「何事も名誉がつくほうがつかないのよりはエラいのだが、たった一つの例外が将棋の世界だ」

近代将棋1987年10月号、河口俊彦六段(当時)の「プロ棋界最前線」より。

 名人就位式が神田一ツ橋「如水会館」で行われたが、参加者多数、赤木駿介さん他来賓のスピーチも見事で、いい会だった。

 ただ、将棋関係のパーティーのすべてに言えることだが、女性の参加者がすくないのが残念。米長九段は、それを気にして、自分の会のときは、特に声をかけているようで、眞野あずささんがあらわれて華やかな話題をふりまいたりする。

 だが、そういうことに無頓着なのは、中原名人の人柄でもある。

 ところで、名人推戴状を渡すのが、大山十五世名人、受け取るのが、中原十六世名人と、二人の名人が並べば、話題はどうしても、大山の名人在位18期を、現在12期の中原名人が抜くかどうか、になる。

 名人に10期以上もいるとは大変なことで、あらためて二人の強さを痛感させられるが、そういうこともあって、名人在位5期以上には、永世名人の称号が贈られる。大山十五世名人と呼ぶのはそれがあるからで、みなさんもすでにご存知の通りである。

 5期以上の条件があるから、1期や2期名人位にあっただけでは、失ったあと名人は名乗れない。升田九段、加藤(一)九段、というのはそのためである。しかし、升田、大山時代と、一時代を築いた人の一方を、単なる九段ではつり合わないのではないか、との意見はかなり前からあり、呼称もいろいろ検討されたが、適当な案がないまま今日に至っている。

 そこへ、今年の棋士総会で、升田九段に、「実力制第四代名人」(仮称)の称号を贈ったら、の案が出された。つまり、名人位が世襲から実力制に変わって、初代が木村義雄、二代が塚田正夫、三代が大山康晴、四代が升田幸三、というわけ。苦しいがこれも一案であろう。

 総会でも、一部に反対意見もあったが、それも、引退後、ある年齢を越えてから、等の条件をつけることで、賛成多数となった。

 私も賛成なので、酒の席でそれを言ったら「そんなバカな、絶対に許せません」とカラまれたこともあったが、はっきりした反対理由もなく、単なる感情論のようだった。もし、なにか理由があったにしても、引退棋士には贈昇段があるのが慣例になっているし、そもそも、10何年か前、昇段規定に特例を設けたときに、基本的なルールは破られている。次々に新しい規定が作られるのは、やむをえないことではなかろうか。

 ここで世論を一つ紹介しよう。塩田正男さんが書いているが、今いった案が出る前のものである。

「升田幸三といえば大山永世名人とともに将棋界に一時期を劃した人。将棋界の大功労者だ。ところが、その人を遇するに、目下のところただの「九段」の称号しかない。これでは気の毒だというので、将棋連盟では頭をひねったすえ、名誉名人の称を贈ることにした。升田さん、これを聞いて喜ぶどころか、怒ったそうです。辞退なんて、なまやさしいものではなく、「ワシを馬鹿にするのか」と憤慨して卓を叩いた。まあ、これは升田さんが怒るのは当然だろう。何事も名誉がつくほうがつかないのよりはエラいのだが、たった一つの例外が囲碁将棋の世界だ。私も実は名誉初段の免状を持っているが、これがただの初段よりはるかに格落ちであることは天下周知のこと。将棋の世界に限っていえば、名誉がつくくらい不名誉なことはないのである」(小説新潮、62年1月号)

 よく事情をご存知だが、今度の案には、なんと言われるだろか。それはともかく、引用文には一つ誤りがある。

 それは、囲碁界には、現役で名誉本因坊、名誉棋聖を名乗っている人がいる、という点である。一囲碁ファンとしていえば、坂田、藤沢ほどの大棋士が肩書にこだわるのは、意外でもあったし、やっぱり並の老人と同じなのか、と寂しく思った。タイトルがなくなって九段であっても、「シノギの坂田」「カミソリ坂田」「泣きの坂田」「豪放の藤沢」「厚みの藤沢」など、立派なニックネームがあるではないか。こういうものこそ、単に勝ってタイトルを取っただけでは得られない、超一流棋士の称号にほかならない。

 升田九段にも、いろいろなニックネームがある。なかで「ヒゲの九段」というのが、いちばん好きである。升田先生の口グセでいえば「強げ」に聞こえん、と気に入らないかもしれないが「ヒゲの九段」には人間味あふれた味がある。実をいえば、実力制名人などの称号があれば、ヒゲの九段と書けなくなるのを残念に思っているくらいだ。

 そんなわけで、今回の称号を贈る、というのはさしたる問題ではない。ヒゲの先生が喜んでくださるのなら、さし上げたらいいではないか、が棋士多数の考えで、自分に利害関係がなければ、ま、どうでもいいやというわけである。

 大選手が引退すれば、引退試合が行われる。それがなければ、他の形でのセレモニーがある。ヒゲの九段に、それがなかったのは、どう考えてもおかしい。称号を贈り、それを機会に華やかに祝賀パーティーでも開いて、一つのけじめをつけたら、というのが私の願いである。

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将棋界で「名誉」がつく永世称号は「名誉王座」と「名誉NHK杯選手権者」の二つだけ。

二つとも羽生善治九段だけが資格を持っている。

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名誉名人は、小菅剣之助名誉名人と土居市太郎名誉名人。

昭和11年に日本将棋連盟分裂が分裂し、その際に仲裁を行ったのが小菅剣之助(実業界に転身、衆議院議員にもなっている)だった。仲裁は好調に進み、その結果、大同団結した新団体は、小菅剣之助によって「将棋大成会」と命名される。

昭和11年11月、将棋大成会は全会一致で小菅剣之助に名誉名人の称号を贈った。

これだけでも凄いのだが、小菅剣之助名誉名人は関根金次郎十三世名人との対戦成績が7勝0敗(香落ち上手、香の相引き、平手)だった。年齢は関根十三世名人の3歳上。

将棋も滅法強かった。

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土居市太郎名誉名人は関根十三世名人門下で、関根十三世名人より19歳若い。

関根十三世名人が名人を襲位したのが53歳(1921年)の時で、この頃は土居市太郎八段33歳の指し盛り。

土居八段が実力トップという時代が長く続いていた。

しかし、実力制名人戦が開始された1935年は、土居八段47歳というタイミング。第2期名人戦(1940年)で挑戦者となるが、木村義雄名人に1勝4敗で敗退。

土居八段は1949年に引退。1954年に名誉名人を贈られた。

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名誉名人になるのもかなり難しいわけだが、「ワシを馬鹿にするのか」と憤慨するところなどは升田幸三九段の面目躍如。

河口俊彦六段(当時)と少し似た感想となるが、升田幸三実力制第四代名人に関しては、二人しか九段がいなかった時代の「升田幸三九段」という表記が、一番強そうに思えてくる。