将棋世界1988年8月号、羽生善治五段(当時)の第7回早指し新鋭戦決勝〔対 森内俊之四段〕自戦記「幻影に怯える」より。
連盟に行くと将棋世界のKさんに呼び止められた。
早指し新鋭戦の決勝の原稿の依頼だった。
その話を聞いていると誰かが「原稿を引き受けると優勝できないよ」
と言った。
しかし、それが断る理由になるとも思えないし、断ると悪いと思ったので引き受けることにしました。
棋士でも縁起をかつぐ人は結構いると思いますけど、僕はそれ程でもないので少ししか気になりません。
さて、この対局が決まってから、僕は対戦相手の森内四段の棋譜を並べ、毎日毎日研究していたかというとじつはそうではなく、全く何もしなかったのです。
この早指し新鋭戦は41手目から30秒将棋という事で、直感力が勝負という怠ける理由がすぐに見つかったからです。
それに、この決勝まで来るまでの将棋もひどい内容ばかりだったので、今更、悪あがきをしても仕方がないと思ったという意味もあります。
さて、決勝戦の対戦相手森内俊之四段の事についてですが、確か最初に会ったのは小学生の4年生位の頃だったと思いますが、デパートの将棋まつりの大会で対戦しました。
その時は中飛車か何かに負かされた記憶があります。
あの時からもう6、7年たっているのですから、全く時の流れの早さにはいつもながら驚かされてしまいます。
森内四段とは奨励会同期ですし、その他色々な意味で刺激になる存在と言えるかもしれません。
森内四段は体格もガッチリしていますし、運動神経の方も僕とは違ってかなり良いようです。
また、中日の宇野に似ているという説もありますが、これは森内四段に少し失礼ではないかという気がしないでもありません。
森内四段の将棋についてですが、純粋な居飛車党で攻め気が強く、粘り強いといった所でしょうか。
また、秒読みを苦にしていない所からどんな持ち時間でも、いつも相応の力が発揮出来ると思います。
ですから、森内四段の棋譜にはあまり大差負けというのはないと思います。
公式戦ではこれが2局目となります。
それでは惨敗の将棋を見てもらいたいと思います。
(中略)
角換り
この対局は午後1時開始ということでゆっくり朝寝坊して家を出て来ました。そして、土曜日の午前中とあってか、バス、電車も比較的すいていたので、割合ゆったりとスタジオに入ることが出来ました。
これが普段ですと道路が渋滞して動かず、イライラはつもる一方という事が時々あるのですが……。
さて、将棋の方ですが、角換わりは少し意外でした。
当然矢倉になるものだと思っていたからです。
しかし、この戦型、森内四段は島六段との対局で経験済みなので、或いは研究して来たかもしれません。
(中略)
棒銀
最近では角換わり棒銀というのはかなり珍しくなりました。
主流は腰掛銀でこれはよく見かけます。
棒銀というのは破壊力はあるのですがどうしても一本調子になり易くなってしまうのです。
2図の局面は定跡か何かの本で一度は見た事がある局面だと思います。
すぐに▲2四歩と行っても△同歩▲同銀△2七歩(A図)でしびれてしまいます。
棒銀戦法は銀が捌けるかどうかが勝負で銀が取り残されると大体不利になります。
2図以下の指し手
▲3八角△4四歩▲2四歩△同歩▲同銀△同銀▲同飛△3三金▲2五飛(3図)工夫その1
▲3八角はなかなか洒落た手です。
次に▲2四歩△同歩▲同銀△2七歩▲同角△2四銀▲5四角△同歩▲2四飛という狙いです。
これに対する△4四歩~△3三金というのも洒落た受け方で、初めて見た人は驚かれると思います。
平凡に2筋に歩を受けるのはつまらないので、逆に2筋から攻め込んで行こうとしているのです。
▲2五飛としたのは森内四段の工夫だと思われます。
島-森内戦では、この局面で▲2八飛として、△2七歩▲同飛△同角成▲同角△2二飛▲2八歩△5二玉という展開になりました。
森内四段はこの展開を嫌ったのかもしれません。
3図以下の指し手
△2四銀▲2八飛△2二飛▲6六銀(4図)工夫その2
△2四銀~△2二飛は狙いの2筋逆襲です。
定跡の本ではこれで後手良しになっているので、対局中は一体何をやって来るのだろうかと思いました。
そして指されたのが▲6六銀。
指された瞬間なる程と思いました。
好位置にいる5四角をいじめようとしているのです。
5四角はどこか他の場所に動くとあまり働かなくなってしまうのです。
こう指されて急に自信がなくなってしまいました。しかし、実際にはいい勝負だと思います。
4図以下の指し手
△2五銀▲5五銀△4三角▲4六歩△5四歩(5図)敗着
▲4六歩まではほぼ必然の手順だと思います。この局面で本譜か△2六銀か迷いました。
正解は△2六銀で以下▲2七歩△3五銀▲7五歩△7二金▲7四歩△6四銀▲同銀△同歩(C図)といった展開が予想されます。
実戦の時は▲2七歩で▲5六角を心配したのですが、それは△2七銀成▲4八飛△2八歩と攻め合ってこちらが十分でした。
本譜は敗着の一手でした。
指した瞬間に見落としに気づきましたが時すでに遅し。
危ない手だとは解っていたのですが何れも大丈夫と思っていたのです。
この局面で封じ手となり、結構時間があったので色々考えてみたのですが、どうにもならないという事が解りがっかりしました。
5図以下の指し手
▲5三銀△6二金▲4四銀出△同金▲同銀成△5二角▲5三金△2六歩▲6五角△2七歩成▲同飛△2六銀▲5二金△同玉▲2八飛△2七銀成(6図)投了?
