「勝負が終わるころ、ツクツクボウシが鳴く。ちょっぴり寂しい夏の挽歌だ」

将棋世界1994年9月号、中平邦彦さんの巻頭随筆「蟬は鳴く」より。

いづことしなく
しいしいとせみの啼きけり
はや蟬頃となりしか
          (室生犀星)

 セミが鳴いている。

 いま鳴いておかねば、もう鳴くときがないというように。

 6年も7年も地中の生活に耐えてきたセミが、やっと地上に出ても、夏を奏でるのはわずか1、2週間にすぎない。懸命に鳴くのも当然だろう。いのちを、精一杯うたっている。

 不運なセミもいる。出てきたその日に子供につかまり、虫捕り籠に入れられたりする。いのちをうたう暇もないのが哀れだ。アメリカには土の中に17年もいるセミがいる。長い辛抱のせいか、声もすごいらしい。

 セミも忍耐強いけれど、中央アジアや西アジアなどの砂漠にはもっと辛抱強い生き物がいる。砂漠では10年も20年も雨が降らない地域があるが、ある日、どしゃ降りの雨が降るときがある。その、いつ降るかわからない雨を待っている。

 雨がくる。すると、一夜にして一面が花園になる。そして大急ぎで成長して種子を結び、死んでいく。その種子が、熱い砂の中でまた10年もあとにくる奇跡の雨を待つのである。

 こんな例も聞いた。砂漠の乾ききった湖に25年ぶりに豪雨が降った。すると、それまで一滴の水もなかった湖底から小エビの大群が発生した。25年も前に産んだ小エビの卵が、熱い砂の中で、あてのない雨を待っていたのだ。いのちの、なんという強さ、いじらしさか。

 夏の王位戦は、セミの鳴き声で始まる。

 各地を転戦し、その地のセミの斉唱に迎えられる。ミンミンゼミ、アブラゼミ、そして暑くなり、南へ行くほどに、盛大なクマゼミの出迎えを受ける。静かな対局室にもその声は聞こえるが、不思議に邪魔にならない。

 いろんなシーンを思い出す。

 頻繁に控え室に来て、記者にヘボ碁を打たせ講評した大山。勝ちを見切ったとき、米長が見せたユーモラスなウインク。博多・中洲の夜店で、真剣にウナギを釣った中原。函館の五稜郭を歩きながら、人生を語った内藤。そして、もういない能智記者の笑い声、板谷の浴衣姿、芹沢のおしゃべり……。

 勝負が終わるころ、ツクツクボウシが鳴く。ちょっぴり寂しい夏の挽歌だ。

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藤井聡太棋聖が王位を獲得し、最年少二冠になるとともに最年少八段となった。

最年少の記録というのは、最近注目されてきた話だが(最年少九段が誰かと聞かれても、すぐには思い浮かばない)、とにかく、高校を卒業する前に二冠を獲得したのだから、本当にすごいことだ。

藤井聡太二冠が三冠以降に挑戦するチャンスは、年明けの王将戦、来春の叡王戦、来秋の王座戦、竜王戦、それ以降は再来年になってからということになる。

一方、敗れた木村一基王位だが、直近でいえば年明けの王将戦、棋王戦での挑戦のチャンスが残されている。また、来期の王位戦も挑戦者決定リーグ戦からの出場。

順位戦A級への復帰も含め、これからも大きな活躍をすることは間違いないだろう。

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中平邦彦さんは王位戦の担当記者・観戦記者だった。

この文章が書かれたのは1994年の王位戦〔羽生善治王位-郷田真隆五段〕第1局が終わった頃のことだが、「勝負が終わるころ、ツクツクボウシが鳴く。ちょっぴり寂しい夏の挽歌だ」という言葉が今年ほどピッタリとくる年はないかもしれない。