谷川浩司名人(当時)「最後に、名前が出て来た先生について一言」

将棋世界1984年6月号、谷川浩司名人(当時)の自戦記〔第44期棋聖戦本線トーナメント 対勝浦修八段戦〕「一手で決まった一局」より。

 棋聖戦は、前々期・前期と連続して初戦負けである。

 前期は、石田八段に、162手という大熱戦の末、終盤で簡単な必至を見落として惜敗。

 神戸で、名人位獲得祝賀のパーティがあった時、その2日前に棋聖位を獲得されたばかりの森安八段に、

「(挑戦者として)行きますからね」

 と言いながら、の1回戦負けである。

 棋聖戦は、五段当時はベスト4に進出するなど、縁起の良い棋戦だったはずである。

 頑張って、米長三冠王に教えを乞いたいものであるが―。

(中略)

 それにしても、森安先生への挑戦宣言は、森安先生の、

「名人戦、私が行くからね」

の言葉に対して、であった。

 あちらは、ちゃんと実行しているんだけどなあー。

(中略)

 ここで、今年1年を振り返ってみたい。

 58年4月から59年3月までの通算成績は35勝16敗。主たる戦績は、名人位獲得と全本プロ優勝。

 8・9月の乱調のことを考えれば、この成績は上出来と言えそうだ。ただ、帳尻合わせの感はしないでもないが。

 残念だったのは、16日に桐山八段に負けたこと。これに勝っていれば、11連勝で連勝賞をもらえていたのだが―。

 勝率は6割8分6厘で第2位。第1位は田中新八段で、これが4回目とはすごい。

 それに反して、私は、1位はなく、2位が実に3回、という不運さ。そして、1位との差は、何れも1分前後なのである。

 どうもこの部門は、見放されているようだ。

* * *

 最後に、名前が出て来た先生について一言。

 田中さんの名人リーグ入りは、将棋界にとっても大きなプラスだと思う。今期のリーグでも、かなり活躍すると私は見ている。

 ただ、私は対局しないつもりですがね。

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この当時の名人リーグ(挑戦者決定リーグ戦)とは、現在の順位戦A級のこと。

「ただ、私は対局しないつもりですがね」は、ややキツく聞こえる言葉だが、田中寅彦八段(当時)との一連のやりとりの雰囲気にペースを合わせた谷川浩司名人(当時)流のサービス精神から出たものだと思う。

もちろん、「名人位を防衛するつもり」と同じ意味になる。

田中寅彦七段(当時)「一方、あのくらい!?で名人になる男もいる」

谷川浩司名人(当時)「これには、温厚(?)な谷川名人もカチンときた」

炎上を闘志に変えた田中寅彦八段(当時)