福崎文吾王座(当時)「途方にくれてます」

将棋マガジン1992年1月号、池崎和記さんの新王座・福崎文吾に直撃インタビュー「矢倉と穴熊に磨きをかけたい」より。

―福崎さんは十段位を取ったころは穴熊が多かったですよね。それまでもよく指していたから、世間一般のイメージでは「穴熊の福崎」というのが相当ある。ところが1年後、高橋さんとの防衛戦のときは全局矢倉でした。あれはどういう理由で?

福崎 気分的なものですよ。そのときは矢倉をやりたいという心境だった。

―穴熊が嫌いになった?

福崎 穴熊は嫌いじゃないし、飽きたということもないけど、そのときはなぜかやる気がしなかった。でも急に嫌いになることもあるんですよ。

―けっこう気分屋なんですね。

福崎 矢倉は前から面白いと思ってたんです。でも、ちょっと怖かった。ギリギリの一手違いになるしね。

―一手違いは穴熊も同じですよ。

福崎 そうですけど、穴熊は考え方で2,3手空くときがあるんですよ。

―もともとは振り飛車党ですね。

福崎 アマチュア時代は振り飛車党でした。奨励会試験は穴熊で受かって、奨励会に入ってからも3局に1局くらい穴熊をやってましたね。矢倉をやったのは棋士になってからです。

―現在は純粋な居飛車党。

福崎 5年も居飛車をやってたら、居飛車党ですよ。

―矢倉だと、福崎さんの良さが出にくいということはありませんか?

福崎 そんなことない(笑)。

―僕らアマチュアには、矢倉はみんな同じように見えてしまうんです。昔、僕は森下六段に「矢倉ほど個性の出る戦法はない」と言われたことがあります。「みんなが同じような戦型をやっている。だからこそ、そこで個性が出るんだ」って。

福崎 アマチュアで矢倉がわかる人って、相当棋力が高い人でしょう。ちょっとした違いがわかるというのはね。

(中略)

―戦法が仮に10あるとして、いま矢倉をどのくらい指していますか?

福崎 8か9ですね。僕は矢倉を指す多さでは、5本の指に入ると言われたことがありますよ。

―さっき、矢倉を指してきたのは気分的なものと言いましたよね。ところが王座戦ではいきなり穴熊でした。あれはまたどうして?

福崎 あれは週刊将棋に書いてある通りですよ。(注=10月30日号に「第1局当時、谷川さんは矢倉党の中田宏樹五段と王位戦を争っていました。同じ戦型ではつまらない、と対局の朝、ふと思ったんです」という福崎王座のコメントが載っている)。

―でも王座戦開幕前の同紙9月4日号では、「最近はずっと居飛車を指しているので、タイトル戦でも居飛車でしょう。振り飛車は忘れました」の発言もある。切り換えが鮮やかすぎるんじゃないですか。

福崎 気分的なものなんですよ。損とか得とかじゃなくて。

―僕のうがった見方かもしれませんが、福崎さんはみんなが注目している勝負では「アピール性の高い将棋を」という気持ちがあるんじゃないですか。驚かせてやろうとか、あるいはサービス精神……。

福崎 それはないですよ。

―でも今期NHK杯戦の対小林宏戦でも振り飛車穴熊をやっていますね。NHK杯戦は視聴率も高いし。

福崎 目立つところで、1局でも穴熊指してたら、納得するでしょう。

―ファンが?

福崎 そう、そう(笑)。

―そういうところで穴熊をやってるから、やっぱりファンの目を意識してサービスしてるのかな、と僕なんか思うわけですよ。

福崎 サービスというか、1回やったら納得しはるでしょう。毎回やれと言われたら困りますが(笑)。王座戦でも1回穴熊をやって、それで負けたらやめるつもりでしたよ。

―王座戦の穴熊は目立ちましたね。

福崎 そうですね。それに、谷川さんとは穴熊でまだ決着がついてなかったですからね。

―過去の対戦成績を見ると、穴熊ではかなり分がいいですね。

福崎 谷川さんもたぶん、1回は穴熊をやって欲しかったと思うんですよ。まあ3番もやったのはやり過ぎやけどね。僕が最初2連敗して、3局目に穴熊を使うということになれば、もうちょっと分かりやすかったんですがね。それが1局目になっただけの話なんですよ。

―そうですか……。

福崎 王座戦が始まる前は、どうしようかな、と迷ってはいたんですよ。本当は第1局で先手番になったら、矢倉でいこうと思ってたんです。後手番だったら、谷川さんの角換りを避けるために振り飛車かなと。それで先手番になり、7六歩に8四歩と突かれた時、ふっと5六歩と突きたくなったんですよ。

―対局中に突然?

