将棋世界1984年2月号、信濃桂さんの「東京だより」より。
勝浦八段、田中(寅)七段とともに、王位戦のリーグ入りを賭けた将棋に敗れ、その残念会の席上でのこと。といっても大仰なものではない。一仕事を終えたあとの、いつもの”ちょっと一杯”だ。
場所は将棋会館近くのオデン屋さん。感想戦に加わった青野八段、河口五段(この日は川口篤さんだったかな?)が同席してる。
初めは、今度新しく出る”週刊将棋”が売れるかどうか、どのくらいメリットがあるかなどと、まあ普通の話をしていたのだが、勝浦八段の一言で場が一変した。
「寅ちゃん、君が居飛車穴熊をやるのは非常に残念だね」
「そうですか。でも僕は、人から居飛車穴熊をやるなといわれると、逆にやりたくなるんです」
いかにもツッパリの寅ちゃんらしい応答で、勝浦八段の顔が少々赤くなった。
「いや、でもねえ、君に才能があることを知っているし、君が時代の寵児だと思うから、そういうんだよ」
と勝浦八段。続けて、
「王様をガッチリ囲って、あとはチョコチョコと戦う居飛車穴熊なんて、ひきょうな戦法だよ。君の力をもってすれば、穴熊なんかにしなくても十分勝てるじゃないか」
「居飛車穴熊はひきょうな戦法かもしれません。でも振り飛車だってひきょうな戦法でしょう。初めから角道を止めて、飛車をコソコソ横に使って―。ひきょうな戦法にはひきょうな戦法をぶつけるんです」
と田中七段も負けてはいない。
青野八段、河口五段それに私は、ハイサワーとかいう焼酎の炭酸割りをチビチビやりながら、しばらく静観だ。河口五段などは、もっとやれ、というような顔でニヤニヤしている。
居飛車穴熊の是非云々は特に珍しい話題じゃないけれど、プロ同士、しかも七、八段という高段棋士が口角泡をとばしてこういう類いの話をする光景は、あまりお目にかかれない。
勝ち負けの話、あそこでああやれば、という技術的な話は比較的オープンだ。
けれども”芸”の部分となると事情がいささか違う。牽制しあったり、他人は他人という気持ちもあったり、そもそも照れくさいということもないわけじゃない。
だから勝浦八段と田中七段の率直な言い合いは、何だかえらく新鮮だった。
勝浦八段といえば、クールな棋士の代表だ。眼鏡の奥の目が鋭いし、服装も常に緩みがない。
そんな勝浦八段の口から出た話だから、なおさら興味深かったわけだ。
勝浦八段はさらに続ける。
「僕は、最近振り飛車も指さないし、振り飛車に対しても5七銀左で行くことにしている。寅ちゃんにも、正面から戦う将棋を指してほしいな」
「いえ、そういわれれば、ますます居飛車穴熊を指さないわけにはいきません」
田中七段も相当に頑固だ。カチンときた勝浦八段、
「よしわかった。居飛車穴熊でも何でもやりなさい。好きにしなさい。ここにいるみんな、今度寅ちゃんと順位戦をやるからね、ぜひ見にきてくださいよ。寅ちゃんが穴熊をやろうがやるまいが、どうでもいいけど、僕は正々堂々と正面から戦うからね」
クールな勝負師、勝浦八段も意外にロマン派だったんだと、ちょっぴり感動。普通、こんなこといわないものだ。
「うん、実にいい光景だ。この一部始終を短編小説にしたいね」
と少々悪乗り気味なのは河口五段。
「河口さん、大体あなた、おかしいよ。昇降級1組のあなたの予想で、僕の名が出てこないじゃない」
これはトバッチリというものか。鉾先は青野八段にもまわってきた。
「青野君、A級順位戦は一体どうしたの」
「一からやり直しです」
「あなたは強い。強いけど弱い。スターがこれじゃ、困るよ」
そろそろ午前2時半。勝浦八段はまだ言い足りないらしく、青野八段、田中七段をタクシーに押し込んで、
「もう一戦やろうじゃないか」
それでも3人の後ろ姿は和気アイアイだから、将棋指しとはつくづく面白い人種だと思う。
後日、中原十段にこの話をすると、いつもの笑顔で「フッフッフ」。
森八段は「そうねえ。居飛車穴熊は確かに戦法を停滞させてしまう悪い戦法かもしれないけど、ロマンだけじゃ勝てないしねえ」
ともあれ、久々の”ちょっといい話”だった。
——–
青野照市八段(当時)は、この時、A級順位戦で0勝5敗だったが、残りを3勝1敗で残留を決めている。
この後に行われたB級1組順位戦の勝浦-田中戦は、田中寅彦七段(当時)の勝ち。
その後、田中寅彦七段(当時)はラス前でA級へ昇級を、勝浦修八段(当時)は最終戦でA級へ復帰を決めている。
結果も含めて、非常に格好いい展開だ。