行方尚史五段(当時)「同じことを4年も繰り返してきたんだ、これで喜ぶほど僕も単純じゃない」

将棋世界1998年4月号、行方尚史五段(当時)の連載自戦記(竜王戦ランキング戦2組 丸山忠久七段-行方尚史五段)「そして今年も。」より。

”血の流れない戦い”、”武器のない戦い” 対局前夜、僕は好きな小説のチェスに関する記述を読み返して、床に就いた。僕の将棋はそんな格好いいこと言えるレベルに達していないんだけど。目を閉じると、”竜王戦ドリーム”がよみがえる。あの時は、若さゆえの闇雲な勢いがあった。だけど、勢いだけでやっていける時はもう過ぎた。いつか、ああなろうと思ったものからは、かけ離れてしまったけれど、まだ「過去の人」になるには早すぎる。

 

 久々の特別対局室での対局だった。C級の人間が特別対局室で指せるのは、一部の人を除いて年数回しかないので、正直言ってうれしい。早く「自分の名前」で特別対局室で指せるようになりたい。となりでは、中原先生が指していて、穏やかななかにも凛とした空気を感じる。

(以下略)

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将棋世界1998年8月号、行方尚史五段(当時)の連載自戦記(C2順位戦 行方尚史五段-近藤正和四段)「どこにいる?」より。

 ちゃんと聴いたことはないのだがマドンナの「ライク・ア・ヴァージン」という曲は、私はオトナの女になってしまったけど、いつまでも処女性は失わないということを歌っているのではないかと、勝手に僕は解釈しちゃっている。そういえばタランティーノの「レザボア・ドックス」でギャング達がこの曲に関して議論をしている場面があって最高に面白かったのだが、よく憶い出せない(年のせい?)。

 今期の順位戦は、C2に5年もいる羽目におちいった僕の、”まったく色々と余計なモノがそこにひっついてきてしまったけど、また新鮮な気持ちで始めよう。いつだってライク・ア・ヴァージンのように”。訳が分かりませんが、そんな感じの戦いなのです。

 新四段のころ、何故実力者の中田(宏)さん、先崎さんがC2から抜け出せないのか、怖いところだなと思ったりしたものだったが、気付いたら自分がそうなってしまっている(僕は実力者ではないが)。

 何年C2に停滞しようがしまいが、とにかく人生は続いていくのだから、A級、名人の道のりが年々遠ざかっていくとしても死ぬわけにはいかないだろうから、ニルヴァーナでも聴いて頑張ろうと思う。カート・コバーンは自殺しちまったけど、僕が今死んで何が残る?

 

 緒戦からいきなりの難敵、”ゴキゲン中飛車” 近藤四段。

 今この原稿を書いているうち、急に昔近藤さんの部屋に何度か泊まりに行ったことを思い出した。7年ぐらい前の話だが、当時記録料もつぎ込むほどパチスロにはまり込んでいた僕は、横浜にあった近藤さんの部屋に泊まりに行ったときも、夜はまだおいしいと思えなかったビールを飲みながら話し込み、翌朝は早起きして二人でパチンコ屋に突撃したりしたものだ。もっとも近藤さんは僕よりも全然大人だったから記録料をつぎこむようなバカな真似はしていなかった。

 お互い地方出身ということもあって気も合い、奨励会時代はよく遊んだものだが、僕が四段になってからはなんとなく疎遠になっていた。誰からも好かれる人柄とキャラクターだけに早く四段に上がることを皆が待っていたはず。ただそういう人が棋士になれずにこの世界を去っていくのを僕も何度か見届けているだけに、おととし近藤さんが四段に上がったときはなんだかホッとしたものである。

 とは言え、昨年の竜王戦で僕が近藤さんの引き立て役に回るとは予想も出来なかった痛恨事だった。

 あの夜僕はバーボンをあおり、時折襲ってくる感情の流れに身が引き裂かれそうになりながら、自分はあまりに多くを望みすぎた、これからはただの一将棋指しとして生きていこうと誓ったのだった。

 それ以来の対戦である。

(中略)

 勝ちが見えてからも、冷静であろうと努めた。同じことを4年も繰り返してきたんだ、これで喜ぶほど僕も単純じゃない。

 3時過ぎ雨の中部屋に帰った。体はくたくただけど頭が冴えて眠れないので、ヘッドホンで音楽を聴きながら今日の将棋を振り返る。ある種の至福の時間。きっと、僕はこんな感じでいいんだ―。

 闇から光へ、一日の終わり、そして一年の始まり。

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行方尚史五段(当時)の連載自戦記は将棋世界1998年4月号から開始されている。

「”血の流れない戦い”、”武器のない戦い” 対局前夜、僕は好きな小説のチェスに関する記述…」で始まる文章は、その第1回目の書き出し。

当時の行方五段の思いが率直に綴られている。

ちなみに、この小説はレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』で、探偵のフィリップ・マーロウが「武器のない争い。血が流れない戦い。人間の知能をこれほど巧みに浪費させるものはほかにない」とチェスについて述べている。

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8月号の「どこにいる?」でも、行方五段が当時の心情を語っている。

行方五段は、竜王戦初出場以来、毎年昇級を続け、前期は3級で優勝し挑戦者決定トーナメントに進出したが、トーナメント1回戦で6組優勝の近藤正和四段(当時)に敗れている。

この対近藤正和四段(当時)戦は1998年度の順位戦の第1局。

行方五段は、この期の順位戦を全勝し、C級1組への昇級を決めている。

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行方尚史八段が名人戦挑戦者となった。

行方八段を目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた団鬼六さんが、行方八段の師匠の大山康晴十五世名人と一緒に天国で大喜びをしていることだろう。

行方尚史八段祝賀さくら船(前編)

行方尚史八段祝賀さくら船(後編)

朝日杯将棋オープン戦