福崎 そう。結局、5六歩と突きたいから突いたんですよ。そしたら8五歩で77角に5四歩だからね。これはもう振り飛車でしょう。

―先手のときは矢倉の予定だったのに、気が変わったと。

福崎 角換わりもちょっと考えてましたけどね。もし後手番になったら、向こうは角換わりか矢倉か知りませんけど、角換わりの場合、こっちは腰掛け銀にするか、棒銀にするか、作戦を決めないといけないでしょう。いままで僕は棒銀が多かったんです。勝率も悪くはなかったんですけどね。でも最近、棒銀は減ってきているし、研究が盛んでしょう。それでちょっとね……。だから対局中は「こんなん、やるつもりはなかったのに……」と自分でも思いながら、振り飛車を始めたんですよ。

―谷川さんは意表を衝かれたでしょうね。

福崎 終わってからすぐ谷川さんが言うてはりましたよ。「(穴熊は)しないと言ってたじゃないですか」と。「ぶつぶつ」とも(笑)。

―「振り飛車は忘れました」という週刊将棋のコメントがありましたからね。

福崎 僕は穴熊をやらないとは言ってない。「使うかもしれない」と言ってるんです(笑)。でも第1局は結果が良かったからいいですけど、第2局は谷川さんの必殺の角換わりがありますからね。対策が決まらないうちには簡単にできない。二番煎じでやって、平凡に負けられへんしね。

―ところが第2局も穴熊。

福崎 角換わりの対策が見つからないから、僕は7六歩に3四歩と突いたんですよ。対策が見つかっていたら、7六歩に8四歩と突きますから。

―ところが4四歩に、谷川さんは2五歩と突いてきた。

福崎 あれは「もう一番、穴熊を」という注文ですね。

―その第2局も勝って2連勝。僕は第3局もてっきり穴熊だと思った。このまま穴熊で決着をつけるつもりかと……。ところが第3局は予想に反して矢倉でした。

福崎 ヘソ曲がりなのかもしれませんね。あの時は立ち会いが大内先生で、いかにも雰囲気が”穴熊”という感じでしょう。それで気が変わったりしてね(笑)。

―ただ、第3局の矢倉は谷川さんの立場からすると、カチンときたと思う。2連勝したから矢倉でもいいだろう、みたいな感じに映りますからね。

福崎 そんなん思わへんの違いますか。

―いや、谷川さんは思うでしょう。

福崎 ふだん、谷川さんとは対戦が全然ないしね。僕はそういうふうには思わないけど。カチンと来てるようには見えなかったですよ。

―谷川さんを怒らせるために、わざと矢倉をやったということはないですか。

福崎 そういうことはないですよ(笑)。

―第3局の矢倉は予定ですか。

福崎 先手やしね。自分では矢倉が得意だと思ってるからやったんですよ。それで完敗したら、周りは「なんで矢倉をやったにゃ」みたいな感じで(笑)。

―周りから見れば、そうなりますよ。

福崎 まあ、しゃあないですね。

―作戦が失敗した?

福崎 いや、失敗じゃないです。思った通りに行ってましたから。ただ、中盤の勝負どころで受けにまわったのが悪いてで……。作戦は失敗してないけど、谷川さんには通じなかったということですよ。

―第4局は袖飛車でしたね。

福崎 始めはちょっと悪かったけど、谷川さんが優位を拡大しようとしてきたときに、互角に戻ったんですよ。終盤は僕のほうに勝ちがあったと思うんですけど。

―2連勝して2連敗。勝負の流れから言えば、次の最終局は谷川乗りとなりますが……。

福崎 僕もアカンと思いましたよ。

―最終局は振り駒で、福崎さんが先手になった。振り飛車穴熊は最初からの予定ですか。

福崎 先手でも後手でも、振り飛車穴熊にするつもりでした。

―その将棋が千日手になった。そして指し直し局は矢倉。普通はもう一度穴熊を、となりませんか。

福崎 1局やったら僕はもういいんですよ。おいしいハンバーグを食べて、もう1回、同じハンバーグを食べられますか?

―勝負は違うでしょう。

福崎 だって、朝から体調を整え、「さあ穴熊だ」という感じでやって必死に戦い、最高にやった結果が千日手ですよ。もう、それ以上いいアイデアは出ない、僕の気持ちではね。

―そういうものですか。

福崎 谷川さんは振り飛車退治がすごくうまいんですよ。

―いやいや、福崎穴熊にはあまりうまくない(笑)。

福崎 昔ね、関西の棋士は振り飛車党が多かったんです。谷川さんは自分でも振り飛車をやってるし、対振り飛車もやってる。振り飛車の将棋に鍛えあげられているんですよ。だから千日手になったら、もう一番はできないですよ。

―指し直し局は持ち時間が少ないし、しかも後手番。また穴熊を、と考えるほうが自然では?

