、その際はゆかたでとの事。

 タイトル戦の前日に対局室、盤、駒などを見ることは知っていたが、ゆかたでと聞いて驚いてしまった。

 対局室へ行ってみると、谷川先生をはじめ皆さんがゆかた姿だったので、なんとなくホッとした。

 そのあとは関係者だけの前夜祭。

 その席で、立会人の桐山九段にビールを注いで頂く。恐縮する。

 食事が済むと控え室へ。

 私は碁をながめたり、話を聞いたりとわりとくつろいでいた。

 午後11時ごろだったか、谷川先生が控え室を出ていかれる。

 私もそれを見て(何時頃部屋へ戻ればいいのか分からなかった)部屋へ戻る。

 その夜はぐっすりと眠れた。

   

 翌日。朝。目覚めがいい。

 朝食を食べながら次第に緊張感が増していく。

 定刻10分ほど前。まだ和服が間に合わなかったこともあって、スーツでフラッシュのたかれる対局室へ。

 このときが一番緊張していた。

 しばらくして和服の谷川先生が入室。

 記録の矢倉三段の振り駒で、私が先手となった。立会人の桐山先生の合図で、第1局が始まった。

   

 先手なら矢倉、後手なら飛車を振ろうかと思っていたので、先手になってホッとしたような、つまらないような気持ちだった(四段になってから、一局しか振り飛車を指していなかった)。

 流行の先手3七銀型で始まり、序、中盤はうまく指せて優勢だったが、終盤より分からなくなってしまって迎えた1図。私の玉は詰めろ。受けはないから詰ますよりないが・・・。

1992

 ▲3二金△同飛▲同と△同玉▲4四銀以下長手数ながらも即詰み。

 あまり読んでいなかったが、1図は詰みありと思っていた。

 最後の最後までよく分からなかったが、どうやら即詰みのようである。

 今にして思えば、この一局が全10局の中で最も充実した一局だったように思う。

 初勝利は幸運の一局。

棋聖戦第2局

 仙台、秋保温泉「ホテル瑞鳳」にて。

 和服が出来上がってきたので、初めての和服で臨む。

 この第2局と並行して、大山、中原、米長の三永世棋聖への表彰、また公開対局などもあって、大人数での移動である。

 対局当日、和服に着替えて対局室に入ると、すでに着座されていた谷川先生をはじめ、盤側に大山、中原、米長の三先生、立会の二上先生、桜井先生、観戦記の原田先生と、ものすごいメンバーである。

 緊張したまま対局開始。

(中略)

 終盤、チャンスがあったが逸してしまう。残念だが、精一杯やったという感触はあった。

 また、大山先生にこの将棋を観戦していただき名前だけでも覚えていただけたのではと思い、このことを嬉しく思った。

 その大山先生も今はいらっしゃらない。

 月日の経つことの早さを、今は感じている。

棋聖戦第3局

 兵庫、有馬温泉「ねぎや陵楓閣」にて。

 私の先手で相掛かりへと進む。

 3図の▲3五銀迄はよくある将棋。

1992_2

 谷川先生が長考されているので、どう指されるのか注目していたが、79分で△3四歩と打たれた。

 失礼な言い方になるのかもしれないが、私はこの一手で、今期棋聖戦に負けたような気がする。

 △3四歩。

 いかにも谷川流という感じの手だ。

 こんなものノータイムで取ろうと思っていたが、取ってすぐに悪くなるとひどいので考えているうちに、2時間20分の大長考となった、

 実はこの△3四歩は、練習将棋で中川五段に指されたことのある一手だった。

 そのときはひるんで▲4六銀と引いてしまったが、局後の感想戦で▲同銀が成立しそうとのことだった。

 それから大分たっていたので、殆どの変化を忘れてしまっていた。

 色々考えたが、分からないことが分かるだけで、今でもどう指せばよいのか分からない。

 以下の戦いも難しかったが、終始気持ちが押されていたように思う。

王位戦第1局

 三重県「伊勢志摩ロイヤルホテル」にて。

 棋聖戦第3局の3日前に、佐藤康光六段との挑戦者決定戦に勝っての第1局。

 自分でも挑戦者になれるとは思っていなかったので、信じられないという気持ちだった。

 この頃から、今まで経験したことのない過密日程での対局となっていった。

 4図。封じ手。△8五桂。

1992_3

 全くの無理筋だった。

 私も無理筋かなと思いつつ、封じ手の時間がきてしまったこと、これまで3局、私が攻めた展開はなかったことなどから「えいっ」と手がいってしまった。

 全然駄目だったが、結果は私の逆転勝ち。

 あんまりひどい手を指すので、谷川先生も戸惑われたか。

(つづく)

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郷田真隆九段にとってのタイトル初挑戦となった棋聖戦。

そして、それから間もなく決まった王位戦挑戦。

棋聖も王位も谷川浩司四冠(当時)。

郷田真隆四段(当時)は、棋聖戦で1勝3敗で敗れたものの、王位戦は4勝2敗で王位を奪取。

その時の全10局を振り返る郷田王位(当時)の自戦記。

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「先手なら矢倉、後手なら飛車を振ろうかと思っていたので、先手になってホッとしたような、つまらないような気持ちだった(四段になってから、一局しか振り飛車を指していなかった)」

タイトル初挑戦の第1局でこのように考えていたところが不思議で面白い。

郷田九段は自署の「実戦の振り飛車破り」で、自分で振り飛車を指すなら三間飛車をやってみたいと書いている。

この時の棋聖戦第1局で後手番だったなら、郷田四段の三間飛車が見れたのだろうか。

たしかに、郷田九段は2007年の名人戦(対森内俊之名人)第3局で、結果的には相振り飛車となったが、郷田九段が先手番で▲7六歩△3四歩▲7五歩と、石田流を目指した指し方をしている。

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この頃の検分は浴衣姿で行われていたことが分かる。

検分が終わったら、そのまま関係者だけの前夜祭に突入するという流れだったのだろう。

これはこれで、とても楽しそうだ。