将棋世界1990年4月号、C級1組順位戦レポート「羽生は勝負の鬼」より。
羽生が本気で戦うか。第8戦ですでに昇級を決めたのだから、残る2戦は羽生にとって消化試合のようなもの。あえて全力を尽くして戦うことはないのではないかという見方もできるだけに、羽生-泉戦は注目に値する一番であった。
本気かどうかは、その戦いの異様な進行ぶりから容易に推察できるところとなった。
泉が左美濃から急戦を狙ったのに対し、四間飛車の羽生は、徹底して泉の急戦を封じにかかり、ついにこの将棋を千日手に持ち込んでしまった。そして、30分の休憩の後に指し直しとなった2局目もまた千日手に。控え室の面々は「なんてやつだ」と驚嘆した。昇級の望みをつなごうと必死に戦いを求める泉をこうまで苦しめるとは。「やっぱり羽生はオニだ」ということで控え室の意見は一致した。
夜戦に入っても、羽生-泉戦の駒はぶつからない。
(中略)
2図は、羽生-泉戦の”第3局”。戦いが始まった時には、日付が変わっていた。
20日の午前10時に開始された対局は、翌21日午前1時半に至り、ようやくにして、決着を見るべく、終盤戦に突入した。
図は、羽生が△4七銀と打った場面。△4八銀成から△4九成銀が早い。2八の飛車が攻防によく効いている。羽生一手勝ちかと見られるところだが「何か泉君にもいい手がありそうな場面ですね」と控え室にいる誰かが言った。―固唾を呑んで局面を見守るうちに指された次の一手は▲3九角。予言通りの名手であった。対して△1八飛成なら▲2五桂、また△2九飛成なら、飛車の横効きが急所の筋からそれるので、▲5七角や▲1五香で先手一手勝ちだ。しかし、いい手を指した方が必ずしも勝つと決まったものではないのが将棋の恐さ。羽生は名手▲3九角に対し△7八飛成▲同玉△3七角成の勝負手をヒネり出し泉をネジ伏せてしまった。「やっぱり羽生君は勝つんですね」苦闘の末、勝利をつかんだ森下の心はすでに最終戦へと向かっていた。
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将棋世界同じ号の「C級1組順位戦」より。
「いやーだるい、だるい」
朝、羽生に会うと、こんなことを言っている。消化試合が楽しくて……という感じだ。もしかして―と思ったが盤上は真剣でお互い全く駒がぶつからない。それどころか、この将棋は二度千日手になった。全く羽生の執念にはおそれいる。
敗れた泉は痛い星を落とした。泉、堀口が負けたことにより、二人目の椅子は、森下か土佐に絞られた。森下は自力だが、相手はあの羽生である。両者の過去の因縁はご存知の方も多かろう。羽生はやはり頑張るのであろうか―。
(以下略)
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将棋世界1990年5月号、「C級1組順位戦」より。
森下が負けた。内容も終始押されっ放しで、完敗といってもよいだろう。
勝った羽生はさすがである。こういう場面で、相手は友達じゃないか、負けてもいいや―と考えるのは、凡人(凡才)の感性であり、将棋界に、もし帝王学というものがあるならば、このような将棋をゆるめずに勝つことは、そのイロハのイなのである。
羽生は自他共に認める王道を歩む人間であり、いわば、自分の歩むべき道を再確認したに過ぎない。
これにより、ボタモチを拾ったのが土佐である。
(以下略)
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昨日の名人戦第5局は、羽生善治名人が行方尚史八段を破って、名人位防衛を決めた。
持将棋になるかと思われたが、入玉を確定させた羽生名人が手厚い行方陣に攻めかかり、寄せてしまった。
第4局、第5局と、今まで表面には現れてきていなかった羽生名人の鬼のような凄みが感じられた。
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1990年2月から3月にかけてのC級1組順位戦。
1月に昇級を決めていた羽生善治竜王(当時)は、昇級確定目前だった泉正樹六段(当時)をラス前で破り、最終戦で自力の森下卓六段(当時)を破る。
二人の昇級の目を続けて潰した形。
後年、このような勝ち方は「米長哲学」と呼ばれるようになったが、この羽生竜王の勝ち方はそのような「哲学」などではなく、持って生まれた自然な姿なのだと思う。
「将棋の鬼」と呼びたくなるというものだ。
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1990年3月、羽生-森下戦→血涙の一局