阪田流二枚落ち必勝法

将棋マガジン1990年9月号、東公平さんの「明治大正棋界散策 阪田三吉の珍プレー」より。

 大正2年に坂田三吉七段は『一手千金将棋虎之巻』を著し、大阪の前田文進堂から80銭で売り出している。口述筆記に違いないのだが、なんともいえず面白い本である。有吉道夫九段は、父君が持っていたこの本で定跡というものを初めて知ったそうだ。

 まず著者の序文が面白い。長文なので、ごく一部分を書き抜いてみる。

「凡て将棋は戦争の様なものである」「玉将は総司令官である。飛車は海軍大将の如く角行は陸軍大将に似たり、金将は参謀の如く桂馬は飛行機の如く香車は水雷艇の如く銀は12インチの大砲の様なもので歩兵と共に攻撃の先頭である、今接戦の場合と仮定すれば茲に味方の銀一枚を的に与へて敵の銀二枚を奪ふたなれば12インチの大砲一門を余分に得た結果となって大丈夫味方の形勢がよくなる道理である。夫故一歩たりとも軽々しく渡す事は出来ぬが、いざ必要の地点を占領せんとする場合には多大の犠牲を払ふても極力攻撃せねば勝に向ふ事が出来ぬ」といった名調子が続く。

 六枚落、五枚落、四枚落、三枚落、二枚落と順に講義は進み、平手の部では、早石田、中飛車、三間飛車の3戦法が詳解されているのだけれど、三間飛車の書き出しが変わっている。

「平手定跡の四間飛車は是迄の定跡本に詳らかで有りまして最早講義の余地が無いと認めましたから後手三間飛車に組んだ時の指し方に付て先手指よき定跡を説きましやう」

 定跡の内容は、いかにも「これが阪田の将棋だ」といわんばかり、他の棋書に見られぬ、ゴツゴツした手順が示されている。

 中でも初めて読んだ時に思わず吹き出したのが「二枚落必勝法」である。

 こんなに面白い手があるのに、銀多伝か、二歩突切り、たった2つか3つの定跡しか教えず「▲4五歩と突く手以外では勝てません」とおっしゃる先生ばかりで、果たして将棋人口は増えるのだろうか。平手は千変万化で日毎に進歩しているが、二枚落の指し方は、もう進歩が止まっていて、新定跡は生まれないのだろうか。

(中略)

二枚落ち新定跡 指し方其一

△6二銀▲7六歩△5四歩▲7八金△5三銀▲7七金△6四銀▲8六金△7四歩▲8五金(5図)

△7三銀▲7五歩△同歩▲7八飛△8四銀▲同金△同歩▲8二銀△7六金▲2八飛△8五歩▲7八銀△8六歩▲同歩△8七歩▲7九角△8六金▲8一銀成△4二玉▲9一成銀(6図) 

阪田三吉の解説(要旨)

 これまで二枚落ちの定跡は、三歩突切り、金多伝、銀多伝等いろいろ著されてありますが今、7七金上がり力指しの新工夫をもって上手を破る定跡を説きましょう。▲7七金は力指しの意味に繰り上がり位を占めようとする手。元来7筋は上手から下手の角頭を攻めに来る要点ですから下手として反対に攻勢をとることとします。それについて、銀を進めますとよく突き違いをされて運動に不便ですから、金を立ったのです。

 普通金は玉の守りで、無謀に繰り上がるのは悪いが、この場合は利益の指し方であります。

 上手も敵金の進撃に応じて△6四銀と上がってみます。▲8六金と対抗し、上手は△7四歩と突いてみます。▲8五金は歩をかすめようとするので、この場合△6五銀と上がれば▲7八飛と回られて負けとなりますから△7三銀と引く。▲7五歩△同歩と撮らせて▲7八飛と回る。上手△8四銀と上がれば▲同金△同歩▲8二銀と打つ。上手も△7六金と脅します。▲2八飛とおとなしく退く。△8五歩と角頭を攻める。▲7八銀と急がず守り、△8六歩▲同歩△8七歩▲7九角△8六金に、▲8一銀成と桂を取ります。上手は▲5三桂打を避けて△4二玉と上がる。▲9一成銀にて下手大いによろし。

 以上が”客寄せ”の派手な手順。指し方其二では、△7四歩と突くのをやめて△7二金と指したなら、▲7五歩と位を取り△8四歩▲6六歩△5二金▲7六金△8三金▲6五歩△5三銀▲7八飛△4四歩▲6八銀△4二銀上▲5六歩△4三銀▲6七銀△7四歩▲6六角△6二金▲8六歩△9四歩▲8八飛(7図)という手順を示し、さらにその先を説明している。

 私の推測だが、この定跡は阪田師が下手方を持ち、弟子に上手方を持たせて数局指してみたのではあるまいか。関西には昔から、角落ちや飛落ちの指し方にも、振り飛車位取りやら、奇抜な急戦法が伝わっている。真剣師の、負けない指し方の匂いがする。  

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この阪田三吉『一手千金将棋虎之巻』が出版された大正2年(1913年)は、日露戦争が終わって8年後という時期。

「桂馬は飛行機の如く」と書かれているが、飛行機が戦争で軍用機として初めて使われたのが、翌年の1914年第一次世界大戦でのドイツ軍によるパリ爆撃。欧米露で航空部隊が発足したのが1909年~1912年なので、阪田三吉贈名人・王将は世情にかなり敏感だったとも考えられる。

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阪田三吉贈名人・王将には、非常にゴツゴツとした手が多い。

二枚落ちの▲7七金と出る指し方も、やはりゴツゴツしていて、いかにも阪田流という感じがする。

成功した6図を見ても、下手、上手、どちらも持ちたくないといった印象で、個人的にはあまり指したいとは思えないが、7図になるのなら、これは絶対に下手を持ちたい。

どちらにしても、上手を驚かせるには良い戦法だろう。

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『一手千金将棋虎之巻』は国会図書館デジタルコレクションで見ることができる。

平手の部が、早石田、中飛車、三間飛車だけなのは、この時代もアマチュアには振り飛車が人気があったからかもしれない。

『一手千金将棋虎之巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)

しかし、国会図書館の本は、早石田と三間飛車の項が欠落している。

これは、本を持っていた人が、とにかく三間飛車と石田流が大好きで、この部分だけを特別に切り取って熱心に勉強していた可能性が高い。

Amazonでも『一手千金将棋虎之巻 』が電子書籍で販売されているが(99円)、収録されているのは駒落ちだけ。

『一手千金将棋虎之巻』の早石田と三間飛車を読もうと思ったら、やはりアカシヤ書店へ行くしか方法がなさそうだ。

一手千金将棋虎之巻: 大正2