郷田真隆五段(当時)が長考の間に考えていたこと

将棋マガジン1992年2月号、郷田真隆五段(当時)の第53期順位戦C級1組〔対 真田圭一五段〕自戦記「受け切って勝つ」より。

将棋世界1994年10月号より、撮影は弦巻勝さん。

 今期の順位戦、真田五段との一局を紹介したいと思う。

 私は今年度、これまでのところは割合好調でまずまずの成績と思う。

 ただ、王位戦や新人王戦の決勝、順位戦の1敗など結構急所で負けているので、気分的にはいまひとつという感じでもある。

 本局は、私が5勝1敗、真田五段が4勝1敗とお互いに負けられないという状況での一番である。

(中略)

 真田五段とは本局で公式戦3局目の対戦である。年齢は近いが私の方が2年早く奨励会入りしている関係で、奨励会での対戦はなく、2年後輩という印象を持っている。

 初手合は昨年の3月で、竜王戦で手痛い一敗を喫している。実をいうと、本局はその初手合の将棋と途中まで全く同一で進行してゆく。

 1図までの進行の中で、私は少考を重ねているが、付随する変化を考えながら集中を高める時間だった。

(中略)

 1図から12分考えて△6四歩。

 ここでは△8三銀からの棒銀ももちろん有力。

 ただ、対局前に、角換わり腰掛け銀ならば同型で戦うというのが予定だったので棒銀の順はあまり考えなかった。△6四歩と突けば、以下は先後同型の形が予想される。

 12分考えたのは、変化を考えるというよりも、同型になって、もし研究で負かされることがあっても絶対に後悔しないと心に決める時間だった。

 △6四歩以下の進展は早く、お互いにほとんど時間を使わずに2図まで進んだ。

(中略)

 真田五段は昼食休憩を挟む60分の長考で▲4五歩と仕掛けて来た。

 この手以降の手順の変化は非常に膨大で、難解を極める。

 とてもこの自戦記の中で書ききることは出来ないので、本譜の順に絞って解説したい。(詳しく知りたい方は、島八段著の”角換わり腰掛け銀の研究”を読まれることをお薦めします)

(中略)

 △6三金に対する▲1二歩から▲1一角が、丸山五段が開発した攻め方である。

 ▲1一角の手では、単に▲3四歩と取り込んでおく手も有力だが、真田五段は少考で▲1一角(4図)。

 ここで私はまた長考に沈んだ。

4図以下の指し手
△2二角▲同角成△同玉▲3四歩△3八角▲2八飛△4九角成▲2五桂△1四香(5図)

 角換わり腰掛け銀の同型を受けて立つ以上、この形の研究は必要不可欠になる訳だが、この対局前は、さほどこの形について研究した訳ではなかった。というのも、本局、真田五段は矢倉をやってくるのではと思っていたからで、大長考の最中に、以前の研究を思い出していた。

 143分考えて△2二角。

 ここまでは最善の対応をしていると思うので、考えれば最善手が分かるだろうと思い長考したが、考えても分からないものは分からないのかも知れない。

 長考の中身の大半は、本譜どおりに進んで▲2五桂と跳ねられた局面でどうするかだった。以前の初手合では▲2五桂迄同一で進み、△3九馬▲1八飛△1四香という展開になったが、これは後手有利。

 その後、真田五段は△3九馬に対する▲2六飛の修正案を発表し、現在は難解ながら先手がやや有利というのが定説である。

 それから、△3六歩も有力。以下▲1三歩△同香▲同桂成△同桂▲2六角△4三銀▲4八金が、1993年の棋王戦の谷川-佐藤(康)の進行。

 他にも実戦例がたくさんあるが、これも、書き出すときりがない。

 色々と考えているうちに、どの変化も自信がなくなってきてしまった。

 あまりいい手ではない、と思いつつも、勝つとしたらこの手という直感が働いて△1四香と着手した。

(中略)

 

 5図からの▲4七銀△3七歩▲3三桂成の三手一組の手順が、素晴らしい順だった。△1四香は、その場の思いつきではなく、以前から考えていたものだったが、▲3三桂成は想像しなかった。

 ▲7四歩△同金▲4一角△8四金▲4七銀△3七歩▲2九飛△3八歩成▲4九飛△同とのような展開を考えていて(それでも自信がある訳ではなかったが)全く読み筋になかった。

 ▲3三桂成に対して△同桂ならば、▲2四歩と打たれる。以下△同歩▲同飛△2三金(△2三歩は▲1四飛がひどい)▲1一角△1三玉▲3三歩成△同銀▲同角成で寄せられる。

 △1四香と上がってしまったために△2三歩と打てないのが辛いのだ。

 本譜、△同銀と取るようではいかにも辛く、ここでは負けを覚悟した。

 しかし、△3三同金に対する▲3四歩はどうだったか。

(中略)

