将棋世界2004年11月号、山岸浩史さんの「盤上のトリビア 第7回 『名古屋』『岐阜』という名前の戦法がある」より。
燃えた「奇襲オタク魂」
いま私は、東京・永田町の国立国会図書館にいる。最近、ここに通ってはある棋書を閲覧し、せっせと書き写しているのだ。まるで写経である。キーボードに慣れきった右手が痛い。それでも頑張っているのは、『将棋世界』の読者にこの棋書のスゴい中身を伝えたい一心から、というのは半分ウソ。私の体内に宿る奇襲オタク魂がいやでもそうさせるのだ。
その棋書とは日本経済新聞社から昭和29年より34年にかけて刊行された『将棋新戦法』全3巻。著者は加藤治郎八段(当時)。もちろんいまは絶版だ。
半生記も前の棋書になぜ私は取り憑かれたのか。話はひと月前にさかのぼる。
勤務先の企画で升田幸三について調べていた私は、升田の唯一の弟子であり、升田将棋を体系的に研究している唯一の棋士である桐谷広人六段を自宅に訪ねた。
そこは紙でできたジャングルだった。天井から床までまったく隙間なく、棋戦や戦形ごとに分類されたスクラップブックや見たこともない古棋書が二重三重に並んでいる。それに見とれていると足元の昭和初期の将棋雑誌を踏んづけてしまったりするから油断できない。この部屋の主はどう見てもこれらの資料であり、かろうじて残った空間に座っている中年男性はその番人にしか見えない。
これが、過去のあらゆる将棋を記憶しているといわれ「コンピュータ桐谷」の異名をとる男のデータベースなのだ。
たとえば升田幸三が升田新手をみずから解説した、4巻セットのビデオが出てくる(なんと売れ行き不振で絶版になったそうだ)。観ると聞き手役の朝日新聞観戦記者、田村竜騎兵氏が
「升田式石田流は最初は石田式升田流だったんです。私が観戦記にそう書いたのですが、いつの間にか逆さまになった」
なんてトリビアを披露している。
続いて桐谷六段が掘り出したのは、茶色の変色した3冊セットの棋書だった。
「将棋好きの父が持っていた本で、私が初めて読んだ定跡書です。升田ファンになったのはこれを読んでからなんです」
表紙を開くだけで崩壊しそうな、その『将棋新戦法』全3巻のページを恐る恐るめくると、1冊につき60から70もの、当時出現した新手・新戦法が紹介されている。加藤治郎渾身の著作だろう。
もちろんすべてが純然たる新戦法というわけではなく、「ダンスの歩」などの造語がある著者独特のネーミングで戦法に仕立てているものもある。たとえば対中飛車の▲4六金戦法を大山康晴が用いると金は威嚇に使うだけで動かさない。そこでついた名が「大山流金看板戦法」。うまいもんだ。
升田の名を冠した戦法はやはり群を抜いて多い。その数を数えながら目次を追っていた私の目は、だが、升田と関係ないところで釘づけになったのである。
異様な見出しが二つあった。
「花村流名古屋戦法」
「清野流岐阜戦法」
名古屋?岐阜?なんだこりゃあ!いかな奇襲オタクの私も、そんな名前の戦法は聞いたことがない。反射的に、私は桐谷六段に懇願していた。
「この本、コピーさせてください!」
「研究」が大変だった時代
桐谷六段に断られてよかった。あれをバラバラにするような危険を冒さずとも、国会図書館で大概の本はコピーできる。
はたして私の目の前に、桐谷蔵書よりもはるかに状態がいい『将棋新戦法』が運ばれてきた。胸が高鳴る。走るようにコピー受付に持っていく。ところが―。
「これは状態が悪いので、ダメです」
ええっ。たしかによく見ると、表紙に「複写☓」のラベルが貼ってある。
がっくりしながら、ともかく桐谷六段宅ではゆっくり見られなかった「名古屋戦法」と「岐阜戦法」のページを開く。おおっ……。ひょえー。
迷いは消えた。書き写すまでのことだ。
この際、最初から全部、と思って始めてみると、意外に時間がかかる。2日目に出直したときはスピードアップのため筆ペンで縦書きノートに書く工夫をしたが、こうしていると『解体新書』を筆写する幕末の蘭学医になった気分だ。
ふと、桐谷六段の家にあった何段もの引き出し―それぞれに棋士名を書いたシールが貼られ、その棋士の棋譜がぎっしり詰め込まれている―を思い出す。
「対局前には連盟で何十枚も棋譜をコピーしたものです。コピーがない時代は手書きでした。やっぱり研究すると勝てるんです。でも、いまじゃこんなもの意味ありませんよ。パソコンさえあれば家でいくらでも見られるんですから」
驚いている私に、桐谷六段は照れ気味にそういって笑った。かつて将棋界において「研究」とは、まぎれもなく、限られた熱心な棋士だけができる行為だったのだ。「写経」の面倒さを体験して初めて、そのことが実感できた。と同時に、「コンピュータ桐谷」という異名がいまではどこか皮肉な響きを持ってしまっていることに気づく。桐谷六段は言った。
「私の現役生活は、規定でいけばあと2年半かもしれません。引退したら、ここにある資料は全部いらなくなる。でも、捨てるのはちょっとねえ。誰かもらってくれればいいんだけど……」
花村流名古屋戦法
ではお待ちかね(?)、コピーはまず手に入らない『将棋戦戦法』のなかでもきわめつきの、二大変態戦法をご紹介しよう。まずは「花村流名古屋戦法」から(< >内はこの本からの引用)。
この戦法がプロ棋戦で初めて出現したのは昭和30年の第4回NHK杯、(先)花村元司八段VS大野源一八段戦だった。
<大野の振り飛車は天下一品である。
