「この男の師匠、誰か知ってますか」

近代将棋2003年3月号、故・団鬼六さんの「鬼六面白談義 天童の戦い」より。

 これから書こうとすることは羽生竜王に阿部七段が挑戦することになった第15期竜王戦、二回の千日手があったが事実上の5局目、つまり、羽生2勝、阿部2勝で共に五分の星、どちらが3勝目をあげて竜王獲得に王手をかけるか、どちらが負け越してカド番を迎えることになるか、山形県天童市の『滝の湯ホテル』で行われた決戦である。

(中略)

 何をブツブツ書いているのか、森副編集長に竜王戦第5局の観戦記を15枚で仕上げてほしいと連絡があったのだが、もうほとんど枚数は尽きようとしている。もとより私に観戦記を書く気はなく天童市について書く気であったのだが、愚痴を並べているうちにスピード調節が出来なくなってしまったのだ。

 しかし、滝の湯ホテルの将棋控え室へ入って読売新聞社の小田次長や西條主任、それに観戦記者の木屋さん達の歓迎を受けると久しぶりに同窓会の会合に出席したような和やかな気分になれた。この5局目の立会人は西村一義九段で彼とも久しぶりに逢ったことになる。

「いやあ、お久しぶり。羽黒山以来ですな」

 副立会人らしい三浦弘行八段と碁を囲んでいた西村九段は私を見ると相好をくずしていた。

 昔、山形の愛棋家の土岐田さんに連れられて出羽三山の一つ羽黒山に連れて行かれ、西村九段にすっかりお世話になったことがあったが、私はすっかり忘れてしまっているが西村九段は記憶しておられて、それから二人で升田九段の家にも囲碁の手ほどきを受けに行ったときのことも憶えておられた。升田九段に西村九段は三子置き、私は七子置いて対戦し、二人とも勝てなかったが、升田九段は上手の自分が勝てないと御機嫌が悪くなるので下手としては随分と気を使ったものです、という昔話に花が咲いた。何時も思うことだがこういうタイトル戦の関係者控え室は全くスピード感はなく和気あいあいの中ゆったりした時間が流れていくのである。

 対局場の盤面はモニターテレビで映されているのだが、そこも時間は停止してピクとも駒の動く気配はない。

 階下の大盤解説場で解説していた藤井猛九段が戻ってくると、

「紹介しておきましょう、藤井猛です。この棋士のこと知ってますか」

 と、彼を呼び寄せて聞くので、羽生の前の竜王だったでしょう、というと西村九段はピン、ポンといった。藤井九段とはときたま何かのパーティーで出会ったことはあるが親しく声をかけたことは一度もなかった。中原とか米長とか、その他私が親しくしている棋士というのはいずれも中年過ぎで、若手といわれる棋士とはあまり交流がないことを知って西村九段は気をきかして紹介の労をとってくれているのである。

「群馬県出身32歳、A級に属すバリバリの九段です。いうまでもなく大器です」

 そして、この大器の師匠を知ってますか?

 と聞いてきたので知りません、というと、西村九段は胸を反らせるようにして、

「それは私です」

 といった。

 次に西村九段は今まで碁の指導をしていた三浦弘行八段を指さして、この棋士、知っていますか、と私に聞いてきた。

 たしか以前、羽生の持っている七大タイトルの一つを剥がし取った人でしょう、というと西村九段はまた、ピン、ポンといった。

「棋聖を奪取して羽生の七冠独占を最初に崩した棋士です。藤井と同じく群馬県出身の28歳、A級で最も若いバリバリの八段です。藤井と同じ大器であることには間違いなく、私達は三浦弘行とはいわず三浦武蔵(みうら たけぞう)と呼んでいます。武蔵になる前の武蔵(たけぞう)というわけで、どうです、面構えに野性味があって武蔵に似ているでしょう」

