古き良き時代の雰囲気が濃厚なA級順位戦最終局

将棋世界1982年5月号、毎日新聞の加古明光さんの「名人戦挑戦リーグ最終戦(東京) 明暗3月15日」より。

 東京・千駄ヶ谷、将棋会館の午前10時。どこか、いつもと違う雰囲気がある。3月15日。A級の最終日である。この日をきっかけに、各クラスの”大晦日”が続く。棋士の哀歓が集中する。最もドラマチックな季節である。

 A級10人。名人・中原に続き、頂点のさらに頂点に立つ彼らにも、香、誰かが笑い、誰かが泣く。笑うより、泣くものにドラマがある。それをさぐる雰囲気が、午前10時に漂っていた。

 東京で泣くものはいない。大山対加藤、米長対大内。4人とも安泰だ。関心は加藤がここで一気に決めるか、で、他の関心は大阪の方を向いている。

 特別対局室。正座の加藤はすぐ腕時計をはずし、ヒザの横に置いた。「さあ、これから深夜までだぞ」の意思表示。大山も淡々とした表情で上座に着いた。

 隣の部屋は米長対大内の一局だけ。大内は和服で座っている。スポーティな姿で会館に着いた米長だが、着いてすぐこれまた和服に着替えた。今日の対局のうち、一番気楽なのがこの対局のはずだ。挑戦も降級もない。かかっているのは来期の順位だけだが、ここにその姿勢で臨むところに、順位がいかに大きいかが分かる。

 10時20分、カメラマンが来て対局写真を撮り出す。大山-加藤戦を撮る段になって、急に米長が「私も入れて」と記録係の横に座り立会人のようなポーズ。大山も加藤も一瞬ポカンとしていたが、米長はマジメそのものの顔。この人の”突然変異”には、いまさらながら驚かされる。あきれる。だが、どこかにウィットがある。

 戦型は大山が四間飛車、大内が中飛車と最も得意な形をとった。11時、加藤が早くも3五譜と仕掛けて出た。大山は階下に行って盤前にはいない。突然、加藤が「パン、パン」とカシワ手のように手を打った。棋士のしぐさを見ていると、どこかに稚気あふれるものがあるが、ピンさんだってよく見ていると面白いことをする。

 今日は観戦子も忙しい。二つの部屋を行ったり来たり。米長-大内戦をのぞくと、二人ともいない。やがて戻ってきて、新聞小説談義に入る。毎日新聞連載、渡辺淳一氏の「ひとひらの雪」のポルノ度について話がはずむ。

 「ああいうのは、オジンたちには興味あるんだろうな」と大内。米長が「オレたちだってもうオジンなんだぞ」。二人ならではの会話で、この時、大阪ではとてもそんな雰囲気ではないだろう。今日は、大阪とも連絡を密にしなければならない。のちに分かったことだが、大阪では内藤-勝浦戦を真中に二上-桐山、森安-石田が”川の字”で対局していた。さぞ複雑な対局だったに違いない。

(中略)

 盛岡からの帰途という中原名人が顔を出す。午後3時。中原はこのあと、東京での終局までつきあった。

(中略)

 夜戦。大阪の3局を秘書室の机の上に並べる。対局中の大内、大山ともに「大阪、どうなってますか」と尋ねる。「階下に並べてあります」と言ったら、二人とも「じゃ、ちょっと見てこよう」と盤前を離れた。自分の将棋を劣勢と見ていたか。

 大阪3局の中原の診断は、森安-石田戦は「勝負が一番早くつくでしょう。あと戻りできない将棋だから」二上-桐山戦は「長くなります」内藤-勝浦戦については「内藤さんが攻めてますけどねえ」

 夜に入って、控え室は超満員。座る余裕もないので階下の理事室と秘書室を借用。ここで大阪の情勢やこちらの検討をはじめる。カムバックなった森雞二八段、あと一歩の青野照市七段などの顔がある。さらに奨励会員も大挙控え室に。

 加藤がどんどん時間を使う。優勢ながら「大丈夫かな」。米長-大内は進行が早い。米長が快調に攻めまくっている。

(中略)

 9時前に大内が投了した。盤側にいるものの立場からすれば、敗者に悲壮感のないのが救われる。

 大内、米長そろって5勝4敗の相い星。順位には少し動きがあるが、残留が決まっているだけ明るい。5局中、これが一番早い終局かと思ったら、ちょうど10分前に、大阪の森安-石田戦が森安の勝ちで終わっていた。

 さあ、残るは、特別対局室の一局。9時46分。加藤の残り時間が10分となる。駒音が激しくなり、脇息など用いない、とばかりに、離れたところに置いてある。目元が赤い。大山も怒ったような表情。しかし、攻めに転ずるには駒不足だ。

 10時半から、5階の和室で恒例の打ち上げ会を開く。米長、大内、それに中原、森らが談笑をはじめた。大山-加藤戦よりも、話題は「その後、大阪どうなりました?」ばかり。焦点は降級の一人に絞られてきた。去年の打ち上げで、残った森安がはしゃぎ、降級の板谷は、会にも出ずに自室に戻ったことが思い浮かんだ。

 10時48分、大山が「こりゃ、負けましたね」といって投了、加藤の夢が現実になり、森安のそれは夢のままに終わった。検討が終われば対局時の興奮も消えている。加藤が例の早口で9年ぶりの挑戦権について語った。

「リーグで8連勝などしたことがなかったから、森安さんに負けても、それほど苦にならなかったです。まず挑戦者になることが先決でしたので、名人戦のことは、これから考えます」と言いながらも、さすがに嬉しさは隠せない。大山も加わって、打ち上げ会は2時近くまで続いた。そのころ、大阪では二上が笑い、勝浦が泣いていたのである。

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この日、加藤一二三九段が挑戦者に決まり、この年の名人戦で中原誠名人から名人位を奪取することとなる。

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昭和の古き良き時代の雰囲気濃厚な対局室。

このような時代に、現在のようなニコ生なりAbemaTVのような中継が入っていたら面白かっただろう。

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棋士の使命は、将棋に対して己が持つ力を最高に発揮することにある。

適当に離席をした方が力を更に発揮できるなら、この頃のように離席は自由にした方が良い。

外に食事に行った方が力をより発揮できるのなら、外へ食事に行った方が良い。

それが本来のあるべき姿であると思う。

しかし、そうもいかなくなってきているのが現在の将棋界の辛いところ。

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「大内は和服で座っている。スポーティな姿で会館に着いた米長だが、着いてすぐこれまた和服に着替えた。今日の対局のうち、一番気楽なのがこの対局のはずだ。挑戦も降級もない。かかっているのは来期の順位だけだが、ここにその姿勢で臨むところに、順位がいかに大きいかが分かる」

まさに、順位は次の期に非常に影響をおよぼすもの。

冤罪を被った三浦弘行九段が順位戦A級11位というのも、いまだに理解できない。

9位ならともかく、B級1組からの昇級者よりも下の順位になる理由がないと思う。