福崎 谷川さんは第一人者ですから、この戦法で行けば勝てるとか、そんなんあるはずないですよ(笑)。第一、王座戦でやった穴熊は全部、僕のほうが作戦負けしてるんですから。

―そうすると、すんなり矢倉に行ったと。

福崎 いつもどおりの自分に戻ったんですよ。

―控え室では「わからん」「なぜだ」という人がほとんどでした。やはり福崎さんは穴熊のイメージが強すぎるんですよ。

福崎 そろそろ払拭してもらいたいですね。

―払拭はできないですよ。作戦負けだろうが何だろうが、結果としては穴熊では負けてないんですから。「得意戦法は穴熊」というイメージがあるから、なぜやらないかと思うのが自然で、むしろ福崎さんの考えのほうが僕にはわかりにくい。

福崎 一つのことを考えてて、夜9時までやって結果が出なかったら、同じのをやる気はしないですけどね。

―勝っても負けても穴熊で、というふうには考えないんですね。

福崎 いや、考えられる限りのことは考えますよ。もちろん。ほんの一瞬ですけどね。

―千日手になって、30分後に指し直しだから、作戦を考える時間はほとんどなかったでしょうけど。

福崎 僥倖で(王座)取れて良かったですよ。

―終盤は二転三転という感じでしたね。

福崎 谷川さんにしては珍しいですよ。終盤、あまり間違えないですから。僕とやってペースが乱れたかな。

―福崎さんは、結婚して人生観が変わったということはないですか。僕は独身時代のことは知りませんが、昔は勝負師のかたまりみたいな感じだったとか。結婚して丸くなったということは?

福崎 自分では、変わったつもりはないですけどね。

―しかし戦法は変わった。高橋さんとの十段戦のときね、田中魁秀先生(福崎王座の師匠)がよく「なぜ穴熊をやらないんだ」っておっしゃってましたよ。最近でも「穴熊をやらないのは宝の持ち腐れ」とおっしゃってる。僕もそう思います。

福崎 穴熊はまたやろうと思ってますよ。やっぱり、注目されるほうをやったほうがね……。

―注目されるというのは素晴らしいことですよ。

福崎 でも、ちょっとイヤなことがあると、僕はやらない。気持ちの問題でやってますからね。

―いままで穴熊をやらなかったのは、周りの空気に反発して、ということはないですか。

福崎 みんなが「なぜだろう」と思うほど、本人は考えてないです。自分をごまかしてるつもりはないですよ。

―王座戦でいうと、挑戦者になるまで矢倉で勝ってきてますね。

福崎 でしょう?本当に穴熊をやるつもりなら、準決勝あたりから使ってもいいわけですからね。

― だから余計に、第1局の穴熊に意表を衝かれた、ということはある。

福崎 要するに、そういうことにこだわってなかったってことですよ。勝率が3、4割ぐらいのとき、周到に計画してさ(笑)、屋敷さんに始まって、青野先生、中原名人、米長先生と矢倉で勝って、タイトル戦になったら穴熊にしようなんて、そんなことできるわけない(笑)。

―言われてみたらそうですね。でも竜王戦の本戦トーナメントの対森下戦では、穴熊をやりましたよね。結果的には負けましたけど、あのとき多少は……。

福崎 王座戦の挑戦者に決まって間もないときでしたからね。あれは王座戦の練習(笑)。

―僕は竜王戦用に穴熊をやったのかと思いましたよ。

福崎 そのときは王座戦のことしか考えてなかった。僕は一つのことしか考えられへんから(笑)。3つも4つもタイトルを取ってたら別でしょうけど。

(中略)

―昔、福崎さんが十段戦の挑戦者になったとき、「僕は自分の好きな手を指す。たとえ棋理に合った手が他にあったとしても、嫌な手は指したくない」と話してくれたことがありました。第1局の5六歩の話を聞いたとき、僕はあのときの言葉を思い出しましたよ。全然変わってないなァと。

福崎 いま、将棋界は「悪い手をやったらアカン」みたいな感じでしょう。将棋の神様から見たら、初手から悪手やってる可能性だってあるわけですよ。よく「ここまで最善を尽くして」とか書いてるけど、その人の知能にとっては最善かもしれないが、将棋の神様から見たら、そんなん悪手のオンパレードかもしれないんです。だから、そんな手やったらアカンという根拠がね、成り立たないですよ。だから僕は好きな手をやるというか……。

―最後に現在の心境と、これからの抱負を。

福崎 途方にくれてます(笑)。

―王座になったんだから、そのコメントはダメです。

福崎 矢倉と穴熊に磨きをかけたい。これでいいですか(笑)。

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王座就位式にて。近代将棋1992年2月号、撮影は炬口勝弘さん。

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福崎文吾王座(当時)に池崎和記さんが鋭く迫る。

振り飛車穴熊と矢倉についての、非常に明快に見えるけれども禅問答のような福崎王座の思い。

福崎王座から見ると、和食の店で出し始めたグラタンが大好評で、グラタン目当てでやってくるお客さんがとても多い、という感じになるのだろうか。

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谷川浩司竜王(当時)の「ぶつぶつ」が可笑しい。

関西の棋士同士ならではの感想戦。

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「よく『ここまで最善を尽くして』とか書いてるけど、その人の知能にとっては最善かもしれないが、将棋の神様から見たら、そんなん悪手のオンパレードかもしれないんです。だから、そんな手やったらアカンという根拠がね、成り立たないですよ。だから僕は好きな手をやるというか……」

現代においても、この言葉は有効だと思う。

人間と人間の戦いにおいて、コンピュータソフトが示す手が絶対とは言い切れない。