 西村九段はそういってから、「この男の師匠、誰か知ってますか」と聞いてきた。

 知りません、と私がいうと、西村九段は咳払いしてまた胸を張った。

「それは私です」

 かつてタイトルを保持した若手有名棋士二人の師匠が西村九段であることを知らなかった私は恐縮して頭を下げた。

 一方の弟子が三浦武蔵なら一方の弟子は藤井小次郎というべきだろう。佐々木巌流になる前の小次郎であって武蔵と小次郎の二人の天才弟子を西村九段は持っていることになる。

 優秀な弟子を持つ先生方は多いがかつてのタイトル保持者で、なおも頂点を目指す弟子を二人も抱えているというのは滅多にいるものではない。西村九段は名伯楽といわれた佐瀬勇次九段の門下生であっただけに師匠ゆずりの素質があったのだろう。

「西村先生も若い頃、何かタイトルをおとりになりましたね」

 と、私が聞かなくてもいいことを聞いて、しまったと思ったが彼は、

「自慢じゃないけれどタイトルなんて一つもとったことはありません。いい師匠になるにはタイトルなんてとらない方がいいんです」

 といった。弟子二人がA級で活躍してるのを師匠は私はC1級に安住して見守ってやる、それが一番ふさわしい師弟関係に思われます、といった。

(以下略)

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高倉健さんが亡くなった。享年83歳。

とても悲しいというか、心に穴が開いてしまったような気持ちだ。

私が高倉健さんの映画で最も好きなのは「昭和残侠伝」シリーズ。

しかし、「昭和残侠伝」の本当の良さが理解できるようになったのは、社会人になってからしばらくしてからのこと。

私が高倉健さんが出演する映画を初めて観たのは、大学2年の夏休み、仙台の映画館での「八甲田山」だった。

最後のシーン、緒形拳さん演じる青森第五連隊でただ一人生き残った兵士の数十年後、穏やかな気候の八甲田山の慰霊碑を訪れる姿を見て、涙がボロボロ出てきたのを覚えている。

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「八甲田山」では、弘前歩兵第三十一連隊雪中行軍隊の徳島大尉を高倉健さん、青森歩兵第五連隊雪中行軍隊の神田大尉を北大路欣也さんが演じていた。

北大路欣也さんのテレビドラマ初主演作は日本テレビ系「宮本武蔵」(1965年。佐々木小次郎役は中谷一郎さん)。北大路欣也さんは1990年と1996年にもテレビ東京系で宮本武蔵を演じている(佐々木小次郎役は村上弘明さん)。

一方、高倉健さんは、1963年から1965年の東映映画「宮本武蔵」シリーズ」で佐々木小次郎を演じていた(宮本武蔵役は中村錦之助さん)。

八甲田山では高倉健さんが生き残り、北大路欣也さんが生き残らない形だが、宮本武蔵・佐々木小次郎の関係では立場が逆転している。

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これまで、宮本武蔵を演じた俳優は、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、月形龍之介、近衛十四郎(松方弘樹のお父さん)、河原崎長十郎、辰巳柳太郎、三船敏郎、中村錦之助、丹波哲郎、高橋幸治、10代目市川海老蔵、高橋英樹、滝田栄、役所広司、上川隆也、市川新之助、本木雅弘、木村拓哉など。

佐々木小次郎を演じた俳優は、月形龍之介、大谷友右衛門、鶴田浩二、仲谷昇、尾上菊之助、山崎努、浜畑賢吉、田宮二郎、渡辺謙、吉田栄作、西村雅彦、松岡昌宏、沢村一樹など。

誰も、実際の宮本武蔵や佐々木小次郎を見たことがあるわけではないので、キャスティングのしかたも様々なようだ。

三浦弘行九段が若い頃、”武蔵”と呼ばれていたのも、吉川英治の小説『宮本武蔵』のイメージによるところが大きいのだろう。

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江戸時代の初期に描かれ、熊本県指定重要文化財にもなっている「宮本武蔵像」があるが、これを見ると宮本武蔵は、25年後の佐藤紳哉六段のような雰囲気だと思う。

「宮本武蔵像」

宮本武蔵の絵馬(こちらのほうが佐藤紳哉六段に更に似ている)