将棋世界1993年7月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 大阪」より。
名人戦は米長新名人誕生で沸いたが、4連敗という意外な不調に終わった中原先生。ファンも早く復調してもらいたいと願っているはず。捲土重来を期待しよう。さてその名人戦の第3局・福岡の対局を見学させてもらいに行った。立会は師匠の内藤九段。1日目の午後に会うと「昨日飲み過ぎてなあ、君の顔は見たけど今日は飲まんで」とクギを刺す。その夜、深夜3時を回る。私はもちろん師匠の部屋で酒を頂いている。師匠は首をひねりながら「おかしいなあ、今日は飲まんはずやってんけど・・・明日の朝は封じ手開封があるんや。こんな状態では出れんわ。神吉君、わしの代わりに封じ手開けてくれへんか」
「師匠、そんなことしたらワタシ、おこられますがな」
「かまへん、かまへん。胸に内藤ゆうシールでも貼って、内藤ですって入っていったらわからへんわ。さあ、わしもう寝るからそこの封じ手の封筒持って行ってくれ」
「・・・・・・」
しかし、師弟で何という会話をしているのだろう。もちろん笑いながらでジョークとわかるのでいいが、ひょっとして真面目な南九段が弟子だったらどうするのだろう(きっと胸にシール貼ってるはずや)。翌朝、私はほとんどネボケマナコで衛星放送を見ていたが、師匠はもちろん毅然とした態度で封じ手を開封している。なんぼ飲んでもやる時はやる。思わず感心しながら布団をかぶった。
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午前3時、楽しい雰囲気が伝わってくる。
「昨日飲み過ぎてなあ、君の顔は見たけど今日は飲まんで」と言いながら午前3時まで飲む内藤國雄九段が素晴らしすぎる。
過去の文献を調べると、内藤九段は、
一次会が終わった後、「あと一軒しか行かんぞ」と言って更に二軒以上行く、
「これから名古屋まで帰るン?そんなら新幹線でちょっとだけ飲もか。昨日のことがあるから、もうそんなに飲めへんで」
というように、最初にガードを張っておきながら、たくさん酒を飲むという懐の深い棋風。
「昨日飲み過ぎてなあ」という、この前夜の内藤九段の様子も見ておきたい。
将棋世界同じ号の林葉直子女流五段(当時)の「米長先生の気迫」より。
実にヘンピな場所にあるが、アメリカ映画にでもでてきそうなぐらい広大な敷地のホテルセンチュリーヒルズ。
とにかく、ホテルの看板があったからといって車を降りてはいけないようなところなのだ。
なにせ、門が見えてから600mクネクネとした道を上がらなければならない。
福岡市内から甘木まで車で小一時間。
だんだんビルもなくなって田んぼだらけになるので、どこに名人戦をやるようなホテルが・・・、と少し不安になった私がバカだった。
このホテルはゴルフ場としては日本一の広さだそうだ。
名人戦の行方を決める第3局にふさわしいところだ。
前夜祭は立食で地元ファンも参加できるようになっており、大盛況。奥様を同伴しているファンの人が多く女性の姿が目立った。両対局者の姿を一目みたいという気持ちよく解る。
中原、米長、男女問わず人をひきつけるパワーは超一流のお二人ならでは。嬉しそうな地元ファンに両者とも疲れた顔も見せず終始にこやかに。されど、パーティー会場の右と左の対称に位置する場にいた対局者同士は言葉も交わさぬままであった。
「やぁ、中原先生!」
といつもなら米長先生が、名人をみかけると話かけているシーンが見られるのだが―。気合いを十分にたえておられたのであろう。
パーティーが小一時間ほどした頃だったか、珍事が起きた。
私は仕事先の人と会場を背に電話をしていると、何やら会場から大きな拍手が・・・。先方の人にてっきり両対局者のコメントだと思い、私は用件だけ述べ、そそくさと会場に戻った。
しかし、ステージ上にいたのは、副立会人の淡路八段でスピーチをする風でもなく頭に手をあて、やたら照れている。
なんだろ?と思った瞬間、チャンチャカチャンチャンと音楽がなり出した。
「それでは、前座ということで『港町十三番地』を唄わせてもらいます」
ゲ・・・。
一瞬、私は目が点になった。
名人戦の前夜祭がカラオケパーティーに大変身するのではないか、と。
どうして唄っているのか、いきさつが解らないので、衛星放送の解説者、島七段のところに行くと、
「いやー、驚きました・・・こんなの初めて見ました。どうも、地元のエライ人が立会人の内藤先生に歌ってほしいと懇願したようで・・・」
無理だと解っていながら、あつかましく口にするのが九州男児。相当、押したのであろう。
ファンサービスも含めて、内藤先生は唄うことを了承して下さったよう。
「先にヘタな淡路を唄わせて、マイクの調子をみとかないかんやろ」
