泉正樹六段(当時)「康光君の真摯な人格を見る時、何事もおろそかにしない姿勢が現在の地位を獲得させているようにも感じる」

将棋世界1994年6月号、泉正樹六段(当時)の「後手必殺 急戦矢倉」より。

 ところで、連盟一の安全運転を自認する私も無キズの完璧ドライバーとはいかない。

 免許を取得してかれこれ8年経つが、ほんの少しの油断から一度だけ”レッカー車”の荷台にかつぎこまれた。計3万円もの罰金を納めたが、納得出来ない気持ちであった。というのも、容量を心得た違反者には全くといっていい程、手つかずの状況だからで、いくら運、不運があるといっても、悪知恵を働かす悪者どもをこのままのさばらしておいていいのだろうか。

(中略)

 そういえば、実は私も周りの人の心胆を寒からしめた事があった。

 それはゴルフ場から鮨屋に行く途中の出来事で、普通に主要道路を走ると30キロの道程で混雑は免れず2時間は費やす。

 そこでゴルフ場で聞いた近道を”窮余の一策”として用いることになり、「泉カー」、「達カー」、「マリオカー」の順で鮨屋を目指した。

 出だしの10分ぐらいは誠に順調で対向車すら滅多に姿を見せない。助手席の佐藤義則先生は楽観ぎみに、

 「千葉の山奥をスムーズに走れて、けっこうイキじゃん」なんて、気もそぞろに心はすでにお魚とご対面。

 ところが、その後5分も進むと、道端は極めて細くなり、対向車が来たらとても通る事ができないぐらいのスペース。

 「なんかおかしいな。道どっかで間違えたんじゃないか」と義則先生は不安を訴えたが、先頭車の責任ゆえ、どうあっても先に突き進むより他になかった。

 暗雲立ちこめる中、後続の2台も仕方なく追従。

 ちなみに、達五段の車には今をときめく佐藤竜王と中川五段、マリオ先輩の車には、河口先生と佐藤秀四段が乗り合わせている。

 もうすでに狭くて険しい道程は4、5キロに達しているが、依然として光明は開けず、完璧に路頭に迷った空気が社内に充満。しかも走れど走れど、曲がり道はおろか民家さえも出くわさない。

 思わぬ事態に陥った棋士8人の運命やいかに。

 果たして、無事に鮨屋に辿り着くことはできたのだろうか?

 焦りと不安が入り乱れつつ、来月号へ続く。

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将棋世界1994年7月号、泉正樹六段(当時)の「後手必殺 急戦矢倉」より。

 ゴルフでの感想戦は旨い鮨をつっつきながら。この意に反して3台の車は山奥の僻地を必死にさまよい続けている。

 私の野獣性豊かな突進が形勢を悪化させた原因。途中で機転をきかし他の2代台にも対策を講じていれば困難は未然に防げただろう。どうにも”お手上げ”状態であったが、路上から脱線するアドベンチャーだけは何としてもさけなければならない。なにしろ、ここで車ごと生き埋めになりましたでは、お天道さまにも将棋の神様にもあわす顔がないからだ。

 やがて進路は予想通りというべきか無人の民家に直面し途絶えるに至った。こうなると、元通り進路を反省するよりないが、車3台がやすやすと回れ右できるスペースは困難を極めた。

 私は必死の作業で切り返しを目論むが、義則先生の「ヒャーちょっとまて、おれをおろしてからにしてくれー」の悲鳴で崖寸前からの転落を思いとどまった。

 達君の車は比較的広い道幅までバックして事なきを得たが、マリオカーはそのまま民家に激突したかと思う程の強靭さで巧みに切り返しを果たし、危機に直面する野獣カーを生還させるべく「ハイ~バックオーライ」といた調子で指示を送ってくれるのだった。マリオ先輩のこのファインプレーで最悪の事態だけは免れたが、みんな私の方向感覚の悪さにあきれていた様子であった。特に河口先生は「泉君の運転はゴルフ同様なにをしでかすか解らない」といってタバコをスパスパやりながら、恐怖にかられた神経をひそかに鎮めているようだった。

