将棋世界1986年4月号、銀遊子さんの「関東奨励会便り」より。
昨年一年間で誰がどれぐらいの勝ちっぷりを示したか、次のスター候補生を探る意味でも、調べてみる価値があるのではないかと考えた。ファンの皆さんも大いに興味があるところだろうが、当事者の奨励会員達もこういった数字には過敏をいえるほどの反応をする。成績が良かった者はなるべく人が多くいそうなところで得意そうに本欄を広げて見るだろうし、芳しくない者は見ないふりをしていながら家に帰ってから一人でそっとのぞいて闘志を新たにするのである。
今回は昭和60年の1月から12月までのデータを使った。当然、四段になった者は除いてある。まずは有段者の部、総合ベスト20までを表にしてみよう。
①郷田真隆二段 34-15 (0.694)
②豊川孝弘二段 30-17 (0.637)
③森内俊之二段 30-18 (0.625)
④佐藤康光初段 28-17 (0.622)
⑤中田功三段 29-19 (0.604)
⑤櫛田陽一二段 29-19 (0.604)
⑦小池裕樹二段 27-19 (0.587)
⑧北島忠雄二段 28-20 (0.583)
⑨愛達治三段 27-21 (0.563)
⑨高田尚平三段 27-21 (0.563)
⑨庄司俊之二段 27-21 (0.563)
⑫小池英司初段 34-28 (0.548)
⑬鈴木純一初段 35-29 (0.547)
⑭秋山太郎1級 30-26 (0.536)
⑮小泉有明三段 25-22 (0.532)
⑯村松公夫二段 25-23 (0.521)
⑯鈴木桂一郎二段 25-23 (0.521)
⑯先崎学初段 25-23 (0.521)
⑲荒井辰仁三段 25-23 (0.521)
⑳田畑良太三段 24-24 (0.500)
⑳中川大輔初段 33-33 (0.500)首位は断トツで郷田二段。級位者時代の8割というわけにはいかなかったが、このクラスまで上がってきてなお7割近くの勝率を残すのだから流石というべきだろう。このぶんなら今年中の卒業も難しくはなさそうだ。
豊川二段も、この勝率部門の上位常連。このところ珍しく負けが込んで三段に上がるチャンスを逸したが、力は安定している。
森内、佐藤(康)と、4位までが昭和57年12月入会組で占められた。同期のスター羽生に続け、とばかりに俊英たちのピッチがぐんと上がってきた。しかし、佐藤(康)の勝負弱さは気になるところ。これだけの勝率をあげながら一階級も上がれなかったとは、ちょっと信じられない感じだ。今月、ようやくの思いで二段に上がった。おめでとう。
逆に、ここ一番で圧倒的に強いところを見せたのが中川初段である。勝率はちょうど5割なのに、3級から初段まで三階級もジャンプしたのだから特筆ものだ。
香落ちベスト15(有段者のみ)
①郷田二段 10-3 (0.769)
②北島二段 10-4 (0.714)
③櫛田三段 12-5 (0.706)
(中略)
⑨豊川二段 8-5 (0.615)
⑪森内二段 11-7 (0.611)
(中略)
⑬中田三段 9-6 (0.600)
(中略)香落ちもやはり郷田だった。力強い攻めで強引に押し勝っているように見えるが、香落ちでも勝てるのだから細かい技も身についてきた証拠だろう。前途洋々である。
アマ出身の櫛田二段が平手より香落ち得意なのはちょっと意外なところ。「下手なら穴熊、上手なら△1四歩型四間飛車と、ワンパターンしかないんですがね」と本人も照れ笑いしているが、戦法に悩まない人の方が勝てる傾向にあることは確かのようだ。
(中略)
元祖天才少年こと先崎学が、12勝2敗という素晴らしい爆発力を見せて二段に上がった。59年11月以来だから約15ヵ月ぶりのこと。ずい分と道草を食ったように感じるが、それでもまだ15歳という若さだからうらやましい。
言うまでもなく、問題はこの先のことにある。二段でまた停滞するようならそれだけの器でしかなかったということだろうし、頑張って郷田、森内あたりを抜き返して見せるなら”天才少年”の看板にいつわりなしと見直してやることができる。先崎はこれからが正念場である。
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羽生世代の棋士が14~15歳の奨励会員だった1985年の戦績。
1985年12月に羽生善治四段(当時)が誕生しているので、羽生善治三段時代の成績は除外されている。
関西奨励会には村山聖二段、奨励会入会が1985年1月だった丸山忠久3級も在籍している。藤井猛九段はこの頃は研修会員で、奨励会に入会するのは1986年4月のこととなる。
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この後の、羽生世代棋士の四段昇段時期は次の通り。
1986年11月 村山聖三段
1987年3月 佐藤康光三段
1987年5月 森内俊之三段
(6月から三段リーグ復活)
1987年10月 先崎学三段
1990年4月 丸山忠久三段
1990年4月 郷田真隆三段
1991年4月 藤井猛三段
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奨励会入会が遅かった丸山九段と藤井九段を別とすると、郷田九段を除く羽生世代の棋士は、同じ頃に二段になって、二段になってから1年9ヵ月以内に四段に昇段している。
順位戦データベースによると、郷田真隆二段(当時)の1986年1月から12月までの戦績は16勝28敗(0.364)で1987年1月から12月までの戦績が27勝18敗(0.600)。1988年1月に三段に昇段している。
以前の記事(ごく普通にごく普通の話をするけれど、それでいてどこか秘密めいた部分がありそうな雰囲気の郷田真隆四段(当時))でも取り上げているが、郷田九段はこの頃のことを後の自戦記で次のように書いている。
「昭和60年12月、僕は14歳で二段になっていた。まもなく高校へ入学した。高校のころ、僕はあまり将棋の勉強をしなかった。それでも、四段になんてすぐなれると思っていたのだから、甘かったというか、怖いもの知らずだったというか―。
僕はこの青春時代を大切にしたかった。人間として、そしていつの日か、僕の将棋にプラスになることだと思ったから。僕は、生まれて初めて自分より大切な人だと思うほど女の子を好きになった。
……この何年か、本当につらかった。でも、もう一度生まれ変わってあの場面に立っても、僕はやっぱり同じ道に進むのだと思う」(平成2年『将棋』夏季号。郷田四段昇段の自戦記より)
戦績から見ると、特に1986年4月から1987年1月まで、郷田二段の黒星が固まっている(11勝26敗 0.297)。
高校に入学して、高校1年の1月頃まで、いろいろなことがあったのだろう。
15歳の時は一度しかない。
郷田九段は、何事にも代えがたい、素晴らしい経験をしたのだと思う。