近代将棋2006年12月号、遊駒スカ太郎さんの「関東オモシロ日記」より。
将棋界は坊主になる率の高い世界だと思う。
過去の例を挙げるとキリがなくなるのだが、剃髪の名人戦として知られる森けい二九段を筆頭に、先崎学八段、中田功七段、櫛田陽一六段、豊川孝弘六段、田村康介六段らが坊主頭にしていた記憶があるし、女流棋士では竹部さゆりさんが奨励会時代に坊主頭にしていたこともあったりするわけですね。実をいうとオイラも1回だけ、坊主頭になったことがあったりします。奨励会員を含めると、常に誰かは坊主頭にしているような、そんな雰囲気すらも将棋界にはあったりします。
なぜかという科学的な証明はできませんが、将棋というゲームにかかわっていると、精神的な面で禅を組んでいるような状態に近くなってしまうような時がおとずれ、それが坊主頭になってしまいたくなる要因のような気がします。
「禅僧のように頭を丸めてみたい」というような気持ち。それが、ついつい棋士たちを坊主頭にさせるのではないでしょうか。
中でも坊主頭になる率の高さでいえば、櫛田六段と豊川六段が横綱級だと思う。
さて、その豊川六段が最近またまたまた(おそらくオイラの記憶が確かなら3回目)坊主頭になったのである。
8月上旬、本人曰く「自己最短の3分刈です」という坊主頭になった豊川六段がいた。
一緒に飲みに行ったときに触らせてもらうと「かための歯ブラシ」みたいな手触りが妙に気持ちいい。その妙に気持ちの良い手触りを感じながら、貧乏症のオイラは、(ああ、ここまで短くしちゃうと、床屋代かからなくていいな~)なんてことを思っていたのだった。
ところが、である。
2週間後に豊川六段に会ったところ、妙な違和感をオイラは感じたのだった。
オイラも坊主頭になったことがあるからわかるのだけれど、坊主頭というのは最初はゴルフのグリーンみたいにきっちりと芝高をそろえて刈り取られているものの、しばらくするとすぐにラフのような状態になってくるのだ。
その状態が、豊川六段にはなかった。
「あれ、ひょっとしてまた床屋に行きました?」とたずねると、「ええ、行きつけの美容室でそろえてきましたよ」と豊川六段は答えた。
襟足がきっちりとそろえてあり、もみ上げの部分も綺麗に整えられている。しばらくすると亀の子タワシみたいになるはずの坊主頭が、妙にオシャレな坊主頭になっていたのであった。
それからさらに3週間ほど経ったころだったろうか。
オイラはまたまた豊川六段の頭に違和感を覚えたのであった。微妙にまたまた襟足が整えられているような気がしたのである。
「あれあれ、ひょっとしたら、またまた美容室に行きました?」とたずねると、「スカさん、よく分かりますね。昨日、美容室に行ってきたんですよ」と豊川六段は答えた。
坊主頭になって1ヵ月。おそらく伸びたのは1cm程度だったと思うのだが、その間に”坊主頭”の豊川六段は2度も美容室に行ったのである。なんておしゃれな棋士なんだろう、という思いとともに、なんでこんなにオシャレな人が坊主頭になっちゃうんだろう、という思いも湧いてきて、オイラはその矛盾した現実にクスクス笑ってしまったのだった。
10月上旬、またまた豊川六段に会った。やはり豊川六段は、またまた美容室で整えていた。豊川六段にその辺を確かめてみると、坊主頭にしたのが8月2日。その後、8月13日、9月10日、9月28日と美容室で整えているのだという。
なんとお金のかかる坊主頭だろう。
オイラはその日、2ヶ月半ぶりに床屋へ行き、ボサボサに伸びた髪の毛を綺麗サッパリと切ってもらったのだった。
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4月16日のテレビ朝日系「マツコ&有吉の怒り新党」に映像出演して、そのオヤジギャグ溢れる解説が非常に高く評価された豊川孝弘七段。
豊川孝弘七段は、何も話さなければ、故・三島由紀夫氏と外見の雰囲気が似ていると思う。
やはり髪型が似ているのも関係しているのかもしれない。
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江戸時代の将棋所は剃髪をしなければならなかった。
そういう意味では、江戸時代の強い棋士は坊主頭だらけだったということになる。
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スカ太郎さんが挙げている以外の棋士で坊主頭にしたという記録があるのは、村山聖九段、屋敷伸之九段、木村一基八段、沼春雄七段。最近の例では西川和宏四段。
それぞれ、坊主になった動機は異なるようだ。
→坊主頭
→仮面の男