▲5三銀が次の一手の様な好手でどうにもならなくなってしまいました。
▲4四銀や▲6五角の方ばかり気にしてこの一手をまったくうっかりしていました。
この局面で投了しようかと思ったのですが、時間があまり過ぎてスタッフの方に悪いと思い、仕方なく?指していました。
そして迎えた6図。
先手必勝といえる局面です。
ここで決め手があるのですが、森内四段にしては珍しくそれを逃してしまいます。
森内四段になったつもりで、考えてみて下さい。
6図以下の指し手
▲4八飛△6一玉▲7五歩△7二玉▲7四歩△6四銀▲3一角△2六飛▲5四角△5五銀打▲4三角成△3八成銀▲同飛△2九飛成▲4八飛△6五桂▲6八玉(7図)落ち着いた一手
決め手というのは▲2七同飛で△同飛成▲5四角△2三竜▲2四歩(D図)となりはっきりしていました。
本譜の順は少しは楽しみが出て来ましたが、冷静に見れば2-8が3-7になった程度の事で大勢には影響ないと思います。
それでも△2九飛成とした所ではどうやるのかと思いましたが、▲4八飛が落ち着いた一手でそうにも足りないと思いました。
こちら側は駒損と歩切れが痛い所なのです。
7図以下の指し手
△1九竜▲5三銀△5一金▲6二銀不成△同金▲5三金△5一銀▲5四成銀△5二香▲6二金△同玉▲5三金△同香▲同角成△同銀▲同馬△6一玉▲6三成銀△9五角▲7九玉まで、93手で森内四段の勝ち(投了図)7図の局面で△5六銀が最後の勝負手でした。
これでも駄目ですが、もしかすると一波乱あったかもしれません。
これで森内四段が第7回の優勝者となりました。
僕としては残念ですが、終わってしまった事は仕方がありません。
この悔しさを明日への糧としてこれからも頑張って行きたいと思います。
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テレビ東京のスタジオが東京タワーの隣にあった時代の早指し新鋭戦。放送は日曜朝の5:15~6:00だった。
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中日の宇野選手とは、中日の強打者だった宇野勝選手。
宇野選手は「珍プレー・好プレー集」の常連でもあり、『プロ野球ニュース』での みのもんたさんのナレーションとともに宇野選手の珍プレーが今でも頭の中に蘇ってくる。
森内俊之九段は若い頃、清原和博選手に似ていると言われていたこともあり、野球選手っぽいオーラを持っていたとも考えられる。
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早指し新鋭戦の決勝の自戦記は、前年の1987年は森下卓五段(当時)の「敗戦の記」、1986年は小野修一五段(当時)の「もぐらだって空を飛びたい」。
森下五段は準優勝だったが、小野五段は優勝している。
ということは、「原稿を引き受けると優勝できないよ」は、早指し新鋭戦限定というわけではなく、全般的なこの当時の傾向だったのかもしれない。
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この翌年の早指し新鋭戦の決勝も羽生-森内戦となり、将棋世界では自戦記ではなく先崎学四段(当時)の観戦記となっている。
(結果は森内四段が勝って2連覇)
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羽生善治名人と森内俊之九段が出会った頃→「森内君を連れて来てもいいですか?」