オブラートに包まれていない本音100%の座談会(中編)

将棋世界1983年1月号、乱発!激発!ホンネ座談会「野獣が最後に勝つ」より。出席者はシナリオライターの石堂淑朗さん、大内延介八段(当時)、河口俊彦五段(当時)。司会は野口益雄編集長(当時)。

現代若手棋士気質

河口 石堂さん、淡路君のことで面白いことがあるんです。

石堂 はあ、”不倒流”ですね。

河口 ”不倒流”といわれているんですが、繊細な将棋なんですよ。序盤も筋がよい。そういう人だから青野君との順位戦で、青野君が棒銀を得意にしているからと、序盤を研究して来たんですね。敵の得意をやっつけなきゃいかんと思ったわけでしょう。ところが彼は棒銀なんかやったことがない。大事な将棋を前に、どうやって勉強したかというと、ここが面白いんですが、将棋世界の講座を二、三日読んで来たというんです。

大内 青野君の棒銀に挑むとは強い度胸だと思うね。でも淡路君のいいところだ。八段になるためには相手の得意型で勝ってやろうという意欲でしょう。

河口 雑誌でどれくらい勉強したか知らないけど、それで通用すると思って行くのが、いかにも将棋指しらしい。(笑い)

石堂 それで勝負は?

河口 序盤はやはり悪くなり、途中でひっくり返ったんですが、最後でまた逆転でした。

大内 深く何ヶ月も研究するなんていうのは立派なんだけど、僕の名人戦の矢倉みたいに衝動的にやることも多いんです。淡路君の心の動きはわかる気がするな。

河口 それにしても最近の若手は、データオンリーというか、矢倉をやれば矢倉で、この形はどうだと指定局面を想定する。一点にしぼってやるわけで、あの傾向と対策を知る努力は凄いと思うね。受験のヤマ感と同じですよ。けれど将棋はたいしたことがない。

石堂 大山鳴動ですか。

大内 研究するのもいい傾向ですが、あまり頭デッカチになるのはよくない。身体で覚える部分がないとね。この間堀口君(弘治四段)に、先生の若い頃と自分らとは違うといわれましたが、どこが違うんですかと質問をされましてね。

河口 僕が言ったことだな。(笑い)

大内 年寄りくさくなるけど、僕らの頃は持ち時間が7時間でして、記録をとっていても終わるのは午前4時頃になってしまう。そのあと9時頃まで、4、5時間の間に眠いのと空腹を我慢して棋譜を十通ばかり仕上げるんです。今はコピーがあるから、そんなことはない。その頃は先生方も朝まで研究していて、僕らはそれをジッと見ている。研究を横で見ながら、一番揉んでやろうといわれるのを待っているわけですよ。

河口 そう、家庭的なところがありましたね。

大内 二上さんなんか気がいいから教えてくれる。二上さん達から見ても、僕らが可愛かったと思うんですよ。だから酒飲みにつれていってもらったり―芹沢さんなんかにもご馳走になった。でも今は、コイツら一杯ご馳走してやろうという気がおきない。それは何故かということですよ。

河口 人数が多くなり過ぎたこともある。僕らの頃は5,6級でも大山さんや升田さんが皆知っていたんですよ。これは河口っていう奴で、将棋はたいしたことないけど、これこれこういう奴だと知っていた。今は三段の古顔にならなきゃ、僕らでもわからない。いいにつけ、悪いにつけ、昔は個人的な接触があった。もっとも今は棋士の方もお金持ちになったから、始発電車まで待たずにタクシーで帰っちゃう。

(本誌)石堂先生の世界ではどうなんでしょう。先輩後輩の関係ですが―。

石堂 テレビでいいますと、視聴率の確保が、つまり鬼の首でして―。

大内 やはり実力の世界なんですね。

石堂 視聴率、役者、いろんな不確定要素があって、それらをキャッチするアンテナの鋭いやつが勝つわけです。今の若い奴はたしかにうまいんですが、一過性といいますか―。

河口 職人気質がないわけですか。

石堂 ええ、短編技術にしても昔に比べれば、はるかに凄いんですが、うまいから、じゃあどうだということも言えるんです。

(本誌)なるほど、将棋界でいえばどうですか。

石堂 そう、僕なんか谷川さんみたいに上り坂の人が勝っても、少しも面白くない。若手とやって勝っても当たり前だから、感動しないんです。それよりやや陰りのみえた頃の強さが本物じゃないかと思いますね。