うーん、お見事。さすがプロである。
前座をつとめた淡路先生は、
「いやぁ、もう内藤先生はいつもあんなことばかり言うてはるから・・・。しかしあれやなぁ、カラオケもあんまり最近唄うてへんけど、唄ってみると気持ちええもんやなぁ・・・」
と、私にコッソリ胸中告白。
ちなみに淡路先生の歌声は、アマ三段弱か二段の強ぐらいの歌唱力ではないだろうか。
内藤先生のナマの歌声をきいて感激したファンの人が私にポツリ。「前夜祭って堅苦しい雰囲気じゃないかと思ったんですけど、今日は本当に来てよかったです」
両対局者も淡路、内藤両先生が唄っているときだけは、楽しい時間を過ごしたのではないだろうか。
前夜祭を終えたのは午後7時半を回ったころであった―。
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カラオケパーティーっぽくなった名人戦の前夜祭というのも空前絶後のことだろう。
淡路仁茂八段(当時)を前座歌手に仕立てあげるところなどは最高だ。
この夜の二次会では、内藤九段と淡路八段など、大いに盛り上がったことだと思う。
(ホテルの周りには何もないので、二次会、三次会、四次会というコースではなく、じっくりと二次会というパターンだったと推測される)
YouTube: プロ棋士 内藤国雄 ミリオンセラー「おゆき」を歌う
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この林葉直子女流五段(当時)の文章が、この後も絶妙。
一日目
毎日新聞のベテラン記者加古さんが衛星放送に出演した際、面白いことを言っておられた。
「米長さんは、対局10分ぐらい前に着いて名人を待つ。中原さんは、駒を並べてピッタリ9時開始になるように、4、5分前に現れるんです。しかし、今日は、中原さん、いつもだったら初手を取材用に何度かサービスするのをしなかったんですよ。中原さんのことだから忘れていることはないと思うんですけどね」と鋭いご指摘。
きっと名人はこの3局目にかける無言の意気込みを初手から見せたのであろう。
初手▲2六歩と突かなければ、この対局場からさほど遠くない筑後川に飛び込むとまで言いきっていた島先生の予想通りの展開となった。私は名人が初手▲3六歩なんてやってはくれないだろうかと秘かに期待していたのだが・・・。
中原玉と命名された▲5九金型は非常に面白い先方だと私は思う。が、誰もマネしない。誰もマネしないほど良い戦法だと思って私はマネするのだが、棋士達は、ほとんどの人が口を揃えたように、「あれは狙いがハッキリしないから難しい。中原名人しか指せない」という。
(中略)
二日目
控え室も必死に研究するが、すべて結果は後手(米長九段)が優勢に。
「米長先生が、名人を手中にできるんだと思って震えなければまず負けないネ」
と誰かが言っていた。
まだ3局目だが3連勝すれば、ほぼ名人になるという意味を含めてのこと。
中原名人のほうに風が吹いていない。
形勢のいいほうをもって指しても面白くないので私は先手側に座った。後手は淡路先生。脇に内藤先生もいらして、
「だめだこりゃー、先手のほうを持つと身体に悪いよ・・・」
とひと言。するとまた別の誰かが、
「先手持ってると、子供が産めなくなるよ・・・」
先手側の中原名人、辛かっただろう。
夕休後の控え室は、こんな会話が飛び交っていた。
「そろそろ投了するんちゃうの?」
と副立会の淡路先生が内藤先生の顔を見る。すると内藤先生、
「淡路、おまえ人の将棋やったら、さっさと投了させるけど、自分やったら投げへんやろ」
確かにそうだ、というように側にいた人は大笑い。
しかし、淡路先生の予想通り5分ほどして名人は静かに駒台に手をのせた。午後7時58分だった。
終局と同時に控え室から人がいなくなった。私と島先生だけがポツンとモニターの前に座って、タメ息。
「米長先生、まだ厳しい顔してますネ」
「そうだね。やっぱり米長先生、今回は違うね」
モニターを通しても両対局者の姿は迫力に満ちている。プラウン管からも”気”が漂ってきそうだった。
感想戦は2時間近く続けられていた。
この勝負に対する迫力の余韻であろう。
中原VS米長戦は、重要文化財にしてもいいはずだ。
米長名人に一歩近づくか、それとも中原名人また防衛かの行方を決める大一番、見ごたえがあった。
名人を本調子にさせない米長先生の気迫は今までとは違う。
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この対局の観戦記は別に書かれており、この林葉さんの文章は観戦記ではない。
林葉さんだからこそ書けた、現地レポートでもなければ随筆でもなければ日記でもない文章。
このような位置づけの記事は本当に面白いと思う。