 全然だめだと思っていた将棋が、△7四角で遂に前途に光が差してきた。

 もう飛車を逃げている場合ではなく、敵陣の金を取ることの方が大きい。

 本譜手順中△3七とで、金を取りきって、この将棋は負けはないと思った。ここに至ってはもうさほど時間は必要ない。

 対局中はまだ、持将棋の心配をしていたが、私の方には7五歩や8五歩、6三銀など、入玉を阻止する駒があるので、寄せ切れると思う。△3七と以下は何度も自玉に寄りがないのを確かめてゴールに向かった。

 投了図は説明不要と思う。

 私の玉は寄らないし、真田五段の玉は一手一手の寄りである。

 振り返ってみると、やはりポイントは、5図からの手順で▲3四歩△同金▲4一角ではなく▲7四歩△同金▲4一角が良かったと思う。

 何故なら、本譜は先手の2一金と1一銀が、遊び駒として残ってしまったからである。

 では私の方は何が悪かったのだろうか。

 △1四香にかわる手は何か?

 これは今後の課題としたい。

* * * * *

郷田真隆五段(当時)の長考はこの以前より有名になっていたが、少考~長考の時にどのようなことを考えていたかが書かれている。

* * * * *

「真田五段とは本局で公式戦3局目の対戦である。年齢は近いが私の方が2年早く奨励会入りしている関係で、奨励会での対戦はなく、2年後輩という印象を持っている」

郷田真隆九段は1971年3月17日生まれ。真田圭一八段は1972年10月6日生まれ。

生年月日ベースでは約1年半後輩、学年でいえば2学年違いなので、2年後輩は感覚的にも合っている。

* * * * *

「1図までの進行の中で、私は少考を重ねているが、付随する変化を考えながら集中を高める時間だった」

集中を高めるため手段として、最序盤からの付随する変化を考えるということなのだろう。

本来の使い方とは違うけれども、「場を暖める」ような雰囲気だろうか。

* * * * *

「12分考えたのは、変化を考えるというよりも、同型になって、もし研究で負かされることがあっても絶対に後悔しないと心に決める時間だった」

指し手のこととは別に、大局的な決断、意志に関わることも考えられていることがわかる。

私が若い頃の帰宅時のこと。地下鉄に乗りながら「あと3駅先の六本木駅で降りて飲みに行くか、まっすぐ家に帰るか」と迷いながら、「よし、ポケットにある100円玉を3枚取り出して、表の方が多かったら飲みに行こう」と決めて100円玉たちを見ると裏の方が多い。「いや、これは何かの間違いだ、もう一度やってみよう」と、表の方が多く出るまでやり続けて、「これでいいんだ。後悔はしない」と思い込みながら、六本木駅で降りたことが何度あったことだろう。

郷田五段の決断と並べたらバチがあたるが、このようなことを思い出した。

* * * * *

「この手以降の手順の変化は非常に膨大で、難解を極める。とてもこの自戦記の中で書ききることは出来ないので、本譜の順に絞って解説したい。(詳しく知りたい方は、島八段著の”角換わり腰掛け銀の研究”を読まれることをお薦めします)」

いかに深く読まれているかがわかる。深い。

* * * * *

「角換わり腰掛け銀の同型を受けて立つ以上、この形の研究は必要不可欠になる訳だが、この対局前は、さほどこの形について研究した訳ではなかった」

とは言っても、後に「△1四香は、その場の思いつきではなく、以前から考えていたものだったが」とあるので、決して「さほど」ではなく、一般的な尺度から見れば相当深く研究されていたのではないだろうか。

* * * * *

「ここまでは最善の対応をしていると思うので、考えれば最善手が分かるだろうと思い長考したが、考えても分からないものは分からないのかも知れない」

あまりにも深い。

* * * * *

この一局は、郷田五段が耐えに耐えて、入玉して勝っている。

最善を追求しようというあくなき探究心からの長考。

それぞれの長考の意味が、それぞれ理解ができる。

* * * * *

郷田五段は、後に将棋世界で「長考をめぐる考察」を連載している。

考え方や読みをあますことなく公開し反響を呼んだ記事だった。

* * * * *

羽生善治五冠(当時)は、この頃の郷田将棋を次のように評している。

将棋世界1995年1月号、羽生善治五冠のJT日本シリーズ’94自戦記〔対 郷田真隆五段〕「壁銀が響いた一局」より。

 郷田五段とは今期8局目。最近ではよく対戦している人の一人です。

 まだ五段でいるのが不思議なくらい活躍し、実力を持っています。

 どんな局面でも妥協しない棋風で、一本筋が通った将棋を指します。

 この日本シリーズでは昨年優勝し、私も準決勝で負かされています。

 今年も準決勝で対戦することになり、雪辱戦ということになります。

(以下略)