湯川恵子「娘の将棋」

いろいろと思い悩む頃の女子高生の将棋。

近代将棋1993年2月号、湯川恵子さんの「女の直感」より。

娘の将棋

 珍しく夕食前に帰宅した娘が、また珍しく丁寧な言葉づかいで言った。

 「お母さん、今夜ね私に将棋を一局おしえてください」

 あまりの異なことに、私は生まれて初めてその我が子の心境を疑った。いったいどーしたのだ。熱でもあるんじゃないのか。

 「こんどの週末お母さんのいなかへ遊びに行きたいの。でね、おじいちゃんと将棋を指そうと思うの。だから練習に一局おしえて、ね」

 想えば私が初めて女流アマ名人になったのは、最初の子供であるこの娘が生まれた翌年だった。これは決して偶然ではないと思う。この話は長くなるからやめるが、今年、妊娠出産期の真っ最中に二つのタイトルを獲得したのは中井広恵プロ、過去には女流名人連続4期の山下カズ子プロの例もあり、そのへんの現象と少しは似ているだろう。

 娘がまだ言葉も知らない赤ん坊の時に私は画用紙ででっかいカードを作り駒の動きを矢印で示した。それを彼女に一枚一枚掲げて、「かくっ」、「ひしゃっ」と叫んでやったものだ。彼女が「きゃきゃっ」「ちゃちゃっ」とそれらしい発音しはじめた時はもう、将棋の天才じゃないかと思った。

 むろん娘を育てるよりは自分が楽しむほうに夢中の母親だったから、娘は将棋の天才にはならず将棋を嫌いな少女になった。中学生の頃のある日ふいに、

 「あたし、世の中で将棋が一番きらい」

 このことは永遠に私の胸の傷だ。自分は、娘にそんなことを言わせたひどい母親なのだ。しかしながら、悔いされど改めずのこの性格は直しようもなく、うまい言い訳の努力もせず、放ったらかしのまま来た。中年の母と思春期の娘との関係は、何事につけそうそう一方的にどちらがどうとは言い切れない綾があるものなのだ。と、はかない理屈をこねて自分を許して来た。

 娘は高校2年になっている。突然大阪まで夜行列車の往復をしたり、運動も大嫌いだったのに突然陸上部に入ったり、突然退部して力仕事のアルバイトを始めたり、そこも突然やめた―くびになった様子―。スキューバダイビングに凝ったかと思うと今度はスカイダイビングをやりたいと言い出した。息子がある本を買ったところ、そこに「お姉ちゃんの原稿が載ってるよ」と見せに来たこともある。ある教育雑誌に実名で投稿しているのも最近わかった。とにかくその近況はめまぐるしい。

 性格は少なくとも暗いほうではなさそうなので、まあひとまずは良かったなぁと安心していたところだ。

 将棋は、いつのまにか駒の動かし方くらいは覚えているようだが、一局を最後まで指したという体験は何度あるのだろうか。私とは、小学生の時に指し始めたとたん縁側に友達の声がして、ふっ飛んで消えた、その思い出しかない。

 「一応、平手で教えてね。おじいちゃんとも平手でやりたいから」

 「すぐ終わっちゃうよ」

 「まぁそう腹ごなしに言わないでよぉ、あ違った、頭ごなし?」

 「・・・・・・」

 「まず角道をあけるんだよね、一気通貫の役マンだもんね」

 なんなんだこの娘・・・。少々気味の悪い思いで指し始めた。こちらが8筋を突いてゆくと敵はちゃんと7八金と受けたりしたが、しかしまぁどう手加減してもじきに寄り形になってしまった。

