「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」と故・米長邦雄永世棋聖が言ったとされていることが多いが、Wikipediaの故・米長邦雄永世棋聖の項には次のように書かれている。
この発言は、元々は芹沢博文による(米長がこう言ったという)冗談であり、本人はこのような発言をしていないという。しかし、あながち間違っていないと思い、積極的に訂正しなかったともしている(読売新聞・「時代の証言者」による)。ちなみにこれには続きがあり、その兄によれば「馬鹿でなければあんな奴の兄は務まらない」。
この読売新聞「時代の証言者」は、米長邦雄永世棋聖が語り西條耕一記者が執筆したもので、2008年1月~2月に20回にわたり掲載されたという。
「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」については、私も「米長永世棋聖はそんなこと言っていない。いつからそのようになってしまったのだろう」と昔から思っていた。
なぜなら、以下の対談を中学生の時に読んでいたので。
故・芹沢博文九段の冗談も、この対談がもとになっているのだと思う。
将棋世界1972年1月号、連載対談「盤上盤外 棋士になってよかったナ」より。 ホストはテレビドクターの石垣純二さん、ゲストは米長邦雄八段(当時)。
石垣 お兄さんは3人とも将棋がお強いそうですが、どのくらいお指しですか。
米長 アマチュアの三、四段でしょうか。
石垣 そのお兄さん3人とも東大へフリーパスだったそうですが、人口2万の町でスラスラと兄弟そろって東大入学は一つの話題になったでしょうね。
米長 浪人したのもいましたが…(笑)
石垣 1年ぐらいの浪人は当然でしょう。あなたも小学校のときは抜群の成績だったそうですから、東大に入って大蔵事務官になれば棋士の収入が多いという側に回っていたかも知れませんよ(笑)。
米長 この間、兄弟そろったとき、どうも東大卒の3人の給料より私のほうが年収はちょっと多かったので兄たちはクサっていました。
石垣 ヘエー3人分足して―。ひどいことになっているもんだなー。(笑)
米長 もっとも、あと10年ぐらいたつとこんどは3人のどれよりも少ないなんということになるかも知れませんが……。
石垣 サラリーマンは一番ひどい目にあっているんですよね。
米長 しかし、サラリーマンのいいところはよほどのことがなければ収入が減ることがないが、棋士は一クラス降がると7掛けの減収になりますんですよ。
石垣 2つ降がると半分になるんですか。
米長 エェー。
(以下略)
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後年の個性溢れる米長永世棋聖とはまたイメージの違う、本当にさわやか流の米長邦雄八段(当時)。
「この間、兄弟そろったとき、どうも東大卒の3人の給料より私のほうが年収はちょっと多かったので兄たちはクサっていました」が冗談の原典ということになるのだろう。