将棋世界1994年8月号、羽生善治名人誕生!!ロングインタビュー「升田先生と指してみたいですね」より。
―ところで、大山名人や升田名人の全盛時代の棋譜はあまり並べるほうではないと聞いたのですが。
羽生「そうですね。ただ最近、大山-升田戦を並べているんですが、面白いですよ。名人戦だけなんですが、昭和20年代から、最後は昭和40年代ですか。結構現代に通じるところもあるんで」
-大山将棋と升田将棋はどちらが好きということはないですか。
羽生「見ていての面白さだけでいえば、升田先生のほうが圧倒的に面白いです。ただそれは、大山先生が相手だからこそ、升田先生もいろいろ技を掛けに行っているわけで、相手が大山先生でないとみれない面白さなわけですから」
―若い頃は、詰将棋を解いていた時期もありましたか。
羽生「ええ、奨励会時代は、詰将棋と実戦だけでした。『無双』と『図巧』も図面用紙に書いて解きました。四段になってからですね、棋譜を並べて序盤を考えるようになったのは。最近でも詰将棋は考えますよ。将棋世界の詰将棋サロンや付録、詰パラなんかも」
―解けないこともありますか。
羽生「あります。時間をかければ解けるのは分かっているんですが、最近は一題に1時間も2時間も考えるのがだんだんめんどくさくなってきて。30手前後には、難しい作品が多いですから」
―ところで、今までの棋士人生で将棋について悩んだことはあるのでしょうか。外野から見ていると順調な棋士人生を歩んでますが。
羽生「一応、1年ごとに自分なりに少しずつ変えていくんですけど。たとえば四段になりたての頃は、長い時間にあうように体質を変えていくとか。1年、1年悪い点を直していってます」
―それは年度始めなどに考えるわけですか。
羽生「大きなのはそうですね。定跡形を指さないとかの方針を。小さなことはすぐ変えることもあります」
―最初に取った竜王を次の年に谷川さんに取られた時のことをお聞きしたいのですが。
羽生「何かなかなか自分の思い通りに将棋が指せないという思いがありましたから、もどかしかったですね。それからは、序盤なんかを分かりやすくして、迷うことなくやってきたんですが。それをまた最近少し変えたということですね」
―最初の敗戦の後、谷川将棋を集中的に研究したりしたのでしょうか。
「いや、それは特になかったですね。2年後の竜王戦の時からですよ。対戦も圧倒的に多くなりましたし。最初の竜王戦終わった後は、もちろんなくなってショックでしたけど、だからといってすぐに集中的に研究したことはなかったですね」
―あの頃と最近の自分の将棋を比べてどうですか。
羽生「そうですね。あんまり細かいところにこだわらなくなりましたね。将棋やってて。場面場面で余計な心配をしなくなりましたね」
―細かいことというのは、枝葉の変化ということですか。
羽生「そうです、そうです。後、終盤になったときに、前よりはぱっと手が見えるという点では、自信があるんですけどね」
―手を読むスピードは、若い頃のほうが速かったのでしょうか。
羽生「読めるスピードは今のほうが速いでしょうが、読んでる量は昔のほうが多かったですね」
―ところで、竜王戦で佐藤さんに負けて、森内さんや、村山さんとは、対戦成績がせっていますよね、その辺りは。
羽生「彼らが強いんですよね。だから、あまり勝ち越せないんですよ。ただ、タイトル戦に出てこないんで対戦する機会が少ないんです。谷川さんがそういう人たちを負かすんで、片っ端から、本当に。自分と同じ世代や若い人とは、やりにくいということはないですが、ただやるんでしたら、一番、一番ではなく、続けてやりたいですね。相手もどんどん変わってきていますので時間を置くと、あれっどんな棋風だったかなと思ったりしますし」
―いろいろなプロの世界がありますが、これは凄いと思う人はいますか。
羽生「今一人と言われてぱっと浮かぶのは、マイケル・ジョーダンなんですが。もちろんバスケットボールは凄いんですが、またプロ野球に挑戦してるじゃないですか。本当に凄いと思いますよ。バスケットという道を究めて、またゼロからやり直すというあの精神みたいなのは凄いなと。本で読んだんですけど、地元のシカゴでやるとき、一番最初に来るらしいんですよ。まだだれもお客さんが来ていない中で、黙々とフリースローをやるんですよね。子供がいれば一緒に遊ぶという」
―引退した人も含めて番勝負を戦ってみたい人というと誰でしょう。
羽生「一人挙げるんでしたら、升田先生ですかね。大山先生とは、非公式戦を含めれば10局ほどやっていますから。実際にやってみると、どういう着想で指してくるかとか分かりますから。現役の棋士では中原先生ですね。まだ一度も番勝負で戦ったことがないですから。番勝負だと、前の勝負を引きずりながらやるのでそこが全然違いますね」
―羽生さんの場合、番勝負の急所、急所で勝たれているので、『将棋の申し子』というより『勝負の申し子』というイメージがあるのですが。
羽生「そうですね。内容的なことをいえば、確かにそんなにいい物を残してないという気はします。棋譜的には。ですから今度の名人戦にしても、会心の将棋というとなかなかないんですよ。強いてあげれば1局目ですが。後、大きな勝負になるとどちらも力を出し切るというのは少ないですよね。本当に稀なケースですよね。まだまだ改良の余地があるということだと思います」
