羽生善治六冠「あっ、あいています」、郷田真隆五段「行きます」

将棋世界1995年9月号、高林譲司さんの巻頭エッセイ「旅」より。

 王位戦七番勝負が今年も始まった。過去十年、すべての王位戦対局に随行したものの、旅はしなかった。今年は旅をしてみようと思う。海を見た幼い日に戻ることはできないにしても、対局の前後、些細な楽しみを味わおうと思う。

 それは例えば、温泉地に行き温泉に入るという他愛のないことであっていい。私は温泉地に行き、自室のシャワーで済ませるという味気ないことを繰り返して来たのである。

 第3局は北海道である。対局の翌日、帰京の日の午後、牧場へ行き、馬が草を食べるところを見る計画を立てた。羽生王位に声をかけると、手帳を見て「あっ、あいています」という。郷田五段も「行きます」という。

 勝負は勝負。試合が終わったあとは、こんなのどかな時間があっても良いのではないか。職場に馬好きの後輩がいて、この計画を喋ると「職権乱用だ」と怒り出した。自分が行きたいのである。

 まあ、オジさんも四十半ばに差しかかったことでもあり、多少のことは大目に見てくれよ。

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将棋世界1995年10月号、高林譲司さんの「羽生、郷田、牧場を訪ねる」より。

 青い空、白い雲、緑の牧草。北海道に短い夏がやってきた。

 第3局を指し終えたばかりの羽生王位と郷田五段は、束の間の余暇、勇払郡早来町の「社台スタリオンステーション」を訪れた。ここにはサラブレッドの種牡馬が何十頭も繋養されている。いずれも日本の競馬界をリードする超一流の名馬ばかりである。

(中略)

 羽生王位、郷田五段、大盤解説で同行した中村八段、将棋界のサラブレッドたちは、次つぎと目の前に引き出されて来る名馬を見て何を思っただろうか。午後の陽光は馬体をさらに光り輝かせ、牧草の緑をさらに燃えたたせていた。

背後の馬はメジロマックイーン。将棋世界1995年10月号より、撮影は弦巻勝さん。

社台スタリオンステーションにて。将棋世界1995年10月号より、撮影は弦巻勝さん。

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3年連続で同じ顔合わせとなった第36期王位戦は、第1局、第2局と郷田真隆五段(当時)が連勝。北海道虻田郡「ルスツ・リゾートホテル」で行われた第3局は羽生善治王位(当時)が勝っている。

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第3局と第4局で対局終了後の催しが行われ、第4局(福岡県朝倉郡「ビューホテル平成」)の打ち上げは、筑後川で屋形船に乗っての鵜飼見物となった。

王位戦一行の船から他の船を写したもの。将棋世界1995年10月号より、撮影は中野英伴さん。

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将棋世界1995年10月号より、撮影は弦巻勝さん。

「羽生王位に声をかけると、手帳を見て『あっ、あいています』という」

羽生善治六冠、郷田真隆五段、中村修八段(当時)など王位戦一行が牧場へ行ったのが7月26日(水)。

この2日後の7月28日(金)に、羽生六冠と畠田理恵さんの婚約が発表され、羽生六冠と理恵さんは千駄ヶ谷の将棋会館で記者会見を行っている。

婚約発表の前日、7月27日(木)は、羽生六冠から理恵さんに指輪を、理恵さんから羽生六冠へはスーツを贈り、婚約の証としたという。

高林譲司さんから誘われた時に手帳を見て「あっ、あいています」と言った羽生六冠。空いていた7月26日の右の日とさらにもう一つ右の日の欄には、羽生六冠の私生活上、非常に大事なことが書かれていたことになる。

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羽生六冠の婚約発表後の初の対局は、8月8日~9日の王位戦第4局で、羽生王位が郷田五段に勝っている。

郷田五段は婚約をした二人にあてられた形だが、よくよく考えてみると、羽生六冠にとって第3局後の婚約記者会見を0勝3敗で迎えるとの1勝2敗で迎えるのとでは、心理的には大きく異なるわけで、第3局はあらゆる意味で負けられない一戦であったことがわかる。

この頃は七番勝負3連敗後の4連勝の例がなく、0勝3敗となると王位失冠の雰囲気が高まることとなり、結果論となるが、ここで防衛を失敗していたら、羽生七冠が誕生しなかった可能性もある。

王位戦第3局直後という婚約記者会見日の設定は、羽生六冠が自ら退路を断ち「背水の陣」を敷くような決意によるものだったとも考えられる。

ただ、羽生九段のキャラクター的には、あまりそのようなことを意識しないとも思えるので、この辺は何とも言えないところだ。

社台スタリオンステーションにて。将棋世界1995年10月号より、撮影は弦巻勝さん。

社台スタリオンステーションにて。将棋世界1995年10月号より、撮影は弦巻勝さん。