将棋世界1994年4月号、中平邦彦さんの巻頭エッセイ「花開く季節」より。
綺麗な桜の花をみていると
そのひとすじの気持ちにうたれる (八木重吉)
桜の花は、あっという間に散ってしまう。しかもその間に春の天候不順がかぶさって、花にあらし、花に雨と、無情に散らしてしまう。しかし、だからこそ人は花を惜しみ、そのはかなさを愛する。
「花は咲くから面白く、散るから珍しいのだ」と世阿弥は言った。散るから命であり、人は桜に「時」を見るのだと。
学生時代、京都の喫茶店で女性と待ち合わせた。小さな石庭があり、桜があった。風が吹くたびに花が散り、白い石庭に舞った。だがその人は現れず、時だけが過ぎていった。
夕暮れが来て、すぐ夜が来た。散る桜は、白い石庭と同じ色になり、雪のようにかすんで見えた。あのとき、19歳の胸に浮かんだ思いは、決して大学では教えてくれないものだった。
4月になると、今も毎年、京都の平安神宮に紅枝垂れを見に行く。人の少ない平日の、夕暮れどきに見るその美しさに息を呑み、祇園の小さい料亭で桜鯛をサカナに一杯呑む。その帰りに、今はもう跡形もない喫茶店の前を通るのである。旨は疼かず、ただ懐かしさだけが通り過ぎる。
花開く春。しかし、越冬植物の多くは、生長の一時期に厳しい低温に遭わないと開花結実をしない。試練が、植物の体内に発育の原動力となる内的変化をもたらせる。これを、春化現象というが、人にも当てはまる。
花開く春。しかし、同じ庭に植えられた木でも、一方は早く育ち、一方はひどく遅れることがある。日当たりの差であり、人もまた花咲く春に早く巡り会う人もあれば、もう花は咲かないのかと嘆く人もある。
桜とともに名人戦が始まる。その舞台に立つだけで花咲く春だ。そして、その舞台を見つめる人々の思いを思う。
幾多の名勝負があり、胸打つドラマがあった。桜からリラ、ハナズオウ、フジ、ツツジを経て、夏の花ハナミズキまで続いた激戦もあった。華ある、美しい勝負を見たい。
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明日から名人戦。
名人戦第1局は、学校の入学式、始業式とほぼ同じ時期に行われる。
まさしく春を一番感じる時。
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中平邦彦さんの、
「学生時代、京都の喫茶店で女性と待ち合わせた。小さな石庭があり、桜があった。風が吹くたびに花が散り、白い石庭に舞った。だがその人は現れず、時だけが過ぎていった。
夕暮れが来て、すぐ夜が来た。散る桜は、白い石庭と同じ色になり、雪のようにかすんで見えた。あのとき、19歳の胸に浮かんだ思いは、決して大学では教えてくれないものだった」
の文章が非常に印象的だ。
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昭和の頃は化粧品会社の季節ごとのキャンペーンが大々的に行われ、テレビCMで流れるキャンペーンソングのほとんどはベスト10入りをしていた。
そういう意味では、当時の化粧品会社のキャンペーンソングが季節感を盛り上げてくれていた。
例えば、1980年代前半の春のキャンペーンソングは次の通り。
1980年春
不思議なピーチパイ 竹内まりや(資生堂)
唇よ、熱く君を語れ 渡辺真知子(カネボウ)
1981年春
ニートな午後3時 松原みき(資生堂)
春咲小紅 矢野顕子(カネボウ)
1982年春
い・け・な・いルージュマジック 忌野清志郎& 坂本龍一(資生堂)
浮気なパレットキャット ハウンドドッグ(カネボウ)
色つき女でいてくれよ ザ・タイガース(コーセー化粧品)
1983年春
う、ふ、ふ、ふ、 EPO(資生堂)
夢恋人 藤村美樹(カネボウ)
1984年春
くちびるヌード 高見知佳(資生堂)
Rock’n Rouge 松田聖子(カネボウ)
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とはいえ、よくよく考えると、これらの春のキャンペーンは2月下旬頃から4月上旬までCMが流れていたわけで、当時の4月を思い出すというよりも、むしろ3月のことを思い出させてくれる曲の数々のような気もする。
将棋で言えば、名人戦開幕の頃ではなく王将戦や棋王戦終盤の頃。
なかなか微妙な季節感かもしれない。