木村一基五段(当時)「俺ももうオッサンだなーと自覚する」

将棋世界2001年9月号、木村一基五段(当時)の自戦記(第27期棋王戦、対鈴木大介六段)「新たな目標」より。

 暑い日が続き、もう夏バテ。何もする気がしない。ああ、夏は嫌だナー。

 年々少しずつ感じる体力の衰え、ビールの飲み過ぎでたるんだ腹、行方君に「ワカメを食え」と言われたこと。俺ももうオッサンだなーと自覚する。

 自戦記を書くのは久しぶり。その時は某新聞記者のM本さんに「君は(文章は下手だから)将棋だけを頑張れ」と言われてしまった。

 今回は棋王戦の予選決勝、対鈴木大介六段戦。よろしくお付き合いのほどを。

(中略)

 鈴木六段(ダイチ君と呼んでいる)は昔から、いつも明るく楽しい男である。

 まあよくしゃべる。その点では私も同じなのだが、その量たるや…彼には全くかなわない。

 彼は振り飛車一本槍だが、振り飛車党の中でも特徴がある。居飛車穴熊に代表されるような持久戦を全く苦にせず、中盤以降のねじりあいに独特の力を発揮する。

 格下の私がこんなことを書くのは大変失礼だが、ここ数年でかなり実力を伸ばした棋士の一人だと思う。

 私は大抵、対局前日に対戦相手の棋譜を調べて、対策を立てておく。彼には何が有効だろう?

 いろいろ考えたが、急戦に決めた。

(中略)

1図以下の指し手
△7四歩▲9六歩△8五歩▲7七角△5三銀左▲9七香△4二金上▲5六歩△6四歩▲7八金△7二飛▲5八銀△7五歩▲同歩△同飛▲6七金△7二飛▲7八飛△6三銀▲4六歩△7四銀(2図)

 鈴木六段の▲9六歩、▲9七香は、居飛車側の出方をうかがった手。私の△4二金上もそういった意味合いで、ここに微妙な駆け引きがある。大雑把なようだが意外と神経を使うところである。

 ▲5八銀から▲6七金。局後の感想戦で鈴木六段は「指してみたかった」と言っていた。善悪は今でもよく判らない。

 △7四銀と前線に銀を繰り出す。振り飛車側の金銀の繰り替えをどう咎めるか、これが本局における、私のテーマとなった。

2図以下の指し手
▲6五歩△7七角成▲同飛△7五歩▲6四歩△同銀▲4五歩(3図)

 本局のこの局面。振り飛車側の金銀を除けば、よく見る形である。

 最近は振り飛車に限らず、矢倉、角換わり、横歩取りなど、あらゆる戦法において、似ているとか、ある程度まで同じ、といった局面をよく見る。そして、そのことがコピー将棋だの没個性だのと批判されることも多いようだ。

 最近の若手(私はオッサンである)の人たちは、以前に比べ、より変化を突っ込んで研究する。そして、そこで出される「やや有利」といった結論は、微差でありながら、逆転が不可能な、決定的な差である。

 棋士である以上、将棋に勝ちたいのはあたりまえ。時には、相手のミスを心から願うことさえある。対局の時に限らずいつも将棋の研究をするということは、それだけ「勝ちたい」という気持ちのあらわれだ。

 今後どのように言われようとも、いつまでも新しく指される最新形の研究についていきたい。そして、少しでも多く勝ちたい、その気持ちを持ち続けたいと思う。負けては何も残らない。

 ▲6五歩はいいタイミングの仕掛け。角交換した後△7五歩は仕方ないところ。ここで△6五歩は▲7三歩△同飛▲8二角で振り飛車良しとなる。

 ▲4五歩は4六から角を打つ狙い。まだまだ互角である。

3図以下の指し手
△5三金直▲4四歩△8二飛▲7二歩△同飛▲5七金(4図)

 3図で私は△9八角と打つ予定で、この手に期待していた。桂取りが受けづらく、これなら金銀の形を咎めている。私は角をつまんだ。

 ところが、それは▲6一角△6二飛▲5二角成△同金に▲8八金と打たれ、悪くなってしまうことに気づいた。

 明らかな読み抜けをした……。私は焦りを感じた。とはいっても替わる手が難しい。△8二飛は▲7一角から馬を作られてしまう。

 困ったな。そう悩んでいた時、ふと△5三金直という手が浮かんだ。そしてすぐ、「俺の感覚は異常だ」と思った。

 一手費やして自陣を崩す、全くプラスになっていない手である。しかしこれが前述の2通りの角打ちを防いでいる。

 急戦にすると、振り飛車の美濃囲いに比べ囲いが弱いため、不本意な辛抱をさせられることが結構多い。

 苦心の一手であった。

 しかし続く▲4四歩がまた好手。△同歩は▲6一角があり、良くない。△8二飛もやむを得ない。苦労したわりに良くならない。

 ▲7二歩も取るよりない。しかし▲5七金がまたまた好手。ここでは指しにくさを感じた。

(中略)