 達君はサバサバした性格なので、「まあすんだことは仕方ないじゃないですか」と私を少々なぐさめてくれ、「私が先に行きますので」で運転再開。

 自信みなぎる達君の姿を見て皆一安心だったが、一度泥沼に足を踏み入れるとなかなか形勢の復活は難しい。勢い良く走りだした達カーは、みるみる後続車をひき離し正解手順の道筋に向かうものと思われた。しかし、ここにも落とし穴がひそんでいて、やがて私の車が遅まきながら達君の車を発見した状況は、何と田んぼの中に後輪が突っ込み、意外な展開をを映し出していた。

 達君は「あ~あ、やっちゃった」てな具合に髪の毛を掻き毟りつつ「すまん、手をかしてくれ」といって後輩達に協力を求めるより手立てがない様子だった。

 今まで車内でじれったくて力を持てあましていたのだろう。中川君と秀司君は遂に自分達の出番が来たとばかり「ウォー、グゴー」と元気良く車台を持ち上げ救出作業に没入。この二人より筋力に自信のなさそうな康光君は、何で今自分が車を押し上げているのか、なんてしぐさで必死に4本の手足をふん張らせていた。

 竜王になるような人間にこのような行為に走らせたのは、後にも先にも達君だけだろうが、康光君の真摯な人格を見る時、何事もおろそかにしない姿勢が現在の地位を獲得させているようにも感じる。

 ともあれ、ショートカットを狙った道筋はことごとく失敗に終わり、3台の車は敗軍さながらに来た道をゆっくり戻っていくのだった。結局3時間を費やして無事に目的地の鮨屋に辿り着いた訳だが、判断のミスは思わぬ進展を作り出す。ドライバーの心得として正しく局面を認知する読みが重要。特に知らない土地を走るときは「急がば回れ」の精神的ゆとりも大切な条件でしょう。

 安全運転に徹するべく、ルールとマナーもわきまえて快適な走りを実践してまいりましょう。

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夜の山道を車で走っているうちに道に迷ってしまった。

いろいろ抜け道を探すが、ない。

道幅はどんどん狭くなってきて、対向車はおろか後続車もない。

「もう引き返そうよ。この辺、変だよー」とA子が言う。

A子は昔から霊感が強い。

しかし、Uターンする場所がない。

しばらく行くと、行き止まりに無人の民家があった。

「あの家へ近づいちゃダメ!」とA子が叫ぶ。

しかし、民家にかなり接近しなければ車の方向を変えることはできない。

突然、助手席に乗っていたB子が苦しみ始める。

「み、水がほしい……」

何かが憑依したような、いつものB子とは思えないような声。

「B子に古武士の霊が覆いかぶさっている!早くここを離れて」とA子が叫ぶ。

とにもかくにも、車の方向を変え、急発進して無我夢中で走り続けた。

間もなくB子は落ち着きを取り戻したが、後ろの座席に座っているC男は震えているのか、さっきから無言のままだ。

何分走っただろう、ようやく少し広い道へ出ることができた。

すると、突然、目の前を白い影が横切った。驚いて急ブレーキをかけたが、後輪が田んぼの中に入ってしまった。

「何だったんだろう、今のは……」

車を降りて、ふと、フロントガラスを見ると、そこには血のような赤い手形が無数に付いていた。

    

・・・という、心霊体験談に多く見られる事例と似たような地形、状況なのだが、8人の棋士のパワーがそのようなことを忘れさせてくれる。

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車台を持ち上げている中川大輔五段(当時)と佐藤秀司四段(当時)、リポビタンDの「ファイト・一発!」のCMを思い出してしまう。

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佐藤康光九段は1990年代、将棋以外のことで小さな災難(メガネが複数回壊れる、ゲームでよく負けるなど)に遭遇することが多かったが、やはりここでも登場している。

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それにしても、ここまでして向かった寿司屋がどのような店なのか、気になる。