羽生善治竜王(当時)の観戦記(中編)

将棋マガジン1990年7月号、羽生善治竜王(当時)の第48期名人戦〔中原誠棋聖-谷川浩司名人〕第3局観戦記「突然の失速」より。

名人王位・谷川浩司の強さ

 谷川名人の強さは何と言っても「光速の寄せ」と言われている凄まじい終盤力だろう。そして、前進につぐ前進の踏み込みの良さ。

 このスピードを重視した棋風で名人となった。

 しかし、どうしても勝てない棋士が二人いた。

 今回、名人戦で対戦している中原棋聖と昨年の名人戦で戦った米長王将だ。

 この二人の懐の深さには「光速の寄せ」も一歩及ばなかった。

 一時期はダブルスコアに近いくらいに負け越していたが、最近ではタイスコアになっている。

 いかにこの数年で借りを返しているかが解る。

 谷川名人は明らかに強くなっている。

 では、どのように強くなったのか。終盤の力が増したとは思えない。

 「光速の寄せ」なのだから、光より速いものはない。

 以前と較べて余裕を持った指し方を好むようになってきたと思う。

 針の穴に糸を通すようなギリギリの攻めはあまり指さない。

 これは中原・米長・両巨頭の影響だと思う。

 今までのスピードに厚みが加わった印象だ。

棋聖王座・中原誠の強さ

 最近、中原将棋は激しくなったという声を聞く。

 私も全く同感だが、本質的な強さは別の所にあると思う。

 確かに過激と思われる攻めを敢行することが多いが、これには研究の裏付けがあってこそで、ある意味では余裕を持って戦える分野なのである。

 だから、懐の深い手厚い将棋という私の前からの印象は今も変わっていない。

 また、不利になってからの指し方が抜群にうまいというのも中原将棋の一大特長だと思う。

 つい最近の棋聖戦・王座戦の防衛戦を見るとそれが如実に表れている。

 ピンチになればなるほどその力を発揮するという性質が数々の輝かしい棋歴を築いてきたのだろう。

 今回の名人挑戦も5連勝から3連敗と流れが悪くなっていたのにもかかわらず、最終戦、プレーオフを勝っての進出である。

 恐るべき勝負強さと言えると思う。

(つづく)

—–

当時の羽生善治竜王(当時)による谷川評と中原評。

”では、どのように強くなったのか。終盤の力が増したとは思えない。「光速の寄せ」なのだから、光より速いものはない。”という表現が、絶妙というか神秘的だ。

—–

1992年の先崎学五段(当時)の著書「一葉の写真」に収録されている「敗因がわからない―第48期名人戦第3局」より。この記事は将棋世界1990年7月号に掲載されているので、タイミング的には羽生竜王の観戦記とほぼ同時発表。

 名人戦を見に行こう、と思い立ったのは、中原が挑戦者に決まったときだった(高橋が挑戦者なら行かなかっただろう)。

 最近充実著しい中原の、生涯でもっとも成熟した時期の指し回しをこの目で見届けたかった。

 中原は強くなったという評判である。

 それに比べ谷川は強くなっていないという声をよく聞く。思えば三年前、時の名人中原に挑戦した谷川は、終始中原を圧倒する勢いのいい指し回しで4勝2敗で快勝した。そのときの雰囲気としては、すでにこの二人は”決着”がついたという感じがあった。

 ところが今期、一度は決着がつけられたはずの中原にのる声が多いのである。

 なぜかというと、一つには中原が、一時期失いかけていた自信を取り戻したからである。将棋指しには(とくに一流棋士には)多かれ少なかれ自分が一番強いという意識があり、それが将棋に対する情熱を支えているのである。

 ましてや中原クラスにおいては、そのような意識が強いことは非常に自然なことであり、六段で棋聖を取ったとき以来、片時もそのことに疑問を持ったことはなかったと思う。

 それが、ここ数年、少しおかしかったのである。昭和55年組といわれる若手先駆者(塚田、中村など)に敗れ、その自信がぐらついたのではないか。

 とくに王将戦で二回連続して中村に負けたのはショックだったと思う。なぜこんな奴に負けるのだ。それも二回続けて。おれのほうが強いはずなのに……いやじつは向こうのほうが強いのかもしれない―。

 という、つぎの世代に抜かれるのではないか、という焦りが、中原のここしばらくの不調の原因だった。

 だが、中原は、あるとき突然「あいつらが勝っているのは、ただ若いというだけだ」ということに気づいたのである。

 自分をコテンパンにした中村はB級2組に定着しすっかり勢いをなくしている。高橋とて、一時期の鬼神のような強さはなく、ただのA級棋士になったではないか。塚田や南とて、将棋界に君臨するような強さではない。

 「やはりオレのほうが強い」

 という自信を、そこで中原は取り戻したのである。

 同じようなことは米長にもいえる。最近の師の好調ぶりは、

 「奴らは、ただ若い―研究する時間が多い、というだけで勝っているにすぎない。基本的な実力はオレのほうが上だ」

 ということに気づいて、そこで何かがふっ切れたからである。

 よく本気を出せば―ということをいう人が多いが、この場合の”本気”とは、土壇場で本気をだすのではなく、最近のこの二人のように、日ごろの生活や普段の研究に対して”本気”を出すことなのである。たとえば、日ごろから頭のなかに将棋盤を置いておくことなど―。

 そこで、谷川のほうを見ると、中原に比べ、どうしても?マークをつけざるを得ない(この場合?というのは、基本的な実力に対してではなく、最近の調子に対してです。念のため)。

 谷川は、今自信をなくしているのではないだろうか。その原因は、いわずと知れた羽生である。谷川が、今一番強いのはだれか、ということを自問自答した場合、羽生の顔が、真っ先に浮かぶのではないだろうか。それは一流棋士として辛いことであろう。

 その二人の「自信」の差が、この名人戦に出るのではないか、というのが中原のりの理由である。具体的にいえば、谷川は、全日本プロで羽生にやられたのがなんといっても痛い。

(以下略)

—–

羽生善治竜王(当時)と先崎学四段(当時)の二人の見方は、面白いほど切り口が違っていながら、両方を読むと理解が更に深まるというもの。

二人とも、踏み込みの良い、なかなか大胆な文章だ。