羽生世代奨励会入会前夜

将棋世界1983年1月号、滝誠一郎六段(当時)の「奨励会熱戦譜」より。

〔奨励会の日〕

 朝9時迄に将棋会館に集合(ただし当番という5人ないし6人は、その日の盤・駒・座布団・チェスクロック・お茶、を用意する為に8時頃に集合)、9時より全員の出欠の確認が行われそれから幹事による会員に対しちょっとした注意が行われ、そして、記録係の希望及び指名をする(記録は奨励会員の義務)。最後に一局目の手合いが幹事より読み上げられる。その時の雰囲気について、手合いが読み上げられる前は、多少ざわつく者がいるが、読み上げが始まると、あぐらをしている者も、正座となり下を向いて真剣な顔で手合いを聞く、これが例会の一日の始まりである。

 段の場合は、持ち時間1時間30分で2局、級の場合は、1時間で3局指すわけである。1局目が終わると昼食休で、段は2時より級は1時より2局目を開始する。例会の終了時間はだいたい6時前後である。ここで解散となるわけであるが、その日の当番の人達は後片付けをして帰る。月に2回の例会日がどのぐらい重要なものなのかを自然にわかってきよう。

〔奨励会員の事〕

 ここ2、3年入会希望者が急激に増え56年度の受験者は、78人で合格20人(すでに何人かは退会しており、何人かは成績がおもわしくない)本年度の受験者数は71人で、13人合格ときびしくなっている。この中で四段になれる者は、2割から3割弱ぐらいである。厳しい世界でありますのでただ将棋が好きなぐらいの気持だけでは、受けないでほしい。

 奨励会員の生活は、それぞれ遠い自宅から通う者と地方から上京してアパートを借り一人で自炊する者と別れています。(師匠の所で内弟子をする者もいる)

 他の世界と違い生活が強制されていないので特に一人で生活している者は、生活リズムを崩しやすいので大変であろう。

 くどいようだが、現在の制度では三段でいくら強くても四段になれなければ、やってきた事がまったく意味のないものとなってしまう。

 日頃一生懸命努力している奨励会員の中から一局選んで紹介してみよう。

(中略)

〔幹事より特に一言〕

 三段陣の最近の成績について。

新四段誕生後の三段陣は、これといった成績をとっている者もなく、しかもB(2勝8敗)に何人か落ちておりBに落ちかかっているのがほとんどである。つい最近、関東関西奨励会員の合同旅行において、対抗戦が行われ三段陣は一人もベスト4に残った者すらいなかった。もっと対抗意識を強く持ってもらいたいものだ。

 三段から四段の昇段点は13勝4敗(9連勝)でその内半分は、香落ち将棋である。その香落ちが、勝ち越しているどころかほとんどが負け越しの状態である。香落ちを制する者は奨励会を制すと言われる程大事なのであるから頑張ってほしい。

 級位者に対して一言。

最近の級位者は、棋士に会ってもあいさつをせず知らん顔で通りすぎる者もいる。これは我々の時には考えられなかったことである。だから顔がわからないのならば、連盟に来ている時は人に会えばあいさつをするようにしてもらいたい。

 対局態度についても姿勢の悪さ(正座が続かない)対局中に私語をしている。

 観戦態度も先輩の将棋を見る時、立ってみたり足を投げ出したり見苦しいことは、してほしくない。少なくとも正座で観戦すべきであろう。

 記録係の態度についても、棋士は正座をしているのに足をくずしたりしないように。お茶をくむ時も茶托にお茶がこぼれていても平気で出したりしている者もいる、もう少し気をつかってほしい。

 だいぶくどい事を言ってきたが、幹事として一日も早く多くの会員が四段になれるよう見守り指導していきたいと思っている。

 これからも口やかましく言っていくつもりである。奮起してもらいたい。

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羽生善治名人、森内俊之九段、佐藤康光九段(当初は関西)、郷田真隆九段、豊川孝弘七段、小倉久史七段、飯塚祐紀七段、木下浩一六段、が、奨励会に入会する1ヵ月ほど前に、当時の奨励会幹事である滝誠一郎六段(当時)によって書かれた文章。

読んでいると、奨励会に入会してオリエンテーションを受けているような、自分が檄を飛ばされているような気持ちになる、魂のこもった文章だ。

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この当時は三段リーグがなく、三段で9連勝または13勝4敗以上の成績を取ることが四段昇段の条件。

三段になっても香落ちが日常的だった時代。

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滝誠一郎八段は当時の若手棋士の兄貴分的的存在。

一昨年行われた滝八段の引退慰労会には、羽生善治名人、森内俊之九段、佐藤康光九段、郷田真隆九段、先崎学九段、行方尚史八段、鈴木大介八段、中田功七段、小倉久史七段、田村康介七段と、滝幹事時代に奨励会員だった棋士が数多く駆けつけている。

兄弟子の引退慰労会 7,14(森信雄の日々あれこれ日記)

滝誠一郎七段(当時)、郷田真隆六段(当時)、先崎学六段(当時)、中田功五段(当時)が勢揃いのエピソードもある。

1997年、郷田真隆六段

 

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滝誠一郎六段(当時)