ファイター豊川孝弘四段(当時)とガッツ上野裕和3級(当時)

将棋世界1993年11月号、小林宏五段(当時)の「東西奨励会成績」より。

 9月の第一例会から、関東の幹事が神谷・大野から中村・小林へ交替した。

 幹事になってまずやるべき事は、会員の顔と名前を覚えること。今現在、三段リーグにさえ知らない顔があったりして前途多難だが、まあ徐々にとは思っている。

 顔を覚えるのに絶好の機会であるはずの奨励会旅行が、9月の11・12日で行われた。場所は伊豆・修善寺のサイクルスポーツセンター。

 古くは加藤治郎先生も行かれたことがある(無論奨励会員ではありません)という、将棋連盟にとって非常になじみの深い場所である。現会員の中にも、二度目三度目といった人間もいるはずだ。

 ここにはプロの競輪選手を目指す競輪学校も併設されており、一日目はそこの生徒との交歓会。指導対局、質問コーナーと結構盛り上がっていたが、お互いプロを目指す身、やはりどこか相通ずるものがあるのだろう。

 私自身最も印象に残ったことは、競輪学校にはある程度強制される辛さがあり、奨励会員には全くの自由という厳しさがあるということだ。

 二日目は自転車に乗ったりして大いに汗をかいた。

 恒例の5キロサーキットレースは今回5頭だて。一周して、なおかつ余力のある5人に走ってもらった。

 優勝は豊川四段。ぶっちぎりの大楽勝だったがそれもそのはず。二番手を走っていた上野3級が急カーブで落車し、後続車はレースをしていなかったからだ。

 レースに事故はつきもの(過去に何回かあった)だが、今回は結構派手にやってしまい心配した。

 メガネを壊し、悲惨な顔になった上野3級だが、帰りの車中では「これで顔を覚えてもらいました」と屈託がない。

 その勢いで将棋の方も突っ走ってもらいたい。

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かなり昔の奨励会の旅行会は、ハイキングだった。

それが、伊豆の競輪学校へも行くようになったのは1971年の秋からのこと。

将棋世界1971年12月号、沼春雄三段(当時)の「奨励会員伊豆に集う」によると、この時は、広津久雄八段、米長邦雄八段、大内延介七段、吉田利勝六段、森けい二五段、佐藤義則四段(段位は当時)が特別参加。

競輪学校との交歓会という形をとったのは、普段から内にとじこもる事が多く、運動不足になりがちな奨励会員に、郊外の空気に触れ、サイクリングによって体を鍛えてもらおうという趣旨だったという。

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サイクルスポーツセンターの5kmサーキットコースは、起伏に富んだ自転車競技者にも厳しい山岳コースであるという。→5キロサーキット詳細

一周した後にまた一周するのは、とても大変そうだ。

三番手以下が勝負を捨てていた気持ちがよくわかる。

そのような中で、楽々とトップになった豊川孝弘四段(当時)もすごいし、落車するほど全力で走った上野裕和3級(当時16歳)の根性も立派だ。

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小林宏五段(当時)の「私自身最も印象に残ったことは、競輪学校にはある程度強制される辛さがあり、奨励会員には全くの自由という厳しさがあるということだ」は、奨励会を象徴するような言葉だと思う。