―竜王戦ですが、谷川さんと佐藤さんに負けたときでは、ショックの質みたいなものが違いましたか。
羽生「佐藤君の強さはよく分かっていましたから。6局目の最後は、割合早めにダメだなと思ってしまいました。集中力が切れてしまって。あの七番勝負は先手で勝っていかないといけない勝負ですから、5局目を落としたのは痛かったですね。後手番のほうが思い切っていけるんですよ。作戦的にも思い切れますし。先手の勝ちを1勝とすると、後手の勝ちは1.2勝か1.3勝に当たるという、そういう感触は持っています。後手番で勝つと後の展開がずいぶん楽になりますし」
―羽生さんは、振り駒での先手番の高さが知られていますが。
羽生「そういう風に言われ出して以来振り駒が弱くて。プレーオフも、昨日の棋聖戦も後手番でしたし。確かにタイトル戦では十何回先手でしたけど、調べてみるとその前は後手番なんですよね。ちゃんと調べてもらえば帳尻はあっているんですが」
―ところで、プロの最高峰のレベルはまだまだ上がっていくものなのでしょうか。
羽生「ええ、まだまだ上がると思います」
―昔の名人よりも今の名人や、これからの名人のほうが強いということでしょうか。
羽生「まあ、一概には比べられませんが、そうあってほしいと思いますけど」
―研究が進んでいきますから、序盤が進歩するのは分かりますが、終盤はどうですか。
羽生「でも、終盤はここ10年、20年で飛躍的に技術が伸びたんじゃないでしょうか。最後の王様を詰ます、粘るという部分は」
―終盤は幾つかの型に分けられるというお話を聞いたことがありますが。
羽生「と言いますか、どういう理屈で考えているかというのを言葉で表せるようになればそれは凄い進歩だと思うんです。具体的に局面を出さなくても、こういう局面の時にはこうするという、方針を出せればということなんですが。『羽生の頭脳』の次はこれかなと。中盤はまた違うんですよね。曖昧な部分が多いので。序盤は進歩というより歴史の積み重ねみたいなところが大きいので、進歩というのとは少し違うような。むしろ最後の部分のほうが進歩があるんじゃないですかね。昔は、粘るという概念がなかったですから。駒を埋めてとか。それは昔の棋譜を並べていると思うことがありますね。今は、終盤になったときに一番最後の場面は、読みがぴったりと一致することが多いんですよね。だけど昔の棋譜を見るとちょっとそうじゃないような。もうすぐ終わるかなと思うと50手ぐらい続くような。単に寄せが遅いのとは違うような、曖昧な局面が続くんですよ。今のようになってきたのは、ここ10年ぐらいというか、それこそ谷川先生が出てきてからのような。勝ちを読み切るというのは、もちろん昔からあったんでしょうが、完璧に読み切るという発想は最近ですよね」
―その谷川さんに最近負けてませんが。
羽生「最初の竜王戦の頃は、一番最後の場面で、明らかに読んでる量も、どの辺りから読み切っているかという点も谷川さんのほうが上でしたから。最近はこちらがどうと言うよりも、谷川さんに単純な見落としが多いですから。そんな印象です。このところ、ずーっとやっていますから、終盤での手の捉え方とかは、凄い参考になっています。あと、終盤と同じぐらい序盤も巧いんですよね。序盤も影響を受けています」
―谷川さん以外で影響を受けた棋士というと誰でしょう。
羽生「中原先生、米長先生ですね。局数も指していますし、見ているのも多いですし。米長先生ですと、悪くなってからの粘り方ですね。相当影響を受けたと思います。中原先生は、以前ですと手厚さ。最近ですと、いろいろやっていますよね。その辺りの序盤の感覚ですね。自分でやってみても巧くいかないし、よくわかんないんですけどね」
―かなり前から将棋界は20代全盛という感じなのですが。
羽生「理由はいろいろあるんでしょうが、たとえば、全体的に持ち時間が短くなったとか、棋戦の数が増えたとか。棋戦の数が増えると、上位者と当たる機会が多くなって、それで勝ったりすると自信がつくじゃないですか。そうするとほかの大きいところでも勝てるようになるという。下の人から上位者のいろいろな部分が見えてきたんじゃないですか。あと、内容的なことをいうと、最近不定形をやって分かったんですが、乱戦になると、年代が上の人のほうが、絶対手が分かるのが速いですね。それが今は、自分の形だけ決めておいて研究していけばいいですから。昔だったら経験が物をいったわけで、必ず乱戦になりましたから。今は、個人と個人の差がつけにくくなったんじゃないですか。昔は、50手ぐらいまでは王様を囲ってそれから勝負みたいなところもあったんですが、今は、早い段階で勝負に行かないと辛いといったところがあるんですよ。ここで譲歩するとだんだん形勢が悪くなっていくという、手数は100手、120手と長くなっても勝機がないという。怖いけど、20手目、30手目で勝負しないと、という感じですね。最近は、長引いても逆転しないですから。粘る人が多くなってますから、みんな粘られたときのことを考えてるんじゃないですか。終盤が進歩したということとも関係あると思うんですが」
