先崎学四段(当時)が指摘した誤り

近代将棋1988年11月号、武者野勝巳五段(当時)の「プロ棋界最前線」より。

小林四段の自転車行

 連盟でこんな話をしていると、小林宏四段が「僕もこの夏、青森へ行ったんですよ」と言う。私が「観光しながらの東北道は近かったけれど、帰りの道は遠くて運転疲れした。小林君は新幹線、それとも飛行機?」と問うと、何と「自転車です」という返事。聞けば、日本海側から約900キロの道のりを一週間で走破したそうで、二度ビックリ。

 彼は冬山登山が特に好きという本格派で、奨励会の頃、吹雪の尾瀬に閉じ込められて奨励会例会に出られなかったことがある。周囲は連絡のつかない冬の尾瀬のこと、彼の生死を心配していたのだが、ヒョッコリ現れた彼は何と「いやあ、奨励会不戦敗なり、ひどい目に会った」

 山で知り合った女性と結婚し、住まいも高尾山のふもとに定めたというスリムな肉体派の彼らしい自転車行だ。

よく遊べ

 プロ棋士には大内九段や青野八段など故・山田道美九段の影響か、登山が好きという者が多いが、最近の若手も小林君の影響か登山派が多い。

 奨励会幹事を永く務めている滝六段もその一人で、佐藤(康)四段、先崎四段、長男を率いて今夏は富士登山。「雲に富士山の影が映る”影富士”というのを写真に撮ってきた。山小屋のおじさんが『大変珍しい現象だ。あなた達は運が良い』と言っていたから、これからは勝負事もツキまくるぞ」と、はしゃいでいた。だからという訳ではないが、直後に八ヶ岳に島六段、中田(功)四段、小倉新四段、佐藤(康)四段、先崎四段、奨励会員数名と大挙して行き、この夏の不順な天候のせいもあってか、麻雀合宿と相なったようだ。ツイてる人が勝ったかどうかは聞き忘れたが、公式戦を勝ちまくる新人類達。よく遊べ、よく学べとこの気持ちの切り換えが勝利の秘訣のようだ。

よく学べ

 よく学べだけの一派もいる。森下五段が主催した”山中湖合宿”などもその一つで、他に中田(宏)四段、中川四段、奨励会員数名により、総当りのリーグ戦を三日間三回消化したそうだ。富士帰りの先崎らはこの合宿所に立ち寄ったが、「とても入室できるような雰囲気ではなく」あまりの真剣さに早々と退散したようだ。

(以下略)

近代将棋1988年12月号、武者野勝巳五段(当時)の「プロ棋界最前線」より。

 連盟で対局ウォッチングしていたら、ニコニコしながら先崎少年が話しかけてきた。「11月号、楽しく読みましたよ。でも小林君が遭難したのは、尾瀬ではなくて谷川岳。観光地の尾瀬で遭難したのでは、小林君のプロクライマーぶりがすっかりかすんでしまうではないですか」

 どこで記憶違いをしたのだろう。そうだよなあ。あの尾瀬で遭難するハズがないよなあ。

(以下略)

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ニコニコしながら武者野勝巳五段(当時)に話しかける先崎学四段(当時)がいい味を出している。

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私は尾瀬へ行ったことはないのだが、中学の音楽の授業で「夏の思い出」を習ったので、初夏になると私の頭の中にも「夏の思い出」がBGMとなってテレビなどで見た尾瀬の光景が浮かんでくることがある。

ところが、高校生の頃に見た番組で尾瀬で撮られた心霊写真が紹介されて、この写真が衝撃的だったため、今でも「尾瀬」というと連想するのは「夏の思い出」が9割でこの心霊写真が1割という状態になっている。

この心霊写真は、木道に立つ複数の女性の後ろに帽子をかぶった男性の顔が写っているというもの。尾瀬は木道の外は湿地帯で立ち入ることができないので、普通なら人がいない場所に男性の顔があったということになる。

試しに検索してみると、やはりかなり有名な写真だったようで、「尾瀬 心霊写真」で検索すると、一番上にその写真が紹介されているブログが出てくるので、興味のある方は見てみてください。

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八ヶ岳というのは、高田尚平三段(当時)のお父さんで作家で前・将棋ペンクラブ会長の高田宏さんの別荘と思われる。

面子的に、天候が不順でも快晴でも、麻雀合宿になっていたような感じがする。