将棋世界1994年7月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 in 関西将棋会館」より。
最近のテレビで、自分が出演しているものの他にかかさず見るのが「料理の鉄人」という番組。内容は和・洋・中の三人の名人シェフに、毎週各分野のトップシェフが挑戦、雌雄を決するというもの。とにかく45分の番組中、プロフィール紹介から対決、どちらが勝つかまで、ひとっつもつまらないところがない。クオリティーが抜群に高いのだ。
本当のプロが与えられた時間の中で、最高のモノを考え、最高の技術を披露する。これは将棋の世界にも相通じるはずで、見せ方によっては視聴率抜群の将棋番組だって出来るはずだ。
さあ、私もひとつ考えてみた。その名も「料理の鉄人」のパロディ版「将棋の鉄人」だあ!
えっ、内容?もちろんちゃんと考えてまっせ。私が鹿賀丈史役で、毎週アマチュアのトップをスタジオに招いて対戦相手を呼び出す。
「蘇るがいい、アイアン棋士達よ!」
そう叫ぶとスモークの中から三人の棋士が現れる。一人は駒を持ち、一人は駒台を持ち、一人は七寸盤を持って登場だ。そして盤を持った棋士はフラフラしながら、スモークを吸ってゴホゴホむせて倒れる。これでツカミはOK!
で、各鉄人の得意分野と名前の発表だ。関西バージョンで。
「紹介しましょう。矢倉の鉄人・谷川浩司、振飛車の鉄人・小林健二、手将棋の鉄人・内藤國雄ぉ!」
「あわわ…」 「ちゃー」 「おーい、お茶」 誰が誰か分かる?
「さあ、今日の挑戦者はどの鉄人を指名しますか」
「はい、内藤鉄人を…」
「なんじゃい、ワシかい」
「さあ、この対決のテーマは…これだ!鬼殺し対決ぅー」
鬼殺し対決とは、▲7六歩△3四歩▲7七桂△3三桂▲6五桂△4五桂と跳ねあう対決である。
で、30秒将棋の白熱した戦い。そして決着がつく…。
「ふぅー、えらい将棋やったのう。まあよう迫ったほうやろ、ワシに勝つにはまだまだ10年早いがのう」
てな調子で番組が終了するのだが、どうだろう。人気が出るだろうか。これを読んでるテレビ局の人、早速企画してぇな、たのんまっせ!
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「料理の鉄人」は、1993年10月から1994年3月までは毎週日曜22:30~23:00、1994年4月から1999年9月までは毎週金曜 23:00~23:45にフジテレビ系で放送されていた。
私も「料理の鉄人」は放送開始数週間後から1998年頃まで毎週欠かさず見ていた。
当時は「料理の鉄人」関連の書籍も何冊か出版され、それを全て買って読んでいたのだから、私も相当熱心な視聴者だったのだと思う。
和の鉄人が道場六三郎さん、中華の鉄人が陳建一さん、フレンチの鉄人が坂井宏行さんの時代が最も長かった。
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私はその中でも、陳建一さんのファンだった。
一度は陳建一さんの「赤坂四川飯店」へ行かなければと思い、予約をして訪ねたのが休日の前の1995年3月20日のこと。この日の日付けを覚えているのは、地下鉄サリン事件が起こった日だから。
四川飯店の古くからの名物料理は麻婆豆腐、海老のチリソース、担々麺など。
特にこの時の麻婆豆腐のことは忘れられない。
麻婆豆腐には、麻婆豆腐と陳麻婆豆腐の二種類があって、私達は陳麻婆豆腐を頼んだ。
陳麻婆豆腐は四川の山椒が効いた本場の四川バージョン。(後から知ったことだが、陳麻婆豆腐の”陳”は陳建一さんの”陳”ではなく陳麻婆豆腐という四川料理の名称)
すると、お店の人が、「陳麻婆豆腐はかなり辛いですけれども、よろしいですか?」と聞いてくる。
「辛いものが大好きなんです」と答えると、「本当に辛いですよ」と笑顔を見せながらお店の人は去っていった。
出てきた陳麻婆豆腐を見ると、通常見慣れている麻婆豆腐よりも色が黒い。それほど山椒が入っているということだ。
食べてみると、想定をかなり上回る辛さ。とはいえ、焼けるような辛さではなく痺れるような辛さなので、冷静に考えてみると、癖になりそうな美味しさ。
他ではなかなか味わうことのできない、絶品の麻婆豆腐。
この時は、フカヒレと白菜のスープ、デザートなども忘れられない美味しさだった。(一緒に行った人が海老が苦手だったため、海老のチリソースは頼むことができなかった)
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「料理の鉄人」の初期の頃、挑戦者として大いに番組を盛り上げてくれたのが周富徳さん。
周富徳さんが4月8日に亡くなったことが、今週の初めに報じられた。享年71歳。
当時、周富徳さんが総料理長を務めていた「璃宮」へ行ったのは1995年の12月のことだった。(現在の周富徳さんの店は広東名菜富徳)
その日はクリスマスメニューでコース料理のみの日。
フカヒレのスープ、中華茶碗蒸し、チャーハンが絶妙だった。
また、周富徳さんによって考案された「エビのマヨネーズソースあえ」は、当初のイメージとは異なる、妖艶な甘さの感じられる味。
マヨネーズソースの甘さの秘密をレシピで調べてみると、ジンが入っていることがわかり、とても納得ができる。
周富徳さんが亡くなったとの報せを受け、道場六三郎さんは「また、周さんのチャーハンを食べてみたいな」と語っている。
この記事を読んで、私も19年前の周富徳さんのチャーハンのことを思い出し、感傷的な気持ちになった。
→道場六三郎さん、周富徳さん悼む「また周さんのチャーハン食べたいな」(報知新聞)