谷川浩司名人(当時)が羽生善治五段(当時)を分析する

近代将棋1989年12月号、谷川浩司名人(当時)の連載エッセイ「対局のはざまで」より。

 羽生善治五段が竜王戦の挑戦権を獲得した。

 十代のタイトル挑戦はこれが初めて。だが、彼の実力や成績を考えれば、当然、というよりも遅すぎたくらいかもしれない。

 彼は10月1日付で六段に昇段。19・20日から始まる、島朗竜王との七番勝負に臨むわけだが、ここでは、今期の成績から見た羽生六段の強さを探ってみたい。

 データを全て集める事ができなかったのは許して頂きたい。成績は9月末日現在。

(1)29勝5敗 勝率:8割5分3厘(内訳:先手…14勝 後手…15勝5敗)

 

 というわけで、相変わらず勝ちまくっている。私のこれまでの最高勝率は7割8分4厘で、これが羽生六段と同じC1の時なのだが、8割以上というのは常識では考えられない。

 それだけ好不調の波がなく、常に実力を100%発揮している、ということであろう。また、先手番全勝、も見事である。

(2)対戦相手

  • A級 5勝
  • B1 0勝2敗
  • B2 4勝0敗
  • C1 10勝2敗
  • C2 10勝1敗

 実に、A級に対しては全勝である。私も1勝献上しているのだが、内訳は他に、大山十五世、南王将、青野八段(2局)である。

 やはり対C級が多く、約3分の2あるが、これも例えば対C1の10勝の中に、森下五段(2勝)、村山五段(2局)が含まれている事を考えれば、必ずしも相手が楽、とは言い切れない。

 B1に0勝2敗だけが目立つが、流石にこのクラスの棋士には地力がある。

(3)敗局内容

  • 5月11日 淡路八段 棋聖戦 後手 129手 相矢倉 4時間、残り1分
  • 5月27日 森内四段 早指し 後手 123手 横歩取らせ 10分、残りなし
  • 6月19日 有吉九段 王将戦 後手 99手 相矢倉 5時間、残り1分
  • 9月9日 日浦五段 新人王 後手 77手 横歩取らせ 5時間、残り2時間6分
  • 9月29日 日浦五段 王座戦 後手 117手 相掛かり 5時間、残り49分

 敗局は全て後手番である。

 また、横歩を取らせての敗局が2つある。羽生六段が今期、横歩取り系統の将棋を8局も指しているのは興味深い。

 日浦五段が連勝しているが、これで日浦五段の対羽生戦は4勝5敗となった。

 田中寅八段の3連勝と共に、よく勝っている棋士である。ちなみに私は、恥ずかしいけれど1勝4敗―。

(4)作戦範囲

 相矢倉、角換わり、相掛かり、横歩取り、対振り飛車、先後を問わず、作戦のバラエティは広い。

 ヒネリ飛車をあまり指していないのが目立つくらいである。

 8月7局、9月8局と対局過多気味である。色々な戦法を指してみることによって、対局に慣れてしまうことを避け、新しい気持ちを保ち続けているのかもしれない。

(5)平均手数

勝局…104手 敗局…109手

 63年度の平均手数が116手だから、それよりも10手も短い。そして負ける時の方が手数が長く、粘っているわけである。

(6)残り時間平均

勝局…1時間10分 敗局…44分

 これは、TV将棋を除いての平均である。

 勝局の中で、私が見て快勝と思われる15局の平均は1時間19分、辛勝と思われる8局の平均は22分で、まずは理想的であろう。

 敗局の平均が意外に多いが、これは日浦五段戦で2時間以上残しているため。横歩取り4五角戦法だったので時間を使う場所が少なかったようだ。

 淡路八段戦、有吉九段戦のように、負ける時は1分将棋、というのが本来の羽生六段である。ただ、最近少し早指しになっているのは、気になるところ。

(7)まとめ

 というわけで、結論としては、羽生六段の強さばかりが目立ち、弱点を発見することはできなかった。

 だが、タイトル戦には独特の雰囲気がある。羽生六段は、タイトル戦の記録どころか、観戦に行ったこともなさそうなので、その辺りがどうか。

 島竜王も最近は昇り調子のようだし、竜王戦におけるツキもかなり持っているので、今度の七番勝負は見逃せない。

 私もできるだけ対局場に出向いて、二人の戦いぶりを見届けたいと思っている。

 島竜王としては、序盤の1・2局がポイントであろう。

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谷川浩司名人(当時)の「対局過多気味である。色々な戦法を指してみることによって、対局に慣れてしまうことを避け、新しい気持ちを保ち続けているのかもしれない」という視点は非常に新鮮で説得力がある。

同じように対局過多を何度も経験している谷川名人だからこその洞察。

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企業秘密になるような分析手法は明らかにはしていないのかもしれないが、棋士が対戦相手を分析するときはこのようにする、ということを示してくれていると思う。

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「島竜王としては、序盤の1・2局がポイントであろう」と谷川名人は予言しているが、

第1局…島竜王の勝ち 第2局…持将棋 第3局…島竜王の勝ち

だったにもかかわらず、羽生善治六段(当時)が4勝3敗1持将棋で竜王位を獲得している。

番勝負の奥の深さを感じさせられる事例だ。