大内 谷川君の強さは、石堂さんが言うようにまだ未知数で、いつかは捕まるかもしれない。この間順位戦で谷川君が四連勝した時に大山さんが「これで残れるね」と言うんですね。「挑戦者になる」などとは一言も言わない。

河口 一年目はこわいもの知らずだし。

(本誌)今日は中年ばかり集まったから、谷川さんにカラいのかな。(笑い)

河口 新人でも強いのが多勢いますけど、皆まとまり過ぎている感じがしますね。研究熱心で、序盤も丁寧だけど、高校野球の優勝投手みたいに、若くしてフォークボールは投げる、カーブは知っているというようで、小じんまりしていると思います。

石堂 早実の荒木のようなものですか。

河口 けれど、南と塚田は相当に強い。塚田君なんてのは、序盤何をやっているかというほど将棋を知らないんだけど、知らなくていいんです。勉強すれば覚えますから。

石堂 師匠と似ていますね。

大内 聞き捨てならない(笑い)。けれど、私は何を勉強しろなんて言いませんから。塚田の場合は、まだ怖さを知らない。二、三年たって怖さを知ってからが勝負だよ。

河口 怖さを知ると並の棋士になる場合がある。才能があるのに、そういう棋士は多いですよ。

大内 若いからいいっていうものではないしね。年齢なんか関係ない。河さんだって、飲み屋へ行けば三十二、三歳で通るでしょう。早熟とか大器晩成とか、言葉の上では何とでも言えるが、関係ないんだ。本当に強くなるなら何歳でもいいんです。

河口 三十歳で名人取ろうが四十歳で取ろうが、取ったことに変わりがないからね。

大内 それにしても、今の昇降級リーグ4組は40人もいるのに一人10局しか指さない。これは不自然だ。最低でも半分の人と対戦しなきゃ、意味がないと思います。持ち時間を6時間のところ3時間にして、20局指したらどうかと言ったら、あのクラスの若手に起こられましたがね。

河口 いや、6時間でもいいんです。2日とか3日に一局ずつ指せば。

大内 抽選を見て、今年は競争相手と当たらないからチャンスだとかいうのはおかしいよ。競争相手を負かして上がらなきゃ意味がないんだよ。

河口 僕もその意見には組みします。対局は上のクラスが多く、下が少なすぎると思う。若手は年間50局位指し、逆に名人などは月1局でいいと思うんです。

名人は月一局だけ指せ

(本誌)若手から上のクラスの話ですが、石堂さんはアマの代表として、今の戦国時代はどう思います。面白いですか。

石堂 面白いのと同時に心細いですね。明治時代なら、紅葉、露伴とか、漱石、鴎外とか、二人がセリ合っている時がエポックであって面白い。圧倒的な強者がいない時代は寂しい気がします。

(本誌)二人位がちょうどいいですか。

石堂 ええ、栃若時代とか、大山・升田時代とかですね。

河口 あの時代は迫力がありましたね。

石堂 今は対局が多過ぎるということがたしかにある。我々の世界でいえば、やたらに売れて沢山書いて、それで一年位は持ちますが、あとはカスカスになってしまう。対局数が少なければ、一局一局作り上げられていくところがあって、見ていて凄いと思うんですけどね。学校と同じです。これだけ大学が増えると、学問の程度はガクンと下がる。学問の民主化すなわち学問の低下ですよ。今の将棋界のレベルが落ちないかという恐怖感があります。

河口 僕もそれは常々言っていまして、先ほどもいったように、名人などは月一局、あとの20日間位は、次の対局のために備えているという感じであってほしいわけです。

(本誌)そういえば河口さんは、今は四強時代じゃなく、ハッキョウ時代だと言っていますね。

河口 ええ発狂です。まあ、発狂でも十強でもいいんですが、タイトル保持者が新人といい勝負をするのはおかしいと思う。つまり対局が多過ぎるからですよ。大山名人が将棋を指せるのは有難いと言っているのは一面であって、指すからにはいい将棋を見せる義務が、当然一方にはあるわけです。大山名人だって、全盛時代から見て全然衰えていませんね。二十日間位の感覚で本当に勝負をさせたら、相当な将棋を指すと思います。

石堂 大山さんは凄いスケジュールなんでしょう。

河口 まあ、大山さんは特別な体質かもしれませんけど、中原さん、米長さんあたりは、間隔をあけて、一局の価値をもっと高めればと思います。それにしても、中原さんはどうしたのかな。いずれ復活するはずだけど、おかしな時期がちょっと長い。もっとも弱くなったわけじゃなく、何となく勝てないだけだと思います。大山さんにもこういう時はありましたから。