5図以下の指し手
▲1三歩成△8八飛成▲6七飛△1三香▲同香成△6六歩▲同飛△6五歩▲6七飛△7六歩(6図)

 この辺で夕方に差し掛かった。鈴木六段はテンポよく指す。ここまで比較的早い進行だ。

 私はここでも少し悪い、と悲観していた。

 ところが感想戦では、鈴木六段も、

「悪いと思っていた」

 嘘か本当か?局後、お互いに相手の感想を「そんなことないでしょ」と否定しあった。

 もっとも私は感想戦が嫌いだ。だから適当で、半分は嘘だ。疲れた頭で考えてもあまりいい結論が出るわけないし、負けた時は特に後悔するだけだからである。

 ともかくも難しい形勢なのだ。苦しいのは自分だけでなかった。

 5図の△8六飛に対して、私は▲8七歩を予想していた。以下△8五飛(△7六歩の両取り一点狙い)と引くが、そこで▲6七飛が味のいい手。次の▲6四飛から▲4五歩が厳しい。これでまだ大変だな、と思っていた。

 ところが鈴木六段は▲1三歩成。結果的にこの将棋の敗着となってしまった。

 しめた!指された瞬間、私はそう思った。△1三香と端を一回清算して△1六桂の含みを作り、歩を連打して飛車道を止め、じっと△7六歩。急に手ごたえを感じた。

6図以下の指し手
▲7八歩△同竜▲6九銀△8八竜▲5八金引△7九と▲8九歩△同竜▲1二成香△3四歩▲3六馬△6九と▲2六香△1六桂▲1七玉△1五歩(投了図)  
 まで、94手で木村勝ち

 △7六歩と突かれた局面、このゆっくりとしたと金攻めを受ける手段がない。やはり飛車を成らせたのは良くなかったようだ。急に差がついてしまった。

 最終手△1五歩は、次に△2八角▲1八玉△6八とを狙っている。これは△1七銀▲同桂△1九角成▲同玉△4九竜▲同銀△2八金の詰めろ。

 これに対する適当な受けがなく、鈴木六段投了となった。

  私としては中盤苦しんだものの、これといった悪手もなく、満足できる内容の一局であった。

 棋士になってから4年が経った。成績は思ったよりもいい。

 何より奨励会時代、迫り来る年齢制限を意識していた頃と比べれば夢のようである。

 しかしその反面、目標がはっきりしなくなったから、将棋に対して純粋に打ち込むことがなくなった。棋士は幸いにして、一回負けても別の棋戦がある。

 自分にとって、一敗することによって失うものが明らかに変わってしまった。

 お金は稼げるようになった。でも、信念がなくなって、棋士として人間として弱くなった。

 このままでは俺は腐る。だから、新しい、達成することの難しい目標を持つことにした。

「タイトル戦に出る」

 俺は将棋を頑張る。

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この時、木村一基五段(当時)は28歳。

序盤が笑える路線で、中終盤がシリアスな路線の自戦記。

木村一基五段は、この年の竜王戦決勝トーナメントを勝ち進み、挑戦者決定三番勝負で羽生善治四冠(当時)に敗れている。

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「某新聞記者のM本さん」が誰かは、以下の記事をご覧いただくと正解が載っている。

藤井猛竜王(当時)「誕生日は2日違い、結婚式は3日違い。しかし将棋では大先輩」

将棋サイボーグ

藤井猛竜王(当時)の矢倉のように重たい振り飛車

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「ワカメを食え」。

欧米では海藻をほとんど食べないというが、Wikipediaによると、スコットランドやアイルランド、チリ沿岸部には海藻料理があるとのこと。

スコットランドと言えばジェームズ・ボンドの生地ではないか、とすぐに頭の中に浮かんでくるほど、まだ私の頭の中は007だらけであるが、まあそういうことだ。

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海藻というと思い出すのが。楳図かずおさんの漫画『半魚人』。

半魚人になりつつある少年が海藻を咥えているトラウマになりそうなシーンがあったのだが、今回調べてみると、海藻を咥えていたのではなく、海藻が頭の上に乗っかっていたということが判明した。なおかつ青年。

それにしても怖い。

半魚人になりつつある青年(金沢美術工芸大学:ウメズ・ダイアローグ)