 娘はあいかわらずにこにこしている。

 「あ~性格わるいね私の王さま。味方がどんどん離れて行っちゃうのね」

 「・・・ねぇ、その手はひどいよ、こうすればいいのよ、ほら」

 「あ、そうか。でも待ったはしたくないな。女に二手はない」

 だんだん私も楽しくなってきた。一局といわずもっともっと娘と指したくなってきた。

 「あ~。やっぱりお母さん強いねぇ」

 「あんたもなかなか感覚いいよ、ずいぶん進歩したねぇ」

 「女性って進歩しがちだから・・・」

 まるで男の飲み友達と居るような気分にもなってきた。思えばこんなふうに娘と二人きりでゆっくり向き合ったことはかつてなかったのではないかと、思いもかけぬ感慨にとらわれた。娘はいつのまにか将棋のルールを覚えていただけでなく、いつのまにか私の思惑以上に心も成長してしまっていたようだ。

 「お小遣いをせびりに行くんじゃないから、心配しないでよ」と。これはちょっと生意気なセリフを残して、貴重なはずの休日を彼女は本当に一人でいなかへ出掛けおじいちゃんと将棋を指して来た。

 一局目は偶然娘が勝ったとか。その時のおじいちゃんのボヤキ声を愉快に再現してくれたが。脇役におばあちゃんや叔父ちゃん叔母ちゃん、チビの姪甥たちまでを優しく登場させていた。

 娘の変化について、思い当たることもある。いつかボーイフレンドとの電話で、ずいぶん思い切った啖呵をきっていた。おそらくその彼とは別れただろうからそのせいもあるのではなかろうか。アルバイト先をくびになった経緯も、何も語らぬからそれなりの事情もあるのだろう。いずれにせよ、ひょいとした心境の節目に将棋を思い出したとはおもしろい。

 娘の将棋は、少なくとも金と銀の区別はちゃんとついていたし、そして相手を楽しませる心の余裕があった。誰と指そうと勝つことばかり考えているこの母親の将棋とは、はなから質が違うのかもしれない。

 こんどはいつまた指そうと言ってくるか、私は楽しみに待っている。

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この時女子高生だった湯川博士・恵子さんの長女である涼子さんは、現在は二児の母。

私は何度もお会いしたことがあるが、とても素敵な女性だ。

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湯川博士・恵子夫妻は、お子さん(姉・弟)に小さい頃から将棋を教えて強くしようとしたのだが、教える役の恵子さんが勝負師魂を発揮してしまい勝ちまくって、お子さんは将棋に興味がなくなってしまった。

凉子さんが一瞬でも能動的に将棋を指したのは、この時だけのことらしい。

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凉子さんが、恵子さんがこのようなことを書いていたことを知ったのは、2年前のこと。

「娘までネタにしてたのかよー」と凉子さんはビックリしていたが、親子とはいえ、あるいは親子だからこそ、いちいち「あなたのこと書いておいたよ」などとは報告しないものなのかもしれない。

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湯川恵子さんは、今回、将棋ペンクラブ大賞観戦記部門優秀賞を受賞。

昨年の観戦記部門大賞に続く連続の受賞となった。

受賞作は、今年の1月26日に行われた女流名人位戦第2局の里見香奈女流名人-中村真梨花女流二段戦の観戦記。

里見女流名人が勝った一局だが、この観戦記に、里見女流名人の体調がすぐれない様子が書かれている。

里見香奈女流三冠の休場が発表されるのは月3日のこととなる。

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湯川さんといえば、湯川博士さんが7月1日放送の「開運!なんでも鑑定団」に出演をした。→湯川博士さんが7月1日放送の「開運!なんでも鑑定団」に出演

その結果、鑑定を受けた「小笠原桑の座卓と碁笥」の鑑定額が4,500,000円となった。(座卓3,500,000円、碁笥1,000,000円)

お宝データ「オガサワラグワの座卓と碁笥」(開運!なんでも鑑定団ホームページ)

湯川さんの家へ遊びに行った時に何度も酒をこぼしたりした、湯川さんが日常使っている座卓だったから、テレビを見ていた私も声が出てしまうほど驚いた。

湯川さんの家では、今もこの座卓を普通に使っているという。

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ところで、今日(9月16日)の20時54分からの「開運!なんでも鑑定団」のゲストは矢内理絵子女流五段。

どのようなものが鑑定されるのか楽しみだ。

9/16(火)テレビ東京「開運なんでも鑑定団」に矢内理絵子女流五段が出演!(日本将棋連盟)