(本誌)加藤さんも、一体どうしたんでしょう。久々に勝ったんですよね(十段戦第2局)。でも河口さんのいうような方向に将棋連盟はなりますかね。名人が月一局という―。

大内 今そういう方向にはないですね。この時代に憧れて苦労してきたわけですから。あらゆる報道機関に将棋を掲載したいし、ファンもそれを望んでいる。NHKとテレビ東京に将棋があって、他の局にないのはなぜか、と実際に聞かれますよ。でも対局が増えれば技術は挫折するかもしれないし、ジレンマはたしかにあります。

河口 経済的な問題をいうと面倒になりますが、名人戦で二億円の契約金があるなら、一億を名人にやって対局は月一回でよい。あとの一億で連盟を運営するというのも一方法だと思うんです。

大内 けれど上の棋士を出し惜しみすると、チャチなタレントではないが、社会から干されてしまうかもしれないし、まだ河さんのいうような時代にはなっていないでしょう。いずれはそういう時代になるかもしれないが、まだ棋士が選り好みをする時代じゃないと思うよ。

石堂 森さんなどは、負けた者には何もやるなと言っているわけですが、生活を保証されているからいい将棋が指せるともいえるし、この問題はたしかに難しい。

大内 連盟が企業として成り立つかという話にもなりますね。どこかの新聞社が、中原さんやヨネさんを何千万円かで一本釣りすることも可能なんだけれど、将棋連盟がおかしくなっちゃう。実は三段時代、升田先生の全盛期なんだけど、連盟からの収入が少ないからと升田先生がプロダクションを作って連盟と勝負しようと言ったら、どうなるだろうと考えたことがあります。みんな苦しい時代を知っているから我がままを言わないだけで、その可能性はあるわけです。

河口 でも、予備クラス制度で棋士が年に二人しか誕生しないということと、順位戦の4組から落ちるということ、この二つの制度がなくなったのはどうかな。

大内 当事者は大変だったけどね。

石堂 直木賞でも年に二人しか受賞しない。年に何人も直木賞をもらったら、一体どうなるかということもありますが、それと同じですね。

河口 そうですよ。実際予備クラスから上がって行った棋士は皆A級とまでいかなくても、相当に強いでしょう。まあ、それとは別に、将棋界も将棋は指さなくても記事は読むというファンが増えなければいけません。今は評論家時代でしょう。自分で野球はやらなくても、ここでフォークを投げるべきだとか能書きを言うファンは沢山ある。将棋もそうならなきゃ。

大内 実際、よくはなりつつあります。この間など、最近の判事や検事がたるんでいるから、そのためには将棋界の話をするのが一番いいと、司法界の人ですが、見知らぬ人から講演を頼まれました。

石堂 そういえば棋書の影響力が大きいんですよ。最近の子供には棋書を読んで文字や文章を覚える傾向があるんです。

大内 ほう、それは責任重大ですね。

石堂 将棋は教育的ですよ。負けましたと耐えながら言う訓練は、ほかにない。盤を蹴とばしたり、他の何かに訴えたり。負けましたと、自分で言えないのはダメなんです。

(つづく)

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この時代は、

  • 挑戦者決定リーグ戦…現在の順位戦A級
  • 昇降級リーグ1組…現在のB級1組
  • 昇降級リーグ2組…現在のB級2組
  • 昇降級リーグ3組…現在のC級1組
  • 昇降級リーグ4組…現在のC級2組

という呼び名だった。

1946年から始まった順位戦は、当初はA級(八段)、B級(七段、六段)、C級(五段、四段)の3クラスだった。1948年にC級が1組と2組に、1951年にB級が1組と2組に分かれている。

1976年に名人戦の主催が毎日新聞になった時に、順位戦の名称がなくなり上記の名称となったが、1985年に順位戦の名称が復活している。1994年にフリークラス制度が設けられた。

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石堂淑朗さんの、「そういえば棋書の影響力が大きいんですよ。最近の子供には棋書を読んで文字や文章を覚える傾向があるんです」にハッとさせられる。

私の場合も、小学4年の時だったが、普通に大人が読む本に初めて接したのが将棋入門の本だったと思う。

学校でまだ習っていないいくつかの漢字も「将棋入門」で覚えたことになる。

現在は子供向けの入門書も多いので、子供が初めて接する大人向けの本が棋書ではないケースも増えているだろうが、意外な視点での棋書の位置づけが新鮮に感じられる。