災難が続いたタイトル戦

将棋世界1993年9月号、高林譲司さんの第34期王位戦〔郷田真隆王位-羽生善治竜王〕第2局観戦記「北の地で、ライバル対決」より。

 挑戦者の羽生善治竜王先勝のあと、第2局は北海道占冠の「アルファリゾート・トマム」に舞台を移した。

 緑の大自然の中に突如タワービルが林立する一大リゾート地。「SFに出てくる近未来都市のよう」と羽生竜王が言ったが、まさにそんな感じだ。第1局の純和風のムードとはうって変わって、今回は洋風。これも若い二人の対局者にはぴったり合っている。

 とにかく眼前に広がる雄大な景色は、いくら見ても見飽きなかった。

 しかし今回ほど、様々な事件に遭遇した対局もない。だれが悪いということではなく、なぜか不運が連続したのである。棋譜をごらんいただきながら、その事件をご報告していこう。

(中略)

第一の事件

 前々日の東京―。将棋連盟の総務課から「立会人の佐藤義則七段が急病で同行できなくなりました」という電話をもらったのが、今思えば波乱の始まりだった。持病の痛風が悪化したとのことである。私もその病気は多少の経験がある。脚に痛みが出ると身体を動かすことができなくなるほどつらい。大げさにいえば、死ぬほどつらく、身体を1センチも動かすことができなくなる。

 急遽、滝誠一郎七段にピンチヒッターをお願いし、佐藤七段の名の航空券で北海道へ行ってもらうことになった。まずはことなきを得て一安心。それにしても、対局二日前の立会人変更は初めての経験だった。佐藤七段、くれぐれもお大事に。そして滝七段、急な依頼を快諾していただいてありがとうございました。

 そういえば正立会人の大内九段も、痛風の大先輩だった。会長の二上九段の痛風も有名である。

(中略)

第二の事件

 今度は対局前日の羽田空港である。

 JR中央線が止まってしまったという情報は耳にしていた。両対局者、両立会人ともに、約束の待ち合わせ時間には顔をそろえた。しかし記録係の瀬川三段がJRの事故の影響をもろにかぶった。

 出発の45分前が待ち合わせ時間。しかい10分過ぎ、20分過ぎても姿を見せない。瀬川三段には、対局用の駒、記録用紙、封じ手用紙と、一式を持ってきてもらうことになっている。加えて彼の搭乗券は私が持っている。これは相当に焦る体験だった。

 出発15分前、空港ロビーに駆け込んできてくれて、ホッと胸をなでおろす。ぎりぎり、本当にぎりぎりで滑り込みセーフである。

 しかし自分のみ遅刻したことで、瀬川三段はひどく恐縮し、また気が動転したらしく、事件はそれだけでは終わらなかった。

(中略)

第三の事件

 対局前日の話の続きである。

 ともあれ我々の飛行機は千歳空港に向けて何とか飛び立った。しかしその飛行機の揺れることといったらない。北海道への飛行は20回ほど経験しているが、今回が最悪。

 飛行機嫌いの滝七段は千歳に降りたところで「手に汗をかいてふるえていました」と話していた。私は飛行機の翼を信じているので、それほどのことはなかったが、とにかく揺れ続いたフライトだった。

 千歳空港では伝言が入っていた。早い便で先着しているはずの観戦記担当の鈴木宏彦さんからである。我々と同じ便に変更したものの、それに乗り遅れ、あとで単独で対局場へ行くというもの。

 これもJRストップの影響である。「やれやれ、いろんなことがあるわい」と思いつつも、子供じゃないのだから、それほど心配しなかった。

 その直後、冷汗がどっと出る事件がぼっ発。瀬川三段がバッグを羽田に置いてきてしまったというのである。先の遅刻が尾を引いていたのだろう。

 それもあるが、聞けば飛行機に乗るのは初めて。荷物チェックのところが預かり所と勘違いして、そのまま置いてきてしまったそうである。

 JRのことがなければ、全員一緒にゲートをくぐり、そんなこともなかった。出発まで10分。あたふたと駆け込み、こちらも瀬川三段の動向に目がいかなかったのが悪かった。

 急遽、羽田へ電話。バッグの在りかはすぐにわかり、次の便に積んでもらうことにした。しかし行動予定があるので、対局者はじめ、我々は空港を出発。瀬川三段のみ残ってバッグを受け取ることにした。先のこともあって心配だったが、「一人で責任を持たせた方がいい。私が奨励会のころは、北海道まで汽車で盤駒を一人で運んだものだよ」と笑顔で大内九段。対局用だから高価な盤駒に違いない。汽車に乗っている間、一瞬たりとも目を離さなかったという。大内少年も存外ケナゲだったようだ。

 結局鈴木観戦記者は前夜祭の途中で顔を見せ、瀬川三段は前夜祭のあと、大事なバッグとともに我々の前に姿を見せてくれた。一同拍手。それにしても長い一日だった。

 ところが、もっと大きな事件が対局二日目に起きるのである。

(中略)

最後の事件

 最後にして最大の事件は二日目開始直後に起こった。

 大内九段が封じ手を開封。本格的な戦いを目前に、一同グッと気を引き締めた。

 無事に対局が再開されたのを確認し、記者室へ引き揚げ、それぞれ夕刊用の原稿を打ちはじめたり、継ぎ盤の前に座ったりした時である。

 記者室の盤面が映し出されているモニターテレビが突然消えた。はじめ、だれかが線を踏んでコンセントを抜いてしまったのかと思った。「ワープロが消えちゃった。原稿が送れないよう」と叫ぶ担当記者。

 しかし電気が消えたのは記者室だけではなかった。全館エレベータがストップ。あわてて対局室へ駆け込むと、外光がわずかに入るだけで、とても対局ができる状態ではない。

 ホテルの一部分の電気が止まったのではない。地域全体の大停電である。

 「時間を止めて、復旧するまで休憩しましょう」との大内裁定で、両者席を立つ。いやはや、すごいタイトル戦になった。

 幸いホテルには自家発電の設備があり20分後に電気が点いた。中断の間、両者それぞれ、窓から雄大な緑の山々を眺めていたが、さてこれからと気合が乗ったところであり、心中穏やかではなかったろう。

 あとで電力会社の偉い人たちが数名お詫びに来た。原因はまだ不明。何百キロメートルという長い送電線のどこかに事故がおき、調査には時間がかかるとのことだった。

(以下略)

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高林譲司さんは、この10年後に将棋世界で「王位戦秘話」を書いており、この時のことが中心に取り上げられている。

王位戦秘話(1)

王位戦秘話(2)

今回のこの観戦記では、「王位戦秘話」では触れられていない、そもそもの発端となる中央線のことが書かれている。

2013年の「王位戦秘話」と1993年の「北の地で、ライバル対決」を合わせて読むことにより、この時の出来事の全てが網羅されることになる。

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「アルファリゾート・トマム」は現在の「星野リゾート・トマム」。