大野「俺の振り飛車には大山でさえヒョロヒョロしているからな」(略)
だが最近この大野の振り飛車を一度ならず二度までも、新戦法を掲げて苦杯をなめさせた男がいる。これぞ余人にあらず、東海道の鬼といわれた早指しの天才花村八段その人である>
名古屋戦法はのっけから不穏だ。
▲7六歩△3四歩▲7八金△4四歩▲6八銀△3五歩▲5六歩△3二飛
いきなり▲7八金とされては誰でも飛車を振りたくなる。そこを狙い撃ちするこの戦法は居飛車党の秘密兵器になりやすいかもしれない。△3二飛以下は、
▲5七銀△4二銀▲6六歩△6二玉▲6五歩△7二玉▲6七金△3六歩▲同歩△同飛▲7五歩△3五飛▲5五歩△3六歩▲4八銀上△4五歩▲3八金△8二玉▲8六歩△7二銀▲6六銀△5二金左(1図)
<一見、飛車を7筋に転じる相振り飛車の気配を示す。ここが大事なところらしい。(略)だが、△3六歩の時はすでに大野の振り飛車は花村の新戦法の術中に陥ってしまっているのだから二度ビックリ>
1図以下の指し手
▲2六歩△5四歩▲2五歩△3三角▲7九角△3四飛▲3五歩△4四飛▲2七金△5五歩▲3六金△8四飛▲7六金△5六歩▲5五歩△4三銀▲8五歩△4四飛▲5八玉△4二角▲6七玉△3三桂▲1六歩△5三角▲9六歩(2図)<巨大な巣を張る毒グモのごとき戦法である。(略)彼の振り飛車がこんなにヒドイ目にあわされたのは、何百局指したか知らないが、本局が初めてだろう>
ちょっとうまくいきすぎている気もするが、これだけ意味不明な手を続けられると正しく対応するのは困難だろう。6筋の位を確実に取れるのも魅力的だ。
<花村「これは名古屋戦法と呼ばれ、セミプロ時代盛んに用いたが、プロとなってからは本局が最初である>
名古屋の真剣師、おそるべし。
清野流岐阜戦法
<対振り飛車戦法にもいろいろあるが、その中でもっとも風変わりなのは清野七段常用の玉飛接近戦法であろう。(略)清野七段が岐阜市に在住することから岐阜戦法の名がある>
岐阜戦法の実戦例は(先)清野静男七段VS高島一岐代八段戦(共同)。
▲2六歩△3四歩▲7六歩△4四歩▲2五歩△3三角▲3八銀△4二飛▲3六歩△3二銀▲3七桂△6二玉▲4六歩△7二玉▲2九飛△8二玉▲5八金右△5二金左(3図)
急戦調に見えるのはあくまで最初だけ。ここから岐阜戦法は超持久戦をめざす。
3図以下の指し手
▲4七金△7二銀▲4八玉△4三銀▲5八金△1四歩▲6六歩△1五歩▲6八銀△3二飛▲2七銀△5四歩▲5六歩△2二飛▲6五歩△2四歩▲同歩△同飛▲5七銀△2三飛▲6六銀△4二角▲9六歩△3三桂▲9五歩△5三角▲2六歩(4図)対振り飛車の右玉なら私も大好きだが、「岐阜戦法」は駒組みの順序が幻想的だ。
<日本一といわれる攻めの高島八段もいささかもてあまし気味。(略)これでわかるように、岐阜戦法は相手の攻撃を完封する戦法である。しかし、攻めを封じただけでは負けはないが勝ちもない。勝つためには相手を攻めなければならない>
それでも岐阜戦法はまだまだ攻めない。以下は▲3八玉~▲4八金左と固めて、5筋で一歩持つ。▲9九飛を含みに9筋から開戦したのは22手後のことだった。
衝撃度では名古屋、変態度では岐阜というところか。読者にも「戦法お国自慢」があればぜひご一報ください。
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こんなに振り飛車が酷い目に遭うなんて、石田流と三間飛車が大好きな私にとっては、精神衛生上非常によろしくない読み物だ。
このような恐ろしい戦法があったとは…
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名古屋戦法は、一手一手の狙いが見えないため、振り飛車側が気が付いた時には手遅れになってしまっている状態だ。
蕎麦屋に入って卵とじうどんを注文、のんびりと食べているうちに店内の異様な空気が気になり、顔を上げてみると周りの席がその筋の怖い人だらけ、のような展開。
映画で言えば、クエンティン・タランティーノ脚本の「フロム・ダスク・ティル・ドーン」の後半のような雰囲気。
振り飛車側も対策の立てようはあっただろうが、持ち時間の短い将棋でのことなので、名古屋戦法が見事に決まった形だ。
花村元司九段しか指しこなすことのできない戦法なのではないかと思う。
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岐阜戦法は、陽動右玉戦法のようなイメージ。
とにかく相手からの手掛かりを全部消してしまっている。
蕎麦屋に入って卵とじうどんを注文したら、出てきたのが冷凍窒素で冷やされたカチカチに凍ったうどん。全く溶ける様子もなく、触れれば大怪我をするような超低温。仕方がないので店を出ようとすると、店主はうどんを全部食べなければ店の外には出さないと言う、ような展開。
岐阜戦法は形は対振り飛車右玉に似ているが、貫かれている戦略が清野静男八段独自のものだと思う。
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名古屋戦法破り、岐阜戦法破り、それぞれが発見されているのかもしれないが、どちらにしても、特に名古屋戦法を指す人が現代にほとんどいないということが、私のような振り飛車党にとってはホッとするところである。