―ところで、最近の大盤解説会は女性の姿も少しは目につくようになってきましたが、やはりもっと増えてほしいですか。
羽生「今だと9対1ぐらいですか。半々になって欲しいとまでは言いませんが、せめて7対3ぐらいになって欲しいですね」
―忙しくてデートする暇もないようですが。
羽生「なんていうか、休みがあっても外に出かけようという気が起きないことはありますね」
―結婚に関しては持久戦の構えというお話でしたが、どういうタイプの女性がいいですか。
羽生「一言で言うとさっぱりした人がいいですね。気っぷがいいというか、あまり細かいところにこだわらない人がいいですね。付き合って気疲れしないですし。ただ、将棋を勝ってタイトル戦に出ている間は当分無理なんじゃないでしょうか(笑)」
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「見ていての面白さだけでいえば、升田先生のほうが圧倒的に面白いです。ただそれは、大山先生が相手だからこそ、升田先生もいろいろ技を掛けに行っているわけで、相手が大山先生でないとみれない面白さなわけですから」
たしかに、1971年名人戦第3局、升田幸三九段の歴史的な絶妙手△3五銀は、大山康晴名人のような的確な応手をしていなければ出現していなかった。
本当に深くて鋭い羽生善治名人(当時)の視点だ。
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「ええ、奨励会時代は、詰将棋と実戦だけでした」
果てしなく強くなるには、少年時代はこれが基本なのかもしれない。
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「そうですね。あんまり細かいところにこだわらなくなりましたね。将棋やってて。場面場面で余計な心配をしなくなりましたね」
「昔は、50手ぐらいまでは王様を囲ってそれから勝負みたいなところもあったんですが、今は、早い段階で勝負に行かないと辛いといったところがあるんですよ。ここで譲歩するとだんだん形勢が悪くなっていくという、手数は100手、120手と長くなっても勝機がないという。怖いけど、20手目、30手目で勝負しないと、という感じですね」
この二つは相反するようにも思えるが、この二つを絶妙なバランスでコントロールできるところに強さの本質があるのだと思う。
「20手目、30手目で勝負しないと」とあるように、昔の対局室は午前中は雑談が盛んだったものが、この頃には午前中から緊張感漂う対局室に変わっている。
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「一人挙げるんでしたら、升田先生ですかね。大山先生とは、非公式戦を含めれば10局ほどやっていますから。実際にやってみると、どういう着想で指してくるかとか分かりますから。現役の棋士では中原先生ですね。まだ一度も番勝負で戦ったことがないですから。番勝負だと、前の勝負を引きずりながらやるのでそこが全然違いますね」
羽生-升田戦は本当に見てみたかった組み合わせだ。
将来、羽生九段の著による「升田将棋ベスト30局」という、升田幸三実力制第四代名人の名局を羽生九段の視点から解説するような本が出てくれれば、とても凄い本になるような感じがする。
羽生九段と中原誠十六世名人の番勝負は行われることがなかった。
中原十六世名人にとっても、羽生九段とはぜひ番勝負で戦ってみたかった相手だろう。
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「でも、終盤はここ10年、20年で飛躍的に技術が伸びたんじゃないでしょうか。最後の王様を詰ます、粘るという部分は」
「今のようになってきたのは、ここ10年ぐらいというか、それこそ谷川先生が出てきてからのような。勝ちを読み切るというのは、もちろん昔からあったんでしょうが、完璧に読み切るという発想は最近ですよね」
谷川浩司九段がもたらした将棋の技術的な進歩。
これも、プロならではの視点がなければ、解明できないことだ。
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羽生名人は、このインタビューの3ヵ月後の9月、「はつらつ」(保健同人社)という雑誌で畠田理恵さんと対談することになり、そのことがきっかけで交際が始まる。
そして、婚約発表の時は六冠王で、結婚をした頃は七冠王という流れ。
羽生名人は「将棋に勝ってタイトル戦に出ている間は当分無理なんじゃないでしょうか」と語っているが、かえって忙しい時のほうが運命の相手に出会える確率が高いとも言えるだろう。
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なお、このインタビューでは、羽生名人が子供時代によく遊んだ八王子市の実家の近くの公園で撮られた写真が何枚かある。将棋世界同じ号より、撮影は弦巻勝さん。