佐藤康光八段(当時)の部屋で島朗八段(当時)が見たテレビドラマ

将棋世界1998年2月号、島朗八段(当時)の巻頭エッセイ「確率の問題」より。

 この号は2月号。ということは本当の2月になった時、私は35歳を迎えるので結構こう書きながら驚いている。奨励会や若手の頃は35歳といえば随分先輩というかおじさんだなあときっと自分は感じていたはずだから、遂に私もおじさんの域に到達だ。全く感慨無量という他ない。

 35という数字で印象深いのは柴門ふみさんの「AGE35」である。ポール・サイモンが大好きでペンネームをこうつけたといわれる柴門さんの劇画と作風は、私の前後5年くらいの世代に最も共感を得たのではないかと思う。ラブ・ストーリー、そしてどちらかと言えば修羅場を描かれるのが得意なので”AGE35”もその例外ではなく不倫が主舞台となっている。しかしそうした状況を、いつもおしゃれに描き切ってしまうのが、柴門さんの人気の秘密なのであろう。

 私は原作を読んでたが、それがTV化されていることを知ってから、よくビデオでチェックはしていた。視聴率の高いドラマというのは大抵総集編を放送する傾向にあるらしいが、ちょうど1~2年くらい前の冬の夕刻、大人数でモテ光君(先崎流)の部屋で将棋を指したあと小バクチをやっていた時に、この総集編が放送されていたのだから厳しかった。椎名桔平が花束を持ちながら片手でそれを振るシーンがヒロインの走り去る車のバックミラーに映る。何てかっこいいんだと思いながら茫然と見とれていると、小バクチといえど当然ながら大敗を喫して、また違った意味で茫然としながら家に帰ったのが思い出されるのであった。

 

 ごく最近、やはり純愛(?)不倫ものの小説でベストセラーになっている「幻の生活」(ダニエル・サルナーヴ・河出書房新社)を読んだが、これが主人公二人(妻子ある中年男性と図書館に勤務している女性)の日常の心の動きを細やかにふれてあって、そう事件を起こさないだけで見事な内容になるのだから、すごい文体の力だと推薦文の通りに思った。一冊の本としては本当に面白い。読んでいる途中、何度も感じたのが、二人は疲れる生活を送っているなということ。人生にはときめきも必要だが、それと同じくらいにやすらぎも重要であって、きっと人生観の違いでその度合が分かれていくのだと思う。また何かのきっかけで、その尺度が変わっていくことも多いだろう。あくまで個人的意見だが、どんな状況においてもそれらを満喫できた人は、豊かな人生を送れると考えている。

 さて”幻の生活”のように嘘を重ねる生活に入ってしまうと、棋士の場合、本当にゆっくり将棋の研究に打ち込めるのだろうか。どう考えても矢倉の仕掛けが▲1七香型と▲1八香型でどのくらいこの後の展開が違ってくるかと何時間も悶絶することと、女の子と会うためにどういう言い訳をひねり出すか苦心することは、同じ人生の上に起こっているとは思えないくらいかけ離れ過ぎているというしかない。まして将棋の研究は一度の数時間の集中で得られるものはきわめて少ないように思えるから、こんな問題に限らず現実の誘惑は常に大きいのである。

 結局のところ、ものごとは確率の問題であるのではないかと思う。将棋の研究も、一回の集中ではそれほど効果は期待できないが、長期的なトレーニングの中の一回であれば、その意味は決して小さくない。パーフェクトを目指すためにやるのではなく、自分を少し向上させるために、研究するのである。実戦で忘れることだっていくらでも生じるが、研究が役に立つ確率のほうが普通は高いはずであろう。デート一つ考えてみても、やはり現実に相手と会うことは形勢の好転する確率を増やすことになるから、人は特に序盤の構想段階において、その約束を取りつけるのに苦心するのかもしれない。

 もっとも、確率だけで説明できないことが時々あるから人生は面白いともいえる。植山さんの麻雀が腕のわりにチップが乗らないのも、モテ光君が6分の1の確率で7が出るのに20回2個のサイコロを振っても7が出ないのを目のあたりにすると、私たちはまたそれを無心に喜ぶのである。

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フジテレビ系ドラマ「Age,35 恋しくて」で、椎名桔平さん演じる成瀬シンが花束を持ちながら片手でそれを大きく振るシーンは私も鮮烈に覚えている。

「Age,35 恋しくて」については、昨年の記事でストーリーを詳しく紹介している。

「はぶ先生、あく手してください。」

成瀬シンが花束を持ちながら片手でそれを大きく振るシーンは、

合唱コンクールが終わったその足で、ヨーロッパに移住するシンと一緒に旅立とうとしていた朱美だったが、子供たちを見て、泣く泣く諦める。

の直後のこと。

私は主人公の中井貴一さんの側に立ってずっとこのドラマを見ていたので、(なんだよ、格好いいことやってくれるじゃないか)と少し苦々しく思いながら見たシーンだが、島朗八段(当時)は椎名桔平さん側に立ってこのドラマを見ていたのだろう。

いずれにしても、このシーンを見ながら他のことをやったら、あまりいい結果は生まれそうにない。

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「どう考えても矢倉の仕掛けが▲1七香型と▲1八香型でどのくらいこの後の展開が違ってくるかと何時間も悶絶することと、女の子と会うためにどういう言い訳をひねり出すか苦心することは、同じ人生の上に起こっているとは思えないくらいかけ離れ過ぎているというしかない」

は、20世紀の名言の一つと言っていいだろう。

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佐藤康光九段が将棋以外の勝負事に弱いのは有名な話だが、植山悦行七段の話。

3人麻雀では、振り込んでもらえれば4人麻雀の時と同じ点数を得ることができるが、自摸ってあがった場合、4人麻雀なら3人から点数をもらえるところ2人からしかもらうことができない。

この部分を調整したのがチップで、リーチをかけてあがると、インフレ的にチップを獲得できる場合がある。故・芹沢博文九段が考え出した連盟ルールであると言われている。

麻雀の腕は抜群でも、そのチップが乗らないというのは辛い。

植山悦行七段も佐藤康光九段のような博打運を持っているのだろうか。

元近代将棋編集長の中野隆義さんから、以前、次のようなコメントをいただいている。

2015年4月27日 14:13 に投稿
ツイてるツイてないで思い出しました。
新宿の大ガードを西口の方から抜けて歌舞伎町に入る当たりに信号機がありまして、その信号待ちを塚田泰明は一度もしたことがない! という表伝説がありました。それを聞いた私めは、そう言えば俺もあの信号で待たされたことないよなーと気づきまして、それからというもの通るたびにカウントしましたら五回目くらいに簡単に敗れ去り、やはり泰明流はすごいと思ったものです。
これには、裏伝説もありまして、同じ信号を渡ろうとして、かつて一度として歩行者青の状態になっていたことがない! という記録を植さんこと植山悦行は持っていました。まあ、普通に考えればツイてないやつということになるんでしょうが、実際にやろうとしてもなかなかできることではないので、ツイていないのかツイているのかの判定は実はヒジョーに難しいのではないかと愚考しております。

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